去りゆく者
ぼくがジョイスタに通いだして一年ぐらいたった頃のことだった。
常連のシバさんがジョイスタに来なくなった。
その二ヶ月くらい前までは毎日のように来ていたんだけど、二、三日に一回になり、週に一回になり、気づいたらまったく来なくなっていた。
ジョイスタに毎日バトIIをやりに来るような筋金入りの常連は、ボクやシバさんを含めて六人だ。
ぼくが通い詰めるようになってからそれまで、その人数は増えも減りもしなかった。
シバさんはぼくと同じようにリョウ・ゲンをメインで使っていた。
このリョウ・ゲンも十分強かったんだけど、たまにシバさんがつかうザカットは鬼のように強かった。
ザカットはリョウ・ゲンと同タイプのキャラで速い飛び道具と長いリーチが取り柄だ。
もともと強い方のキャラなんだけど、シバさんのザカットは格別で、ぼくはほとんど近づくこともできず惨敗してばかりだった。
だから、ごくたまに勝てた時は本当に嬉しかった。
その頃のぼくは「相手が強ければ強いほどワクワクする」っていうドラゴンボールのキャラみたいな状態だったから、「ザカット強すぎるからあんまり好きじゃないんだよね」っていうシバさんに頼み込んで対戦してもらってはボコボコにされてた。
当時ジョイスタで一番強かったブーちゃんでも分が悪いくらいで、シバさんのザカットはなかなか連勝が止まらなかった。
ぼくが戦った中で一番強いザカットは間違いなくシバさんだった。
シバさんがジョイスタに来る頻度が減り始めた頃、使用済み灰皿を掃除している最中の店長に尋ねてみた。
「そういえば、最近シバさんあんまり来ないですね」
「ああ、そうだなあ」
店長はくわえタバコで灰皿を磨きながら、あまり興味なさげにそう言った。
「なにかあったんですかね」
「まあ、ひとにはいろいろあるからなあ。あんま詮索するもんじゃないよ」
「はあ、そうっすか」
店長にそう言われたせいもあって、その時はそれ以上深く考えなかった。
しばらくすればシバさんはまた毎日来るようになると思っていたし。
ぼくがそう思ったのは、ヤマさんのことがあったからだ。
◇◆◇◆◇◆◇
大学生のヤマさんは準常連のうちのひとり。
運送会社の仕分けのアルバイトをしていて、アルバイトの日以外はほとんど毎日ジョイスタに居座ってる。
大学には全然行ってないらしい。
いつもふざけてバカな事ばかり言ってる人だった。
そんなヤマさんは、二、三ヶ月に一度の頻度で「おれもう卒業するわ」と言ったきり、しばらく顔を出さなくなる。
だけど、一週間もしたら、何食わぬ顔してUFやっている。
「やっぱオレバトIIやらないと死んじゃうし」とか。
「OB訪問で来てやっただけ」とか。
「ファンが悲しむから思いとどまった」とか。
毎回適当な言い訳しながら。
ひどい時なんか卒業宣言の次の日に来てたこともあった。
その時は「昨日の今日じゃねーかよ」って笑われながらツッコまれてた。
ヤマさんは映画の真似してカッコつけて「そんな昔のことは覚えてない」って返したけど、ヤマさんはハンフリー・ボガートに全然似てないから(婉曲表現)、さらに爆笑されてた。
とまあ、そんな感じだったので、みんな誰もヤマさんの卒業宣言なんか信じちゃいなかった。
「ゲーセン卒業する前に早く大学卒業しろよ」ってよく冷やかされてたな。ヤマさんは大学七年生だったから。
ヤマさんはよくフザケた調子で言っていた。
「大学を四年で卒業する奴はバカだろ」とか。
「卒業したら就職しなきゃいけないからバトIIできなくなるじゃん」とか。
「こうやって一日中ゲーセンいても許されるのは大学生だけ」とか。
「オレは大学を愛してるんだ」とか。
「むしろ大学がオレを必要としている」とか。
笑いながら言ってた。もちろん、ふざけ半分なんだろうけど、残りの半分は強がりだったんだと思う。
いつもおちゃらけているヤマさんが、一度だけ弱音を吐いたことがあった。
大学生七年目が決定した時でも、「やったぜ、もう一年バトIIできるわー」って浮かれているように見えたヤマさんが、その日だけはひどく落ち込んでいた。
あんなヤマさんを見たのはその日が初めてだった。
「七年生にもなるとさ、友達みんな卒業しちゃってんだよ。だから、大学行っても寂しくてよ」
あとで他の人から聞いたところによると、ヤマさんがジョイスタに通い詰めるようになったのは五年生になってかららしい。最初はちゃんと四年で卒業するつもりで就職先も決まってたんだけど、ギリギリで単位が足りなかったんだと。
「大学の同期で一番仲良かった奴が結婚して家建てるんだってさ」
これを聞いて、自分がまだまだ子どもだったってことをぼくは思い知らされた。
ぼくは留年が決まったヤマさんが本当に喜んでいると思っていたんだ。
それがヤマさんの強がりなんだってぼくは分かっていなかったんだ。
「オレ寂しがり屋だから、ついついここに来ちゃうんだよな」
その日はもう対戦なんかする雰囲気じゃなくなっちゃって、他の常連たちが「よし飲みに行くぞ」ってヤマさんを連れ出していった。
当然、ぼくは参加できるわけもないので、他の未成年組と同じように家路についた。
その晩はいろいろ考えてしまって、なかなか寝つけなかった。
次の日ジョイスタに向かいながら、ヤマさんがいたらどういうふうに接すればいいんだろうか、って悩んでた。ジョイスタでヤマさんを見つけたぼくはすごいこわばった顔をしてただろうけど、ヤマさんはどこ吹く風。ぼくの顔を見るなり、
「おい、新しい戦法思いついたぜ。試したいから対戦しようぜ」
って何事もなかったように接してきた。ヤマさんすげえなと思った。
その戦法はいわゆる奇策で、初見こそ引っかかってしまってぼくの負けだったけど、分かってしまえば簡単に対処できるものだったので、その日のうちにお蔵入りになった。そんなところもまたヤマさんらしかった。
◇◆◇◆◇◆◇
ヤマさんのこともあったし、その頃のぼくはバトIIなしの生活なんてまったく考えられなかった。
だから、辞めるって言っても結局みんな戻ってくるんだろうな、ってそう思い込んでた。
だけど、シバさんはジョイスタに戻ってこなかった。
ゲーセンでいつも顔を合わせている常連の人たちっていうのは不思議な感じだ。いる時はそれが当たり前でなにも感じないけど、いないとなんか違和感を感じる。「そういえば、今日あいつ来てないな」って感じで。
病気になってみてはじめて健康の有難味が分かるのと同じようなものだ。シバさんがジョイスタに来る頻度が下がるにつれ、その違和感はぼくのなかでどんどん膨らんでいった。
そんな気持ちが扱いあぐねるほど大きくなって耐え切れず、ぼくはみんなにシバさんのことを尋ねてみた。店長に詮索するなって言われたのを忘れたわけじゃないけど、そうせずにはいられなかった。だれかに「シバさんは戻ってくるよ」って言ってもらいたかったんだ。
だけど、だれに聞いてもぼくが望むような言葉は返ってこなかった。
「さあ、俺はよく知らないけど、もう来ないんじゃないかな」
ぶーちゃんはあまり興味が無いかのように言った。
「シバさんは次のステージに進んだんだ。少し寂しいが、しょうがない」
アラさんは観戦中の対戦画面を見つめたままそう言った。
「まあ、ゲーセンっていうのはそういう場所だ」
横にいたトクさんはボソッと呟いた。
「勝ち逃げしやがって。ずりいよなあ」
それを受けてサルは悔しそうに洩らした。
「パソ通でもそうなんだけど、引退する引退するっていうやつは絶対にやめないよ。辞めていく奴はなにも言わずに去っていくんだ」
別の時にそう言ってたのは猫さんだ。それを聞いてたヤマさんは苦々しい顔をしてたっけ。
決定的だったのは、シバさんと一番仲が良かったリーマンさんの言葉だ。
「シバさんはもう来ないよ」
リーマンさんはなにかしら事情を知っているらしくきっぱりとそう断言した。それ以上詳しくはなにも教えてくれなかった。
定期試験中で午後いちに顔を出したジョイスタ。
その時間は客もまばらで、店長はカウンターに座って暇そうにスポーツ新聞を読んでいた。
その隣では、ヤンキーのショウさんがカップ麺を啜りながら、マンガ雑誌を読んでいる。
店内を見回したが、他の常連たちは誰もきてないようだ。
丁度よかった。今日はどうしても店長と話をしたかったんだ。ショウさんがいるのがちょっと気になったけど……。
その頃はまだショウさんのことが少しおっかなかった。機嫌が悪いときのショウさんは、近寄るんじゃねえブッ殺すぞ、って気配を隠しもしない。そんな時はみんなショウさんに近づけず、中途半端にツッパってる人たちは絡まれるのを恐れてこそこそを店を出て行く。だけど、今日はそんな感じじゃないみたいで安心した。
ぼくは意を決して店長に声をかけた。
「こんちはっす」
「おう」
店長はぼくの方を一瞥しただけで、すぐに視線を新聞に落とした。いつも通りだ。店長は自分からは話し掛けてはこない。
「どうしたボウズ、しけたツラして。おまえも喰うか?」
代わりにショウさんがそう言って食べかけのカップ麺を差し出す。
「いや、大丈夫っす」
ぼくが丁寧に辞退すると、ショウさんは「そうか」と言ってマンガに戻った。
まあ、冗談で言ったんだろうし、すぐにぼくから興味を無くしたみたいだ。
それにしても、しけたツラか、たしかにその通りだ。ここ数日のぼくは自分でも分かるくらいひどい状態だった。シバさんの件がどうも気になっていたからだ。
「みんなそのうち辞めちゃうんですかね?」
「シバみたいに辞める奴もいれば、おまえみたいに新しく来る奴もいる。それで潰れもせずに十年やってる」
新聞を眺めながら、店長が続ける。
「ここに通うような奴はゲームがやりたいだけで来るわけじゃない。家や学校や職場に居場所のないやつが、だれかに会いたくて来るんだよ。なあ、ショウ?」
振られたショウさんは「ケッ」と顔を背け、「ヒマなだけだよ」と言い返す。
「ここは学校みたいなもんだ――」
ぼくはその言葉を掴みかねる。
「学校はよし卒業するぞって言って卒業するもんじゃねえだろ」
「オレみたいに一週間でガッコー追い出される奴もいるけどな」とショウさんが混ぜっ返す。
「気づいたら卒業する時期になってて、勝手に卒業してたって感じだろ。ゲーセンだって一緒だ。違うのは卒業する時期がバラバラだってことだけだ」
店長は顔を上げ、少しさみしそうな目を見せる。
「いつまでもここにいることはできない。それだけは忘れるな」
ぼくはシバさんがやめてから、なんだかよく分からないような喪失感を感じていた。
誰かと別れるのは別に初めてのことじゃない。
転校していった友達も何人もいる。小学校四年生の時に仲の良かった依田くんってクラスメートが隣の県に転校していった時も「手紙でも電話でも連絡できるし、会おうと思えばいつでも会えるよね」って言いながら、結局、手紙を三回くらいやりとりしてそれっきりだった。
ぼくが会いに行くことも、依田くんが会いに来ることもなかった。
それに、中学に進学して、地元の公立校に行った友人たちとはほとんどそれきりだ。
でも、シバさんとの別れはそれらとはまったくの別物だった。
こんなのは初めてだった…………。
ただ、不思議なもので、そんな喪失感も日に日に薄れていって、次第に気にならなくなった。
ぼくがシバさんとの別れを実感できたのはそれから一ヶ月くらいたったある日のことだった。
その頃はもうシバさんのこともシバさんが来なくなったこともすっかり忘れて意識することもなかった。
その日はまだ浅い時間帯だったので、対戦者のレベルも低く、難なく五連勝くらいしたところで乱入してきた相手がザカットだった。戦い始めてすぐに初心者だって分かったから、ぼくは適当に流しプレーをしてた。
そういえば、ザカットと対戦するの久々だなあ。こいつ隙だらけだなあ。そのキックなんの意味があるの? 簡単なフェイントにつられて飛び込むからやられるんだよ。そこで飛び道具打っちゃいかんでしょ。ああ、それやっちゃダメ。なに考えてんのかなあ。ほら、それさっきと同じミス。学習しろよ。出た、また無意味キック。対応遅いなあ。シバさんのザカットは強かったなあ。
その時ぼくは――。
――ひとが別れを惜しむ理由がやっと分かった。もっと話がしたかった。もっと一緒になにかしたかった。いつでもできると思っていたことがもうできなくなってしまう。それが名残惜しいんだ。
ぼくはシバさんともっと対戦したかったんだ。
シバさんのザカットともっと戦いたかったんだ。
全然近寄らせてくれないあのザカットに、隙をついて飛び込んでコンボを決めたかったんだ。
その思いに気づいたとき、ぼくの中でなにかが込み上げてきた。泣きそうになったけど、グッと堪えた。
なんとなく、ここでそういうのは相応しくない気がしたから。対戦が終わり、ぼくはジョイスタを飛び出した。涙が溢れて止まらなかった。
ぼくはシバさんとの別れを頭では理解して受け入れていた。
でも、ぼくのこころはそんなもの全然受け入れていなかったんだ。
ぼくの気持ちはシバさんと会えなくなることをこれっぽっちも納得していなかったんだ。
ぼくは理性が納得することと感情が納得することにはとっても深い溝があることをこの時学んだ。
その頃はまだケータイなんてなかったし、ポケベルもまだもっている人はほとんどいなかった。ぼくが知ってる中でポケベルを持ってたのはボンさんとパチプロさんくらいだったけど、ぼくはポケベルの使い方なんか知らなかったし、その二人の番号も知らなかったから、ぼくにはまったく無関係なしろものだった。
そういうわけで、誰かがジョイスタに来なくなったら、もちろん住んでる場所や電話番号なんて知ってるわけがないから、その人と連絡を取るすべはまったくなかった。
それ以来、ぼくはシバさんと一度も会ったことがない。
ちなみに、ヤマさんは結局八年かかっても大学は卒業できなかった。
しばらくはフリーターやりながらちょくちょくジョイスタに顔出してたんだけど、半年ぐらいして本当に来なくなった。
この時ばかりは卒業宣言はなかった。猫さんの言ったとおりだった。
聞いた話ではヤマさんは実家に帰ったらしいけど、ぼくは別れの挨拶もできなかった。
ヤマさんはジョイスタを卒業したのか、他のゲーセンに転校したのか、それとも、大学と同じように除籍になったのか、ぼくは今でも気になっている。