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ぼくがゲーセンに通うようになったわけ

 ぼくがゲーセンに通い詰めたのは、今から思えば、ぼくなりのハンコーだった。

 親に対しての、学校に対しての、大人に対しての、社会に対しての。


 その時は、ハンコーしているという意識はなかった。ただ、14歳になったばかりのぼくが、ぼくなりに一生懸命に生きようとして、真剣に悩み、必死でもがいていただけだ。

 未熟なぼくが、なんにも知らなかったぼくが、それでもなんとかじたばたとあがいた結果、辿り着いたのがたまたまゲーセンという場所だったというだけの話だ。


 当時、中2だったぼくは完全に行き詰っていた。どんづまりのまっ暗闇の中にいて、四方を高くてぶ厚い壁に囲まれているように感じていた。

 世界のなかで自分だけひとりぼっちで取り残された気分だった。

 自分だけよその星からやってきた異星人なんじゃないか、ってなかば本気で悩んでいた。


 それくらい、他人が分からなかったし、自分のことを分かってくれる人なんかいないって思い込んでいた。

 いつからこういうふうに感じるようになったのか、はっきりとは分からなかった。ただ、気づいたらそうなってた。


 小学生のころはこんな問題感じていなかった。学校がおわったら、日が暮れるまでみんなで遊んで、家に帰って晩御飯を食べて寝る。

 毎日、楽しいことして遊ぶだけだった。中学受験を控えて進学塾に通うようになってもその気持は変わらなかった。


 塾通いは楽しかった。

 受験勉強っていう新しい遊びに夢中になったし、塾への行き帰りや塾の休み時間では、相変わらずバカな事をやっては怒られてばかりいた。


 いつもの塾の帰り道、最寄り駅で降りてから友人たちと騒ぎながら歩いていた。

 それを見知らぬのおばちゃんに咎められたことがあった。

 大人に反抗するのがカッコいいと思い始めた年頃だったからなのか、むしゃくしゃしていたからからなのか、今となっては思い出せないけど、その時ぼくは「うるせー。死ねクソババア」と怒鳴りつけて、友人たちと一目散に駆け出した。

 口火を切ったのはぼくだったが、友人たちも逃げながら口々に雑言を投げかけていた。


 相手がいかついおっさんやイノシシみたいなくるくるパーマのおばちゃんだったら、素直に謝っただろう。

 だけど、相手はふつーの小柄なおばちゃんだったし、走って逃げれば追いつかれないだろうと思ってた。

 それくらいの賢さは持ち合わせていた。


 だが、悲しいかな、それはしょせん子どもの賢さだった。

 ぼくたちの通う塾にはロゴ入りの塾かばんがあって、ぼくなんかはそれがダセーと思っていたから使ってなかったけど、一緒にいたうちの岡村ってやつがそれを使ってた。

 しかも、岡村は太ってて走るのが遅く、おばちゃんから逃げるときも一番後ろをドタドタと走ってたから、塾かばんをばっちり見られたんだろう。

 塾にクレームの電話があったらしく、次の日にぼくらはこってりしぼられて、反省文を書かされた。

 もちろん、まったく反省なんてしてなかったけど。


 そういえば、この岡村は社会の授業で屯田兵が出てきたときに、講師の花田から「岡村、おまえは豚田兵だな」って言われてたっけ。

 他にも、「士農工商、岡村」とイジられてた。

 言われる岡村はたまったもんじゃないだろうけど、クラス中は大受けだった。

 子どもは不謹慎とか可哀相とか考えないで、面白ければ笑うっていう残酷な素直さが行動原理だから。


 やたら岡村がターゲットにされていたが、そうやって笑いを取って授業の雰囲気を良くする花田なりのテクニックだったんだろう。

 今の時代そんな発言したら、保護者から人権侵害だなんだとクレーム入って一発でクビだろうけど、その頃はまあそんな緩い時代だった。


 とまあ、そんな感じで小学生の頃は毎日楽しく遊んでいるだけだったし、周りのみんなもそう感じているんだと何の疑問も持たずにそう思い込んでいた。

 だけど、中学に進学してからだんだんと自分が周りからずれていくのをぼくは感じ出した。


 進学校の生徒たちだから違和感を感じるのかと思って、公立に進んだ地元の友人たちと話したり遊んだりしてみたけど、彼らはもっと離れた場所にいた。

 そう言っても、彼らがヤンキーになったり暴走族になったりしてたわけじゃあない。

 ぼくの地元は、ぼくが生まれる十年くらい前に切り開かれた新興住宅地だったから荒んだ家庭も少なかったし、その頃はもう不良ブームは去っていたので、地元の友人たちはみなグレたりせずふつうの中学生をやっていた。


 とは言え、繁華街に行けば、あからさまなヤンキーも結構いたし、クラスメートのフクちゃんの地元K駅の方の中学校は結構荒れているらしく、盗んだバイクで走り出したり、学校の窓ガラスは普通に割れていたりしたらしい。

 それに渋谷とかにはチーマーもいたらしい(ぼくの地元のような中途半端なベッドタウンには、まだその影響は及んでおらず、オールドスタイルのヤンキーしかいなかった)から、当時周りに不良がいたかどうかは地域差が大きいんじゃないかな、と思う。


 地元の友人たちは不良になるのではなくて、まじめな受験生になっていた。まじめな受験生というのは、当時のぼくにとっては、不良よりも理解できない存在だった。


 その時は自分が特別な存在だと思っていた。

 大人になってみれば、そんなの思春期の当たり前の悩みで、自分が特別だと思い込んでる中学生なんて日本中にゴマンといるわけで、むしろそう思っていない子を探すほうが難しいことがわかるんだけど。

 ただ、そんなこと知る由もない当時のぼくは、自分の居場所を、学校にも、地元の友達の中にも見出すことができなった。

 そういうわけで、ぼくは自分の居るべき場所というのを求めて、その結果辿り着いた場所がゲーセンだったって話だ。


 ゲーセンにいると落ち着く。

 ここが自分の場所だと感じられる。

 ここで会って、少し話して、対戦する。

 この適度な距離感がなんとも言えず居心地が良かった。


 思春期のぼくにとっての避難場所がゲーセンであり、バトIIだったんだ。

 こんな素敵な避難場所を見つけることが出来たから、ぼくはなんとか道を外すことなく大人になることが出来た。


 最近になって気づいたんだけど、ぼくはとても恵まれた境遇にいたんだと思う。

 それは、ぼくの周りに不良をやってる友達がいなかったことだ。

 さっき言ったように、ぼくは不良にそれほど抵抗がなかったし、ある意味共感していた部分もあった。

 だから、もし近くにカッコ良くて気の合う友人がいて、その友人が不良をやっていたなら、ぼくも影響されて不良をやっていたかもしれない。


 中学生のぼくには、「その友人がカッコ良いこと」と「不良がカッコ良いこと」の区別も「その友人がいいやつ」だということと「不良がいいやつだ」ってことの区別もつけらなかっただろう。

そのような環境でも不良をやらなかったといえるほどの強い意志をあの頃のぼくが持っていたとは到底思えない。

 子どもの賢さなんてその程度だ。


 不良をやらなくて本当に良かったと思う。

 不良だろうがゲーセンだろうが、親不孝をしてきたことに違いはない。

 だけど、ゲーセンに通いつめておかげで、少なくとも誰か他の人を傷つけたり悲しませたりしなくてすんだからだ。

 そういう境遇に産んでくれたこと、この点については両親に感謝している。


 自分で扱いきれない強い衝動ってのは、結局、他人を傷つけるか、自分を傷つけるかしかない。

 十代のほとばしる衝動をボクはバトIIに向けた。

 そうやって発散したから、なんとか十代を生き延びることができたんだ。


 今の子どもたちに、そういう場所があるだろうか?

 衝動を発散する場所があるのだろうか。

 ツラいときに避難する居心地のいい場所があるだろうか。


 大人になってしまったぼくには分からない。

 だけど、子どもたちは賢いから、きっと大人たちが見つけられない隠れ場所を見つけているんだろう。

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