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角野潤を家まで送り、そこから自転車で帰宅する。自分の部屋へはいると疲れがふとももからにじみ出てきた。携帯電話がメールの着信を告げて、確認してみると暮木ミゾノからだった。挨拶もなくさきに帰ってしまったことを怒っているという内容の文面で、すぐに佐伯弘貢は謝るために電話をかけた。電話にでた暮木ミゾノは文面の印象よりもさほど怒っているようには思えず、日曜はなにか奢ってよねと笑った。
――私は今、ちょっと機嫌がわるいの。
角野潤が冗談を思いついたというふうに頬笑みながらそう言ったのを思い返す。
彼女の機嫌が損なわれていたことは確かなのだろう。その感情と発せられた言葉と、それからうかべられた表情とのあべこべさが、佐伯弘貢には興味深かった。角野潤という女の子について知っていることはほとんどないが、それでも人を煙に巻くような態度は彼女にそぐわない。
気まぐれは暮木ミゾノがよく似合う。なにか奢ってよねと笑うのはそういった性格の片鱗であり、佐伯弘貢が暮木ミゾノという女の子を好もしくおもう理由でもあった。気まぐれであることが好きなわけではなく、暮木ミゾノと佐伯弘貢という関係性のなかで、彼女が時折見せるサイコロの目みたいな移り気が特別なものに感じるのだ。
ショッピングモールへ買い物へいこうという話になっていた。連日、それこそついさっきまでその近くにいた佐伯弘貢は、暮木ミゾノの声調の節々にあらわれる、滅多にいくことのない場所に対する期待感を同じようにもつことがむずかしくなっていた。
「明後日たのしみだね」
暮木ミゾノが心の底からそう言っているのが佐伯弘貢には感じとれた。場所への期待感はもちがたいが
、彼女といっしょの時間をすごすことは待望している。佐伯弘貢も同じ言葉を返し、それじゃあ、おやすみという言葉を互いにかけあって通話を終えた。
待ち受けに戻った画面をすこしのあいだ眺めていた佐伯弘貢は、おもむろに電話帳の画面を呼びだした。
佐伯弘貢は人と携帯電話を通じてさほどやり取りをしない。暮木ミゾノと、あとはクラスメイトの男子生徒数人ぐらいしか連絡する相手はいなかった。そのくせ電話帳に登録されている人数はおおい。高校だけでなく中学時代のクラスメイトも含まれているから一〇〇人は優に超えている。
しかし日に一度以上使われる番号やアドレスはひとつかふたつだ。今日そこに電話番号とアドレスとが一件ずつ追加された。佐伯弘貢は『角野潤』という名まえを選択し、その詳細を画面に呼びだす。
名まえと一一桁の電話番号、それからパスワードみたいなメールアドレス。角野潤に関する情報は必要最小限しかない。あまりにも簡素すぎやしないかと、『角野潤』という見慣れないよそよそしい字面を眺めながらおもう。画面に表示されているものが記号然としすぎていた。
アドレス交換は角野潤を家まで送ったところでおこなわれた。いいだしたのは角野潤だが、そうすることに事務的な礼儀という意味以外は感じとれなかった。土日にも連絡がとれるようにとそっけなくいう角野潤の表情には、むしろ余計な情報を交換することへの辟易を感じとれた。
不意に画面が暗転する。Callingという文字が緑色の受話器のマークとともに表示される。それらの下にあったのは角野潤という表記だった。