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放課後になっても角野潤はすぐに化学室へむかった。佐伯弘貢は暮木ミゾノにひと声かける余裕さえなかった。
棚にならぶ実験器具の中から、棒を渡したビーカーとガラス棒を手にとる。ほかにもミョウバンの薬品筒をとり出す。佐伯弘貢はすこし彼女から距離をおいた席から様子を見ていた。
ビーカーには透明な液体がはいっていた。渡してある棒には半透明な糸が結ばれており、反対側にはサイコロほどの大きさをした白い物質がぶらさがり、液体のなかでういているように見えた。それは白くくすんではいるが、職人がやすりをかけたようにきっかりとした面と角度を持った菱形の立体物で、なにか御守りにしてとっておきたくなるような魅力があった。
角野潤はビーカーの液体を水道へ半分ほど流し、減らした分だけ水を入れなおす。そこへ白い粒上のミョウバンを加える。ビーカーの底にさらさらとミョウバンが堆積する。それをガラス棒でかきまわす。一連の所作に無駄はなく、彼女にとって日常的なことであるのは明白だった。
ミョウバン結晶をつくっているのだと角野潤は説明した。「一時間ほどこれに構わなくてはならないから、きみは適当にくつろいでいてください」
ガラス棒とミョウバンのこすれ合う音ばかりが、深夜のラジオみたく化学室に鳴っていた。
「化学室を使って活動しているのって、たしか科学部だよね?」
ただ無言で待つつもりもなく、佐伯弘貢はそうたずねた。角野潤はガラス棒をまわる作業を続けながらそうだと肯定する。角野さんは科学部員なの? と続けて問えばこれにも肯定が返ってくる。じゃあ、ほかの部員は? まさか角野さんひとりってわけではないでしょう?
「そうね」と角野潤は間をとった。かりっかりっとガラス棒がビーカーの底やミョウバンに触れて音をたてる。「いるけれど、休養中なの」
会話は発展しなかった。角野潤に会話を成立させようという気遣いはそもそもないようにおもわれた。佐伯弘貢との会話が疎ましいというよりも、目のまえの作業に集中したいという気持ちのあらわれのようだった。ただ薬品を水に溶かしているだけ作業だが、彼女にとってはとても大切で儀式的な行為らしいと佐伯弘貢は思量した。
一時間後、ビーカーの底に沈んでいたミョウバンの一切が液体中に溶解していた。角野潤は棒を渡し、結晶を液体に浸しなおす。液中の結晶を携帯電話のカメラで撮影してから、器具の片づけをはじめた。
帰路につくものとおもっていたら、今日は寄る場所があるといってバス停とは反対方向へ歩きだすので、佐伯弘貢は戸惑いながらもついていく。歩きながらいったいどこへいくのかと佐伯弘貢はたずねた。角野潤は短く友人の家だと答える。僕がついていってもかまわないのかと気にすると、わるいがきみはその子の家のまえで待っていてほしいとのことだった。