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「親切がへたって意味わかんない。悪口いったつもり?」
暮木ミゾノは鼻で笑い飛ばし、握られた手をうっとうしそうにふり払おうとする。しかし麻倉名美は決して手をはなそうとせず、かえって力をこめて自身の胸もとへ引き寄せた。
「佐伯くんが大切だから、暮木さんはそうやってわるぶるんだ」
核心に迫るなにかを彼女は口にしようとしているようだった。暮木ミゾノの表情はせせら笑いのままかたまった。つづけて麻倉名美は突き刺すようにいう。
「気にくわない人には不安になって、攻撃せずにはいられない――そんな本性を抑え切れないのがかなしいんだ。そんな自分をみっともないっておもってる。佐伯くんにはぜったい見せられないって恥じてる。だから一方的に突き放そうとするんだ。佐伯くんにきらわれるよう、彼も自分も傷つく言葉を選んで」
「黙れよ、ひきこもり」
暮木ミゾノは腕を上段へあげて一気にふりおろした。これには麻倉名美もからだを上下にゆさぶられ、手を握りしめていることができなかった。
「アンタがツグのこと好きだってわかったから、目のまえで奪ってやったんだ。アタシがツグと親しくしているのを、アンタがつらそうに見てるのがサイコーだった。ツグに近づいたのは好きだったからじゃない。アンタを苦しめるためだけだったんだよ」
辛辣な告白に佐伯弘貢が困惑しなかったわけではない。ただその動揺は言葉の意味やつよさにたいしてちいさかった。他人行儀に聞こえていた。いったいだれにむけて発せられた告白なのか、よくわからなかった。
「それはほんとうなのかもしれない。私は佐伯くんと親しくなれたらって願ってた。自転車がパンクして困っているところを助けてくれる男の子なんて、佐伯くんぐらいしかいなかったから」
麻倉名美は暮木ミゾノから視線をはずさずにつづける。
「暮木さんは佐伯くんのことをいやがらせに利用しようとしただけかもしれない。でも感情までずっとかわらないでいたわけではないでしょ?」
麻倉名美は指摘する。ふたりが話している姿を見かけるようになったのは冬のことだった。だがそのころはまだつきあっていたわけではない。三月にはいって彼女が学校へいくのをやめたときでも、ふたりは顔をあわせば話すていどの間柄だった。
彼女の指摘するとおりだった。佐伯弘貢が、たった二文字ではおさまらないおもいを暮木ミゾノにとどけたのは、二年生になってからのことだった。
「私へのいやがらせのためだったら、つきあう必要なんてなかったんだよ。でも暮木さんは佐伯くんのおもいに応えた」
知りあったころの暮木ミゾノはなにかにうちひしがれているようだった。だがしだいに彼女本来の明るさを佐伯弘貢にみせるようになっていった。二年生になるとクラスが同じになったこともあっていっぺんに近しくなり、もはや戸惑いの目で立ちすくんでいた彼女の姿はどこにもなかった。
そうか。佐伯弘貢はようやく気がつく。いまの暮木ミゾノは、なにかに怯え、追いたてられているように不安定だった、知りあったころの彼女によく似ている。
「登校拒否して逃げた根暗が、偉そうなんだよ」と暮木ミゾノがひくい声でいう。「見当違いでいいかげんなことばかり。現実わかってんの? アンタはアタシにいじめられてたの。なんでかわかる? アンタがいじめられてもしかたないわがままなやつだったからよ。クラスに協力しない自己中。そんなやつ、いじめられたって文句なんかいえないだろ」
「球技会に協力的でなかったのは謝るよ。私は運動が苦手だから、ちょっと参加するだけのほうがいいとおもっただけなんだ。文句なんかいわない。でも、そもそもいじめられていたとはおもってないよ。だって私たちはただの高校生だから。どちらも同じ立場なんだから、暮木さんのしたことはたんなるいやがらせだよ」
「その認識がおかしいよ。アンタはクラスの底辺だろ。教室にいたってしょうがないタイプの人間だろ。違うっていうなら証明してみせろよ」
「暮木さんの考えは独りよがりだよ。たしかに私はクラスの中心になれる性格はしてないよ。でも暮木さんたちみたいなタイプの人たちでクラスが成立するなんておもえない。だってそんなの現実的じゃないから。実際には私みたいに人と話すのが苦手な人もいるし、人付き合い得意な人だっている。だれとでも仲良くなれる人もいれば、大切な友人が数人いれば充分な人もいる。自分がいちばん優秀だっておもっている人もいるだろうし、友達なんかひとりもいらないって人もいる。そういういろんな性格の人たちがあつまっているのがクラスでしょ? そしていろんな価値観をもった人たちが、それぞれの価値観を傷つけないようつきあっていく方法を学ぶのがクラスっていう場でしょ? 暮木さんこそ、自分を中心において、自分と周囲の価値観だけがただしいって信じて疑わないんだから傲慢だよ。でもそれだって私は受け入れるよ。私は暮木さんを否定しないよ。佐伯くんだってそうに決まってる。だって暮木さんは、ただすこしだけ本性とのつきあい方がへたなだけなんだから!」
「うるさい」
暮木ミゾノは佐伯弘貢を一瞥した。それから両手を勢いよく突きだした。おし飛ばされて踊り場から階段へ転落しかける麻倉名美を、佐伯弘貢が後方から支えた。
暮木ミゾノはふたりを睨みつけると階段を駆けあがっていった。佐伯弘貢は麻倉名美を安全に立たせ、礼をいうのを片手ひとつで制すと、すぐにあとを追うため踊り場へ飛びあがった。
不穏な予感が先から彼の脳内にくりかえされていた。そのイメージは拭いがたいリアリティをもって彼の心をゆすぶっていた。暮木ミゾノが視界から姿をけすと、それがそのまま彼女を見た最後になる気がしてならなかった。
だが悲壮感とともに見あげた階段の呆気ないほど近く、手をのばせば容易にブレザーの裾を握ることができる距離に彼女はたちどまっていた。
視線をさらにあげていったところで、ぐしょぬれになった前髪をかきあげてちいさく悪態をつくのは角野潤だった。付着した指先の水滴をふり落とし、気だるく階下を見おろした彼女は、露骨に顔をしかめてため息をついた。




