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 団地はほのかな明かりに縁取られている。自転車置き場や各階の廊下にとりつけられたむきだしの蛍光灯が、それ自体は強烈に、しかし全体としては棟の輪郭をかろうじてなぞるていどに光っている。

 佐伯弘貢には畦道の暗さとたいしてかわらないように感じられた。県道の電灯も、団地の明かりも畦道に背をむけている。水田と畦道とはいっそう暗い夜のなかに落ちている。彼は不規則にあらわれるくぼみに足をとられながら、それでも走ることをやめなかった。

 こごえたように団地はしずまりかえっていた。明かりのついている窓がいくつかあっても、それはまるで遊園地にある架空の町みたいに嘘らしかった。

 ぽつんぽつんと電灯が灯っている。その明かりの下を継いでいくように走っていく。どこからともなく甲高い声が聞こえてきた。性別も年齢もはっきりしない。子どもであればよろこびだっただろうし、女性であれば狼狽をあらわすもののように聞こえる声だった。佐伯弘貢はくずおれるように走るのをやめた。上体をかがめ、膝に手をつくと、一気に体中に倦怠感がにじみだす。足裏や脇腹がにぶく痛い。呼吸がうまくできずに咳きこんだ。

 暮木ミゾノであれば、こんなふうにはならないのだろう。中学時代には陸上部だったし、いまでも暇を見つけて走っている。どうして高校で部活をつづけなかったのだろうと佐伯弘貢は疑問におもう。部活だけが青春じゃないとうそぶいていたが、あれはおそらく本心ではなかった。

 風が吹くと空気に土のにおいがまざりこんだ。ショッピングモールへむかう途中で見た雲のどす黒さを佐伯弘貢はおもいだした。できれば、暮木ミゾノには青空とやさしい日射しのなかを走ってほしい。脇腹をおさえて、忘れかけた歩き方で、かつて彼女が暮らしていた場所を目指して歩きだした。

 角野潤を朝に迎え、夕に送っていたとき、棟のなかへはいっていったことはなかった。ボディーガードを頼んでいた彼女は、棟の入口である階段のところでおはようとじゃあねを告げた。

 棟は四階建てで、階段は建物の中央と、左右にのびる共用廊下の途中にそれぞれある。中央階段のあたりに全戸分の郵便受けがある。二四戸分あるネームプレートには空白が目立った。角野の名は三階にあった。彼女から教えてもらった、暮木ミゾノと家族が住んでいた四○六号室は、茶けたセロハンテープの切れ端がくっついているだけだった。

 階段は狭く急だった。踊り場の蛍光灯が照らすけれど、手摺りぎわや天井付近は陰って暗い。踊り場だけがうかんでいるようだった。ささいな足音が空間に反響する。

 階段をのぼりながら考えた。ミゾはなにをきっかけにして麻倉さんへのいやがらせをはじめたのだろう。麻倉さんの推測どおり、彼女が球技大会で協力的じゃなかったことが気にくわなかったからだろうか。そんなの傍目にはささいなことにおもえる。でもそんな、他人からすればなんでもないことでも、ミゾの本性は呼び起こされるものなのか。だったらどうして、角野さんへのいやがらせをはじめたのが、僕が彼女のボディーガードをやめてからなのだろう。もっといってしまえば、なぜがまんできていたのだろう。

 階段をあがっていると雨音が聞こえてきた。あまりにも唐突すぎて、実はもうずっと雨は降っていたような気がした。佐伯弘貢は三階までたどりついていた。四階へ上がる階段に明かりはなかった。三階の廊下から漏れた明かりで下の二、三段だけ見えているばかりだった。深い森のなかの洞窟のまえにたつようだった。

 踊り場のあたりから、床の上でわずかにみじろぐような音が聞こえてきた。階段へ足をのせた佐伯弘貢は二歩めをためらって暗がりを凝視した。

 踊り場の蛍光灯が咳をするように灯ってすぐきえる。照らしだされたなかに人影を見た。ゆるく三角にたてた足に上体をおおいかぶせ、足首のすこし上のあたりを両手でかかえこんでいた。額をぐずる子どもみたいに膝におしつけ、表情はうかがえない。

 暗闇のなか、土のにおいに混じって花柄の芳香がただよってきた。佐伯弘貢は口を真一文字に結び、まなじりをおしあげた。ふたたび微かな物音がする。暗がりから自分を見つめる視線を感じた。

 名を呼ぶ。答えはないと感じながら、そうせずにはいられなかった。階段をあがっていきながら、さらに呼びかけた。声をかけるのをやめれば、たちまち彼女は存在しなくなる気がしていた。踊り場まで半分の位置にきたとき、言葉のようなものが聞こえてきて、佐伯弘貢はたちどまった。

「きてほしくなかった」

 軽薄なこわねで口にされた言葉はまがまがしかった。ただの意味以上のおもいが、呪詛のように声と言葉にこめられているようだった。

「どうせあのおせっかいのしわざか。もういいでしょ。麻倉は無傷だよ。もうあの子にも、あいつにも、なにもしないよ」

 ちらちらと神経質な音をたてて、蛍光灯がふたたび閃いた。

 暮木ミゾノが見おろしている。現実ではなく、ディスプレイ画面のむこうがわを眺めているような目つきをしている。佐伯弘貢はその目が自分のことをとらえているとは到底おもえなかった。

 更新の間隔があいてしまいました。申し訳ございません。

 次回からこそ週一で更新しようと意気込んではいますが、できなかったときはご容赦ください。

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