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「やっぱり僕らの会話を聞いていたんだね」

 角野潤がボディーガードなんて不可解な依頼をした日のことを佐伯弘貢は一秒の隙間のうちに回顧し、「よく憶えてるね」とあきれをともなって褒めた。

「うれしかったから」

 いったいなにが角野潤をよろこばせることになったのか佐伯弘貢は知る由もなかった。角野潤は言葉を続ける。

「それにきみは暮木さんにゆいいつ過ちを指摘できる人物だともわかったきっかけでもあった」

「そのときにもう、きみは僕を麻倉さんと引きあわせて、ミゾを説得する段取りを整えるつもりだったの?」

「もっとまえから、暮木さんに影響をあたえられる人物がいれば協力してもらうつもりでいた。できれば大人に助けてもらえればよかった。でもそんな人間はいなかった。それにもう二年の二学期よ。これ以上ナミを家に閉じこめておくわけにいかないわ」

「閉じこめる? 麻倉さんが学校を休むようになったのは、角野さんがそう言ったからとでも?」

 角野潤はしばし沈黙した。田畑を越えた左手に連なっていた林が途絶え、幹線道路が見えはじめた。路線バスのルートにもなっている道であり、ショッピングモールまではもうすこしの距離になっていた。

「そのとおり」角野潤の声は淡々としていた。「私が学校へ来ないように言ったのよ。ナミが安心して学校生活を送れるようにするからって約束してね」

「約束?」

「そうよ。私はナミに対して責任があるの」

 責任なんて言葉が同世代の人間からでてくることに、佐伯弘貢はすこしばかりおどろいた。無責任に生きているつもりはないけれど、言葉にして確かめなければならないほどの重圧を感じる責任というのは、一介の高校生にはそぐわず不自然だった。

「でも、ミゾのことも配慮した決断だったんでしょう? 麻倉さんはきみに学校を休むよう勧めたことや、その期間が今まで続いていることで文句を言ったりしたのかい?」

「ナミは優しいから」

「優しいだけじゃないでしょう? 話してみて、しっかりした意思と責任感があるって伝わってきたよ。きみにアドバイスをもらったっていうのもあるだろうけれど、でもちゃんと、彼女は彼女の決断に対して――その、なんだ。角野さんの言葉を借りれば責任をもっているはずだよ。きみだってさっきヒメユリに喩えて言っていたじゃないか?」

「きみは」と言いさして角野潤は沈黙した。佐伯弘貢はいちど首をめぐらしただけでさきを催促することはなかった。

「だれにでも優しいというのも考えものよ」

「そう優しくもないさ。現に僕はまだ角野さんに不信感をもってる。話を聞いていて疑問におもったところもある」

「たとえば?」

「麻倉さんが学校へ戻ってこられるようにミゾのことで僕に協力してほしいなら、どうしてあの日、化学室できみはミゾに暴力をふるったんだい? あんなことをしたら僕が協力しなくなることぐらいわかっていたでしょう?」

 粉々になったビーカーの破片の不穏さは、いまだおもいだすたび気分を搔き乱した。

 ビーカーを投げつけるなんて角野潤にはそぐわない。そのあべこべさが不信感を増している。なぜそんなことをしたのか。どんな意図があったのか。それともこちらの認識のしかたが間違っているのか。佐伯弘貢はどうしても聞いておかなければならなかった。

 角野潤はつまらなさそうに話した。

「暮木さんにむかってビーカーを投げたわけではないわ。床にむかっておもいきり投げただけ」

「なんでそんなことを?」

「暮木さんの標的を私にするためよ」

 あの日、暮木ミゾノは角野潤のもとへやってくると佐伯弘貢を独占するなと訴えた。そしてそれが受け入れられないと、麻倉名美の名をだし彼女の家を知っていると言った。

「つまりミゾはきみを脅したの?」

「そういうことよ。あのままではナミに危険が及ぶとおもったから暮木さんに警告したの。標的は私だってね。まったく。暮木さんにナミの家を知られたのは軽率だったわ。おかげできみとナミを引き会わせるのがむずかしくなっちゃった。ナミが危険な目に遭う必要なんてなかったのに」

 ぽつりぽつりと見えている民家や叢林のむこうに、おおきな筐体が見えはじめた。目的地に近づいてきたと言うと、角野潤が首をめぐらして確認するのを感じとれる。

 角野潤は左手の位置を佐伯弘貢の肩口へかえ、身体を後方へかしいでもバランスがとれるようにする。

 土がにおい草木はゆれてカラスが悠然とはばたくほの暗い風光のなか、幼少時から見慣れたショッピングモールの景観はいやによそよそしかった。地域に一方的にもたらす文化の象徴としての看板を、角野潤はふしぎと凝視した。もしかしたら看板を見たのは初めてなのかもしれないとおもっていた。

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