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テスト期間中には図書室も閉室される。なので室内には生徒がひとりもいなかった。本来、利用者のおおい棟中央の階段からはいる正面の扉も、ふたりがはいってきた裏口のような扉にも鍵がかけられているはずだった。奥村司書教諭はうっかりだと言う。
「せっかく来てくれたんだ。無下に追い返したりはしないよ」
コーヒーでも飲んでいきなさいと、奥村司書教諭は図書室に隣接した図書準備室へふたりを招いた。図書室の端に扉があってそこから出入りができるようになっている。はいるのは佐伯弘貢も初めてだった。室内にはおおきな作業台があり、まだ透明な保護シートのかけられていない新刊本が何冊も積み重ねられていた。
廊下に近い壁際にシンクとコンロとがある。奥村司書教諭は水のはいったヤカンを火にかける。戸棚からマグカップを三つとソリュブルコーヒーの瓶をとりだす。椅子にかけていてと声掛けし、佐伯弘貢と麻倉名美は手探るように木組みの椅子にそれぞれ座った。ひとつだけ肘掛け付きの椅子があったのでそれはふたりとも避けた。
水が沸騰するまでのあいだ奥村司書教諭は肘掛け付きの椅子に座って、ふたりとむかいあった。開口一番、やはりきみは麻倉さんと友達だったんじゃないかと笑うので、麻倉名美は要領がつかめないという顔で佐伯弘貢と奥村司書教諭とを交互に見た。佐伯弘貢はしかたなく以前奥村司書教諭と彼女のことについて話した経緯を説明した。自分のいないところで話題にされることがピンとこないのか、麻倉名美は説明を聞いても困ったような顔をしていた。
「佐伯くんから本を受けとってくれたようだね」
麻倉名美が両手にかかえる紙袋を見遣って奥村司書教諭が言う。彼女はうなずいて礼を言った。
「お借りします」
「返すのはいつでもかまわない。気に入ればそのまま持っていてもいい」
麻倉名美は困惑する。視線が彷徨するのでそれとわかる。プレゼントしてくれるってことだよと翻訳すれば、やはり困ったような表情をうかべ、もういちど奥村司書教諭に礼を言った。
奥村司書教諭は最近どんな本を読んだかと麻倉名美に尋ねた。麻倉名美はしどろもどろにいくつかの本のタイトルを挙げた。どんなところがおもしろかったと聞けば、よりぶつ切りな言葉で麻倉名美は説明する。オススメはと聞けば何冊か答える。いずれも佐伯弘貢の知らない作品と作者だったが、奥村司書教諭は知っているようで、気になっていたから今度読んでみるよと答えた。麻倉名美は目を細めた。
沸騰しかけるヤカンの様子を見に奥村司書教諭が席をたつ。麻倉名美は奥村司書教諭の背中を見遣ってから、おもむろに紙袋を開けて本をとりだした。表紙の厚い上製本で、カバーはかかっていない。背表紙には金字で作品名が縫われているが、やはり佐伯弘貢には聞いたことのないものだった。ぱらぱらとめくれば敬いたくなるような埃のにおいが微かにたつ。外見よりも紙は白く、活版印刷の字は鮮明だった。指先から滑り落ちる紙の音を聞いていると、コーヒーの香りが鼻腔にとどく。ページがすべてめくられ、薄紙に透けてうかびあがるタイトルページがあらわれると、そっと麻倉名美は本を閉じる。無地で紺色の表紙をほの白い人差し指がなぞった。
奥村司書教諭はトレイに載せて運んだマグカップを手渡していく。砂糖とクリープはこれを使ってねと陶器の小瓶とクリープのつまった透明なケースを作業台の上にのせる。麻倉名美はクリープを、すこし迷って陶器から角砂糖を三つコーヒーのなかに落とした。佐伯弘貢はクリープだけ入れた。
テストはどうだったかという話になれば、失笑を誘うような内容に終始する。最近若い人のあいだではなにが流行っているのかという話題には、佐伯弘貢も麻倉名美も答えられなかった。顔を見合わせるふたりがおもしろいのか、奥村司書教諭は含むような笑声を漏らした。この時間、彼はずっと穏やかに頬笑んでいる。そして麻倉名美は戸惑いを見せつつも、あきらからに保健室のときより緊張が緩いようだった。
ふと佐伯弘貢は気がついた。奥村司書教諭は初めから、麻倉名美に対して彼女自身についてはなにも話題にしていない。すべて個人とははなれたところにある当たり障りのない話題ばかりだった。
「奥村先生は、麻倉さんが不登校だっていうことを知らなかったんですか?」
麻倉名美が手洗いにむかったあとで、佐伯弘貢はそう尋ねた。奥村司書教諭はやはり柔和に笑んでいたが、すこし言葉を探すようにしてから、最近まで知らなかったと話した。
「きみがあの日話してくれたあと、担任の先生に尋ねてはじめて知ったんだ」
「不登校の理由については?」
「わからないね。でも、あの子のことだからきっと戻ってきてくれるでしょう。今日のようにテストを受けにきてくれているんだから。それなら学校司書にできることは待っていてあげることぐらいさ」
奥村司書教諭はコーヒーをひと口すすった。佐伯弘貢もひと口飲む。沈黙と断片的な会話が何度か交わして麻倉名美が戻ってくるのを待っていた。だがついに彼女は戻ってこなかった。




