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図書委員の仕事を終えて帰るとき、通路の窓からむかいの棟の一階を眺めた。化学室の電気はきえていた。どうやら角野潤はもう帰っているようだと判断して佐伯弘貢は帰宅した。
カバンには受けとった紙袋がはいっている。奥村司書教諭が見ないようにと言ったわけではないが、中身を確認しようとはおもわなかった。家に帰ってもカバンからだすこともなかった。他人の読みたい本というのはそれだけで気になってしまうものだが、紙袋を開けて本のタイトルを知ることは、奥村司書教諭に対しても、名まえだけしか知らない同級生に対しても不誠実であることは間違いなかった。
翌日の朝、登校してきた田川隆嗣に麻倉名美について尋ねた。奥村司書教諭が彼女の去年のクラスを教えてくれていて、それによれば田川隆嗣と金杉聡美、それから暮木ミゾノの三人は麻倉名美と一年次に同じクラスのはずだった。田川隆嗣は麻倉名美についておぼえていることはあまりないという。ただ、休み時間にいつも自分の席で文庫本を読んでいたことはおぼえている。
「俺はいちども話したことない。麻倉はたいていひとりで過ごしてた」
クラスのなかに友人はいなかったのかとつぶやくと、いや、ひとりだけ話している女子がいたなと田川隆嗣は首をかしげる。佐伯弘貢は窓際の席に座っている角野潤のことをちらっと見た。彼女は今日もクラスでいちばんはやく登校していた。佐伯弘貢たちの会話には無関心なようであったが、話の内容が聞こえていないわけではないだろう。
ちょっとトイレにいかないかと佐伯弘貢は田川隆嗣を誘う。角野潤の名まえを彼女のいる空間で口にしたくはなかった。トイレで用をたしながら、麻倉名美と話していたクラスメイトというのは角野潤のことかと尋ねた。
「いや、違うよ。角野は同じクラスじゃなかった」
田川隆嗣の答えは想像と異なっていた。麻倉名美といえば角野潤という結びつきしか考えていなかった佐伯弘貢は、俄然そのクラスメイトに興味がわいた。
「綾瀬っていったかな。といっても話してたのは三学期の終わり頃になってからのことで、それも何回かしか見てない」と田川隆嗣は言う。
「その綾瀬って人、今どのクラスなの?」と佐伯弘貢は聞く。
「なんだよ、角野の次は綾瀬狙いか?」
佐伯弘貢は洗って濡れている手をふって、水滴を田川隆嗣のほうに飛ばした。
綾瀬という女子生徒のクラスはわからないと田川隆嗣は言う。金杉聡美や暮木ミゾノに聞けばわかるかもしれないというが、彼女たちには聞かなくていいと答える。代わりに、どこか部活に所属していないかと聞いた。田川隆嗣は知っていた。
「書道部だ」
「なんで知ってるの?」
「今年の部活動紹介で登壇していたから」
新年度の初頭にあるイベントで、各部活動が新入生にむけてプレゼンテーションをおこなって入部をうながすものだ。部活にはいっていない佐伯弘貢には関わりのないものだった。ちなみにサッカー部はフリースタイルフットボールを披露したという。リュージもしたの? 俺? 俺はリフティング一〇回もできないもん。登壇したけどまわりでにぎやかし隊だよ。サンバのリズムを刻んだよ。
書道部員の綾瀬という女子生徒と麻倉名美との関係は気になった。綾瀬という名は角野潤の口からも聞いたことがなかった。
佐伯弘貢は放課後、書道部を訪れてみることにした。




