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 女子に遅れて一〇分、いよいよ男子もスタートした。

 暮木ミゾノにいつものとおり走られたら、彼女がゴールするまでに間に合わない。速度を緩めて走ってくれたとしても、追いつくのは彼女がゴールする直前におもわれた。

 実際、佐伯弘貢が暮木ミゾノに追いつくまで三〇分近くかかった。暮木ミゾノが自身のペースで走っていれば、今頃は帰りの支度ができているはずだった。持久走大会ではゴールした生徒から帰宅してよいことになっている。

「言ったでしょう? アタシはツグといっしょに走りたいの」

 一五分ほどいっしょに走ることができた。スタート地点でもあった陸上競技場のトラックにさしかかってふたりは別れた。ツグがゴールするまで待っていると暮木ミゾノは言ったが、佐伯弘貢はその申し出を断った。ゴールまでは短く見積もっても三〇分はかかった。

「風邪ひいちゃうよ。さきに帰ってて」

 昨日は雨が降った。雨は残暑をとり去った。もう半袖では肌寒い。汗をかいたあとに三〇分も屋外にいたら風邪をひかないほうがむずかしい。そう説得すると、暮木ミゾノは不承不承ながら受け入れた。

 暮木ミゾノと別れてから、なるべくペースを維持して走っていたが、上流側の橋を渡って対岸のコースを走っていると全身が気だるくなりはじめた。佐伯弘貢はなるべく遠くを見て身体の限界に目を逸らそうとした。

 モチノキが両側にならぶコースはわずかに湾曲しながら延びている。そのため遠くの景色はいならぶモチノキの幹にさえぎられる。すこしずつ明るみになり後ろへ送っていく景色のさきに、女子生徒の姿がひとり見えた。

 前方の女子生徒の背に近づいていくと、それがだれなのか佐伯弘貢ははっきりと理解できた。その瞬間に精神的な疲労がいっぺんに増した。

 横をとおり抜けるとき、佐伯弘貢は女子生徒を一瞥した。角野潤だった。彼女は顔をうつむきかげんに歩いていた。脇腹に手をあて、荒い息をしずかに樹間にこぼしている。佐伯弘貢は無言で横を抜けていった。不穏な息遣いがすこしのあいだ背後に聴こえ、やがて聴こえなくなった。間もなく下流側の橋が見え、そこを渡るとすぐ陸上競技場だった。

 五〇〇人近くいる男子生徒のうち、佐伯弘貢は四〇〇番台でゴールした。倦怠感に隅々まで支配された身体をひきずり、カバンをおいていた木陰のそばまでむかったが、芝生の上に仰向けになると着替えはまだすこしあとにしようとおもえてくる。

 やがて呼吸が整い、身体も動かせるようになる。帰る準備をしようと上半身を起こすと、ちょうどトラックの最終コーナーを角野潤がまわったところだった。ボールペンを指先で弄んでいる記録員の男子生徒が、さっさとゴールしてくれないだろうかという表情を隠さないで彼女のことを見ていた。

 角野潤はゴールラインを越えるとすぐ芝生に座りこんだ。最初は体育座りだったが、やがて堪えきれないように倒れこむ。看護教諭が寄っていて容態を気にかけるが、片手を挙げて平気だというジェスチャーをした。嘘であることは明然としていた。よれたジャージの腹部がおおきく膨れてはへこむ。いくら息を吸っても足りないようで、逆に吐きだす呼気も苦しそうだった。瞼は落とされ、額には滲んだ汗に前髪がじっとり張りついている。落ち着きのないアリが一匹、乱れた彼女の髪のあいだから抜けだして芝生のどこへともなくきえていった。

 五分ほど角野潤は倒れていた。呼吸が落ち着き、ふらふらとした足取りで荷物をおいてある方向へ歩きはじめるのを見届けてから、佐伯弘貢は帰宅の準備をはじめた。着替えをすませて帰る段になったとき、角野潤のほうを見た。彼女はジャージ姿のまま一本の木の周囲をうろうろして、しきりに周囲へ視線を飛ばしていた。なにかを探しているようだった。

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