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アサクラ家への二度めの訪問でも、佐伯弘貢は家人に存在を気取られないよう生け垣の陰に隠れていた。
角野潤を待っているあいだ、前回と同じように彼女が会っている人物について考えた。その人物が先日彼女が口にしたナミという人物なのではないかと佐伯弘貢はあたりをつけている。
だとしたら、いったいどんな困難に陥っているのだろう。科学部の部員は彼女以外休養中だと言っていたが、もしかしたらその休養中の部員がナミという人物なのかもしれない。しかしだとしたら、自分が手助けできることとはなんなのか?
休養中ということは、怪我か病気が治るまで休んでいるということだ。だとしたら、医療に関してまったく佐伯弘貢は知識がないので役に立たない。身内に医者がいるというわけでもない。となれば「休養中」はおそらく比喩なのだ。ではなにを喩えているのかといえば見当がつかない。
「あの家にいるのがナミっていう人なのかな?」
アサクラ家をあとにし、学校近くのバス停へむかう道すがら佐伯弘貢は角野潤に尋ねた。前回のときと同じく、アサクラ家訪問後、角野潤の気は少々たっていた。なにが彼女を不機嫌にさせるのかわからない。佐伯弘貢はできれば理由が知りたかった。
角野潤は佐伯弘貢に手助けしてほしいと言った。しかし佐伯弘貢が彼女にしてあげていることは、たんに付き添っていることだけだ。なにかもっと具体的に、角野潤の助けになりたいとおもった。
「アサクラナミ。きみはこの名まえに聞き覚えがあるかしら?」
聞き覚えなどなかった。ないと正直に答えれば、じゃあ、そんな子はいないのよと角野潤は煙に巻き、それ以降もなにを聞いてもはっきりとは答えなかった。
土日は平穏にすぎた。土曜の夜に暮木ミゾノから電話があって、ちょっと会いたいというので駅の近くにあるファストフード店で一時間ほどいっしょにすごしたぐらいで、ほかに外出することもなかった。角野潤からはメールの一通も連絡はなかった。
月曜日にまたも体育の授業で走り、火曜日に特別なことはなにもなかった。角野潤は一向危険に直面することはないしその兆しもない。ただただ毎日、佐伯弘貢は角野潤の登下校に付き添い、昼と放課後を化学室で共にすごす。一日にすこしずつプライベートなことを話して互いのことを知ろうとした。しかしまだ、角野潤のほんとうのお願い事を話せるほどの信頼関係は築けていない。もともと角野潤はボディーガードを一か月間頼んだわけだから、話せるようになるまではそれくらいの期間が必要なのかもしれない。
水曜日には図書委員の仕事があるため、角野潤を化学室へ送ると、彼女をひとり残して図書室へむかった。
司書教諭は奥村利樹という若い男性である。リムレスの眼鏡をかけ、髪型はショートウルフでさっぱりとした印象をあたえる。角野潤の友人である金杉聡美なんかはイイカンジと評して田川隆嗣をしょんぼりさせたことがある。実際、奥村司書教諭は好青年だ。一見するとスポーツマンのようでありながら、書籍に関する知識は膨大で、趣味を仕事にしてしまったようなものだと自虐したこともある。部活動に所属していない佐伯弘貢にとって、数すくない交流できる大人のひとりでもあった。
「アサクラナミって生徒を知っていますか?」
パソコンにむかって発注の作業をしている奥村司書教諭にそんな質問をしたのは、彼が気兼ねなく話すことのできる大人だったからかもしれない。ほんとうに知りたくて問うたわけではなく、世間話のひとつとしてなんとなく口にだしただけだった。
「麻倉名美さん?」と奥村司書教諭はいくらかの親しみをこめて言う。「科学部の子だよね。去年図書委員をしてくれていたよ。そういえば今年になってからまだ一度も会っていないな。本が好きみたいで、図書委員の仕事以外でもよく図書室に来てくれていたけれど」




