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暮木ミゾノは佐伯弘貢が角野潤を家へ送ったあと、学校近くで合流していっしょに帰ろうと提案した。しかし佐伯弘貢はうんと頷けなかった。待たせるには時間がかかりすぎる。
「いいよ。気にしない。ツグと帰れるんならいつまでも待ってる」
そういうわけにはいかなかった。待っているあいだどうするのかと聞けば、教室でもどこででも待っているという。
「ミゾの気持ちはうれしいけれど、それだと僕はミゾのことが心配になる」
「じゃあ、今夜電話もらってもいい?」
「もちろんだ。電話するよ」
暮木ミゾノはひとまず納得をして化学室をあとにした。リュージやサトミとだべってるよ。そして気がむいたときに帰って、ツグからの電話を待ってる。
「純真な子ね」と暮木ミゾノが化学室をでていったあとに角野潤はつぶやいた。素っ気ない言い方であったため、言外に皮肉がこめられているのかもしれないが、おおむね佐伯弘貢も同意だった。
快活で物怖じしない言動によって暮木ミゾノは誤解されることがある、と佐伯弘貢は感じることがある。佐伯弘貢自身、暮木ミゾノと知りあう以前は彼女みたいに直截にものを言ってあっけらかんとしている性格の人間は苦手だった。
暮木ミゾノというひとりの人間と接するうちに、彼女の言動の根底にはまだ子どもらしさが残っていることがわかった。それが角野潤のいう「純真」なのかもしれず、しかしそれは万人に褒められる特質ではないのだろう。「純真」なんて言葉は疑わしく危険だ。だが暮木ミゾノという個人の魅力になっていることもたしかだった。
「あんまりいじめないであげてよ」
佐伯弘貢はそう言って釘を刺した。
角野潤はその言葉に虚を突かれたのか、手もとの作業をとめてビーカーにうかんだ渦を見つめた。
「そうね。気をつけるわ」
五時になると角野潤は片づけをはじめる。いつも五時過ぎのバスに乗る。佐伯弘貢は暮木ミゾノにこれから角野潤を家まで送ってくるとメールを打った。打っておくべきだとおもった。学校のすぐ近くのバス停で二、三分待つあいだに返事はきた。『いってらっしゃい』とあった。
ショッピングモールのまえのバス停で下車し、団地の階段下で角野潤と別れる。別れ際に角野潤は財布から千円札を出して佐伯弘貢に手渡す。正直にいえば、佐伯弘貢はこんなやりとりにはうんざりしていた。
「ボディーガードは建前なんでしょう? お金なんて要らないよ」
「そういうわけにはいかないわ。きみには定期券を買ってもらっているし、それにこれは信頼よ」
「お金が?」
「お金とはそういうものよ」
「よくわからないな」
駐輪場においていた自転車にまたがって帰っていくのを角野潤は見送った。すくなくとも階段下から玄関までのあいだは警戒する必要がないようだった。佐伯弘貢は家の近くまで帰ってくると自転車をおりて暮木ミゾノに電話をかけた。なんとなく歩きながら話したいとおもった。
暮木ミゾノとの通話はまるでこれまでとかわらなかった。リュージがまた馬鹿らしいことをいってサトミとアタシを笑わせてくれたと話したり、悪意のない冗談とかを口にしたりした。
元気そうな暮木ミゾノの声が聞けて佐伯弘貢は安心した。




