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実験の授業のときか掃除当番でもない限り、ふつう生徒は化学室へはいることなんてない。暮木ミゾノは一年次以来だと化学室にはいってつぶやいた。
教壇にいちばん近いテーブル席に三人はついた。佐伯弘貢と暮木ミゾノがならんで座り、角野潤が向かい側の佐伯弘貢の正面に座った。
「私が弘貢くんの分までお弁当をつくってきたからといって怒らないでね、暮木さん。彼は私の頼み事のせいでお弁当をつくってもらう余裕がないの。だからこれはせめてものお礼なの」
そう前置きして角野潤は弁当包をひらく。幾何学模様で花柄をあしらったもので、カラフルな色遣いがステンドグラスをおもわせた。小学生が遠足にもっていくような小ぶりな弁当箱がふたつあらわれる。暮木ミゾノは自分の弁当箱の包の結びめを指先でいじりながら、頼み事ってなんなのと聞いた。角野潤は弁当のひとつを佐伯弘貢へ差しだしながら、ボディーガードだと答える。
「なにそれ。昔の映画にそんなタイトルあったけれど」
「そうなの? 物知りなのね、暮木さんって」
暮木ミゾノはいっこうに弁当包をほどかないで結びめをいじり続ける。角野潤から弁当箱を受けとった佐伯弘貢も、目のまえにおいたまま手をつけない。角野潤は蓋をとっていただきますと言う。そぼろご飯のようだった。おかずには半熟の煮卵が見える。
「それ、角野さんの手作りなの? 卵料理ばっかね」
暮木ミゾノの言葉に角野潤はうなずく。
「ボディーガードってなんなの。なんでそんなVIPな待遇をしてもらわなきゃならないの。なんでそれがツグなの」
暮木ミゾノはうんざりするぐらい覚えた規則を復唱するような投げやりな声で質問を重ねる。たいした答えが返ってくるとはおもっていない聞き方でもあった。
「答えてもいいけれど、それよりも、お昼を食べましょうよ。昼休みなんてあっという間よ」
「あなたの言うとおりよ。だから答えて」
角野潤はそぼろご飯を箸で口もとへ運ぶ。暮木ミゾノは結びめをいじるのをやめた。手を机におき、一度二度と深呼吸する。三度息を吸いこんだとき、佐伯弘貢がその手に触れた。暮木ミゾノは眉をしかめて佐伯弘貢に顔をむける。佐伯弘貢は彼女の手に過度な力がこめられているのがわかった。その力でなにをしようとしたのかはわからなかったし、わかりたくもなかった。ただここで角野潤がほんとうに頼みたいことをはっきりとさせなければならないと感じた。
「僕からも頼む。角野さんはいったいなにを恐れているんだい? なんのために僕にボディーガードを頼んだの? ほんとうにきみが頼みたいことはなんなんだ?」
角野潤は口もとからはなした箸を一度ゆっくり開閉させた。それから顔を伏せ気味にすると、弁当箱の縁に箸先をあててこつんこつんと叩きはじめた。
「私には友人がいるの」と単調なリズムのなか、気だるげに角野潤は口をひらく。「でもその子はすこし困った状況に陥っていてね。どうにかしてあげたいんだけれど、どうにも私の力だけじゃナミを助けられそうにないの」
「ナミ?」暮木ミゾノが角野潤の口にした名をつぶやく。その瞬間、角野潤は暮木ミゾノのことを一瞥した。鋭い眼光には敵意のようなものがにじんでいて佐伯弘貢は困惑した。暮木ミゾノも同じように捉えたのか、彼女の手にこめられている力の種類がすこし変化した。
暮木ミゾノが怯えていると佐伯弘貢にはわかった。彼女が手にこめたのは、自己防衛のために内にむいた力だった。




