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角野潤の家へむかうのにバスを使う必要はなかったが、せっかく定期券があるのだからとバスにした。九月の終わりが近づいても三〇度近い天気であることも、自転車を漕ぐことをためらわせた。
一五分ほどで昨日も一昨日も下車したバス停につく。休日だからか、このバス停で降りる人はおおかった。乗車中の車内にはひそめられた興奮がただよっていて、佐伯弘貢はなかなかその空気になじむことができなかった。
下車した人のおおくが近くの横断歩道へむかうのとは反対に、佐伯弘貢は団地へ続く畦道をひとり歩く。
歩きながら、いったい角野潤はなにをおそれているのだろうかと考えた。
もしも学校内もしくは学校周辺に危険が潜んでいるのならば、学校内と登下校時に危険があるはずだ。バスで一五分もはなれている自宅付近まで危険が及んでいると考えるのは、いささか警戒心が強いと感じる。そうさせるのはどういう不安なのだろう。
考えつくのは、学校のなかに角野潤に危害を加えうる人物がいるということだ。あまり佐伯弘貢にとって気持ちのいい考えではなかったが、一つひとつ検討していけばその可能性が判然とする。
もっともひっかかったのが、教室のなかでさえ角野潤は自分のことを見守っていてほしいといったことだ。教室内にはいれるのは生徒か教師のみなのだから、彼女が接する相手はかなり限られる。
畦道が終わって団地の敷地内にはいる。角野潤についてくるときはいつも閑散としている駐輪場だったが、今日は溢れるほど自転車が停まっている。団地と団地とのあいだのスペースで、ここに暮らしているのだろうか、こどもたちがあつまって楽しげに話している。
角野潤の家の玄関が見えるあたりまでくると、ちょうどその扉がひらいて彼女が姿を見せた。バスのなかでおおよその到着時間をメールで伝えていたから、それを参考にでてきたのだろう。佐伯弘貢は彼女を見あげる。目にはドアを閉める彼女の横顔が写る。彼女はおだやかな目つきをしていた。
ドアノブを握ったまま静かに角野潤はドアを閉める。身を返して通路の柵から下を見下ろすと、敷地内を歩いてくる佐伯弘貢を見つけたので自然と微笑をうかべていた。それから通路の左右を交互に見る。通路には彼女以外にだれの影もない。深く息をはき、夏とも秋ともいえない空気を吸いこむ。
階段をおりたところで佐伯弘貢は待っていた。
「おはよう」
「おはよう」と返す佐伯弘貢の表情はあまり冴えていなかった。彼のそうした考えこむ表情を見ているのはおもしろくあった。とはいえずっとそんな顔つきにさせておくのも忍びない。いや、それはそれで魅力的な話なのかもしれないとおもって角野潤はひとり頬笑んだ。なにかおもしろいことでもあったの? と問われて首を左右にふる。
「それで、今日はどこへいくんだい?」
佐伯弘貢が今日の呼びだしについて全面的に納得していないのは感じとれた。それはそうだろうと角野潤はおもう。そしてきっと、自分のひと言でさらに彼は困惑するのだと確信する。
「すぐそこのショッピングモールへ」と角野潤はいう。佐伯弘貢は想定内だというふうにうなずき、なにをするんですかと真面目な顔をしてたずねた。
「もちろんデートです」と角野潤はいう。
佐伯弘貢は彼女がおもったとおりの表情をうかべた。




