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レモンイエローは夜だけ繋がる  作者: 綾沢 深乃
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「一章 土曜日、最後の一時間」

はたから見たら、こいつら何やってるの? って思うでしょう。ですが彼らは彼らの中で頑張っているのです。

どうか、暖かい目で見守ってください。

「一章 土曜日、最後の一時間」


 十月中頃の土曜の夜。現在の時刻は二十三時。

 塚野孝一は、デスクのスタンドライトだけが光源となっている自室のイスに腰を下ろしていた。薄暗い部屋で、壁掛け時計の時刻を何度も確認し、二本の針の位置を目に焼き付ける。

「……よし」

 小さく声を出して緊張を解すと、孝一は二つ折りの携帯電話を開いた。電話帳から、成瀬香澄を選択して、発信ボタンを押す。通話音量を最大に設定しているので、耳元に近付けなくても、開いた状態でデスクに置くと、コール音が部屋中に響く。

コール音が五回目に差し掛かったところで、単調な電子音が人の声に切り替わった。

 孝一は、ここで初めて携帯電話を耳元に付ける。

「はい、成瀬です」

「もしもし、塚野だけど」

 非通知で発信していないので、相手の携帯電話には、発信者の名前が表示されるのだが、孝一は毎回出だしに自分の苗字を言っている。変だと自覚はあるが直さない。

「こんばんは香澄」

「うん、こんばんは孝一君」

「今、時間大丈夫か?」

「勿論、大丈夫だよ」

 土曜日の二十三時には必ず電話をすると決めている以上、時間を前以て準備しているのは当たり前だが、これも苗字と同様に孝一は毎回聞いていた。

 慎重を重ねるのは、彼が万が一を恐れているからである。

「最近、急に寒くなったよね」

「先月まであんなに暑かったのに。いきなりからな、そろそろベストが必要になってくる」

「孝一君は今年もあのベスト?」

 あのベストとは、去年の丁度今ぐらいの時期に、香澄と買い物に行った際購入した物の事だ。学校指定のとは違うが、色合いは基準をクリアしている。

 その為、教師から特に文句を言われない。孝一の好きな茶色のベストだ。

「ああ、特に変える理由もない。どこか破れてる訳じゃないし」

「そっか。あの焦げ茶色、孝一君に似合ってたもんね」

「だろ? 俺も気に入ってる。そっちはまた、灰色のカーディガン?」

「うーん、どうしようかなぁ。あれ着ると制服の袖にたくさん毛玉が出来るの。着替えの時とかに地味に嫌なんだよね」

「へぇ、そうなんだ。何でだろうな」

「安いからでしょ? 麻衣ちゃんのカーディガンは上等なヤツなんだけど、それは毛玉が全然付かないって言ってた。やっぱりそういうトコに値段の差が出るんだよ」

「成程」

 上等な服なんてデザインとブランド料で高価なだけと考えていたが、そういう違いもあるのかと、孝一は今の話を聞いてそう思った。

「今年は違うの着るかも。皆で買いに行くって話を前にしてたから」

「わざわざ皆で買いに行くのか。それこそ、学校指定じゃダメなのか?」

 自分の事は棚に上げて、孝一は疑問を投げかける。すると、香澄の反論が携帯電話から聞こえた。

「ヤダ、学校指定のダサいもん。胸に校章の刺繍が入っているし、襟のラインは色が好みじゃないし。あんなの着てたら、馬鹿にされちゃう」

「女子って大変だ」

 学校が生徒に用意した服を着ていたら馬鹿にしまう。

孝一は去年、学校指定のベストを着ていた女子の面子を思い出す。

確かに、着用している連中は、クラスに溶け込んでいるとは言い難い。

それに一緒に買いに行く時点で、それまでに欲しくなっても、勝手に買えないようになっている。

個人行動は許されない、全員一列に並んで歩くシステム。

「大変ですよ~。その点、男子諸君は羨ましい」

「流石に、男同士でベストを買いに行ったら変だろう。逆に皆から馬鹿にされるな、きっと」

 友人と行く店なんて、書店かゲーム屋くらいで、間違っても学校で着るベストなんて買わない。服はいつも一人で気に入ったのを買っている。

 孝一がそう考えていると、彼の言った場面を想像したのか香澄が笑った。

 耳元で聞こえるクスクスと笑う香澄の声。

 携帯電話からは息遣いは感じないのだが、孝一は何故かくすぐったくなった。

 彼女の吐息を脳が記憶していて、その感覚を無意識に再生しているからだろうと思う事にする。

「ところで、孝一君は志望大学ってもう決めてたりする?」

「全然。欠片も決めてない」

 高校に入ってまだ二年目だ。去年は中学と比べて格段にレベルが上がった勉強や初めての電車通学に苦労させられて、気付いたらあっと言う間に終わった。

一年間かけて、ようやく今の環境に頭と体が慣れたばかりと言うのに、もう大学入試と言う言葉が出始めた。

 中学時代に想像した高校生活と、実際に体験する高校生活では、一日の再生速度が全然違う。

「大体、大学の名前だってそんなに知らないし」

「あっ、それ私も同じ。教室に大学案内本が置いてあるけど、あんなに分厚いなんてびっくり。あれじゃ辞書だよ。中に細かい字で、これでもかってぐらい大学が書いてあるしさ。日本ってあんなに大学があったんだって思ったくらい」

「俺も案内見たよ。五ページ程パラパラ見て、面倒になったから戻したけど」

「高校はそこまで選択肢が多くなかったよね? 名月高だって毎年、ウチの中学から何人か行ってるから知ったんだもん」

「大学は一人暮らしも視野に入れるから、全国どこでも平気なんだろうな。俺の周りはそれが目当ての奴いるよ」

 都会の大学に通って、一人暮らしして、オシャレなバイトして、可愛い彼女作って。みたいな話を最近、放課後に四人で入ったファーストフードでしたのを孝一は覚えている。興奮した様子で話す飯田を内心馬鹿にしながら聞いていたので、それが顔に出ないよう、彼が話す時は絶えずストローを咥えていた。

「私の周りにもそういう子いるよ、考える事は皆同じだね」

「この時期の高二なんてまだそんなもんだろ? むしろ来年の大学受験より、去年の高校受験の方が身近に感じる」

 孝一は話しながら飯田の顔を思い出す。きっと彼はまだそこまで大学受験を身近に感じていないのだ。その証拠にあの時、彼の口から出た大学名は聞いた事のある有名な大学ばかりで、あの大学案内本に細かい字で載っていたような大学は一切出て来なかった。

恐らく飯田はあの大学案内本を開いてすらいない。

だから、自分の頭で勝手に作成した大学生活を語っている。 

 どうやら馬鹿ではなく無知のようだ。孝一は飯田の考えを再認識して、小さく溜息をついた。小さくしたので、香澄には聞こえていないつもりだったが、どうやら聞こえてしまったらしく、彼女は急に小さな声量になる。

「こんな話、嫌だった……?」

「そうじゃない。大学案内本を思い出したら、勝手に溜息が出ただけだから」

 思い付いた適当な嘘で話を誤魔化す。孝一の自覚している嫌な癖だった。

 その後も香澄との話は続く。

 内容はどれも些細な事。学校での一日や、最近の変わったニュース。読みたい本の話題(これが一番今日、孝一が話したかった内容)等で毎日顔を合わせていたら話す必要はない。しかし、孝一と香澄はそうじゃない。故に、彼が話す内容は必然的に誰かに話した内容の焼き増しが全体の三割を超えてしまう。

 それは香澄ならどんな反応を示すのか知りたいからであり、何も最初から最後まで同一の内容ではなく、多少味付けを変えてある。

一方、香澄からの話題は孝一のように焼き増しではなく、現在の自分の考えや悩みが多い。

 香澄との関係が、そうさせるのだと、孝一は考えていた。だが、最近それだけはないと知った。近頃の香澄は、同性はともかく異性と話す際、相手に話をさせるようになったらしい。

 その事実を孝一が知ったのは、呆れる程本当に最近だった。

 香澄が行っている相手に話をさせる技技は、副産物として聞き上手で控え目だと好印象を生んだ。

 よって、本人の知らぬ場所で男子のちょっとした人気を獲得してしまい、突如注目を集めて価値が高騰する株の銘柄のようになっている。

 体育の着替えの時間に更衣室で聞こえる他クラスの男子の話に、馬鹿馬鹿しいと思いつつ、それを知ったのだった。

 壁掛け時計が指す長針の位置は、残り五分を切っている。

 早口で話せる話題は、後一つが限度。

 短針が十二時になったらこの電話は終了となる。まだ話したい事は幾つかあったが、どれも話している途中で終わってしまう。

「今日の電話はここまでかな?」

「だな、俺も同じ事を考えてた」

 これ以上話したら制限時間を超えて日曜日になると互いに考えていた。途中まで話す事は不可能ではないが、それは後味が悪いだけで、効果的ではない事を孝一は身を以て知っている。

「キリも良いし今日はこれでバイバイしよう」

「そうだな、良い時間だ」

 終わりを告げる会話の始まりはいつも香澄からで、これが出たら孝一は素直に従う。

「じゃあまた、来週ね」

「次はそっちからかける番だからな。忘れるなよ」

「忘れませ~ん。それでは、おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

 寝る前の挨拶が交わされると、孝一の携帯電話から香澄の声は聞こえなくなった。表示される通話時間は五十八分十五秒。まだ二分弱残っているじゃないかと、損をした気分になるが、すぐに頭を切り替えて二つ折り携帯電話を閉じた。

「ふぅ~」

 イスに座ったまま背筋を伸ばして肺に溜まった息を吐く。

 今度香澄と会話出来るのは一週間後だ。もし、世界が次の土曜日までに終わってしまうとしたら、もう彼女の声は聞けない。そう思うと、一週間がとても貴重に感じる。 

 深夜帯のせいか、それとも最近読んだ本の影響か。柄にもなく、ついそんな奇妙な事を考えた。

 自嘲的に笑いを浮かべて、孝一はスタンドライトを消す。光源の失われた自室は一瞬で夜になる。立ち上がり、体で覚えているベッドの位置まで辿り着くと、倒れ込んで、頭を枕に沈める。手探りで充電ケーブルを掴むと、携帯電話の充電口に差し込んだ。ピロンっと音がして、赤いランプが点灯する。

 二つ折りの携帯電話を開き、液晶画面の強烈な光に目を細めながら、明朝のアラームをセットする。セットしたら、すぐに携帯電話を閉じてサブディスプレイの余計な光が出ないよう本体を裏返しにした。

 最後に、エアコンのタイマーをリモコンでセットする。まだ暖房には少々早足だが、夜になると気温が下がるので、ほんの少し、一時間程度のタイマーだった。

 瞼の裏側の視界と、スタンドライトを消した視界に大した違いはない。

 眠りに落ちる数分の間、孝一は香澄の事を考えていた。彼女と今の関係は誰かに話してはいけない。それは悪い事だからだ。

自覚があるからこそ、孝一は自分の中にある罪悪感をはっきりと見る事が出来る。

ところがそれは、困った事に電話をする前になると、途端に見えないくらいに小さくなってしまう。

電話が終わってから、息を吹き返したかのように大きく膨らみ始める罪悪感を見えないふりをして目を瞑った。

 見えないふりをする理由は、呆れる程単純明快、明日の予定にある。

 孝一はまた溜息をつく。もう今日の溜息はこれで終わりにしたい。

 そう願う孝一の意識はゆっくりと落ちていく。

 夢へと出発する列車に乗る直前、罪悪感と言う名の切符を手に持つ孝一は、明日会う相手の顔を思い浮かべていた。

 明日会うのは香澄ではない。

 今、孝一が付き合っている一つ歳」下の彼女、新城結衣。

 頭に浮かび上がる彼女の表情が、笑っているか怒っているかを確認する前に、孝一を乗せた列車は、夢の中へと出発して行った。

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