開戦前夜と戯れて675
たかさん曰く。
「ガイア理論の地球神に慈愛の心があると全的に感じ取れば、帰納的に人間存在の唯物論的貪欲強欲差別偏見贅沢三昧奨励構造意識は氷解して、無に帰すという事ですね?」
あちきは答えたのであリンスね。
「そうだね」
と言ったのであリンスが、諸兄よどう思う?お笑い草か?ほほほほほほほほほほ(^-^)/(^-^)(^-^)/(^-^)(^.^)(^-^)/(^-^)(^-^)/(^.^)(^-^)/(^-^)(^-^)/(^-^)(^.^)(^.^)(^-^)/(^-^)(*^^*)(^-^)/(^-^)(^.^)
あちきは言ったのであリンスね。
「心は目に見えず、だが心は無いが矛盾して確かにある存在で、人間同士の関係、交流に欠かせないものならば、その無いがある心が一握りの石ころに在っても何らおかしくは無いわけで、その石ころのマクロ版が地球の心であるならば、その構成要素が慈愛ならば、人間存在は石ころの心を掴めない分、その欠如分が慈愛の欠如という事になるのだよね、たかさん」
たかさん曰く。
「量子論の解釈問題で、あるが無い波の存在が、単純明解神の慈愛であるという論理ですね?」
あちきは言ったのであリンスね。
「そうだね、それを帰納すると、そのままガイア理論の地球の心が具体的に無いがあるという措定は出来るわけだよね。だから量子論の解釈問題の波の存在を神の慈愛と捉えれば、万物に慈愛の心はあり、それを尊重する意味で人間存在の片手落ちの唯物論的貪欲強欲差別偏見贅沢三昧奨励構造意識システムは氷解するわけだよね。たかさん」
たかさん曰く。
「ガイア理論の地球神に慈愛の心がある事を全的に感じ取れば、帰納的に人間存在の唯物論的貪欲強欲差別偏見贅沢三昧奨励構造意識システムは氷解して、無に帰すという事ですね」
あちきは答えたのであリンスね。
「そうだね」