開戦前夜と戯れて472
「神の一元論的永遠性慈愛に到達する為の祈り瞑想には限界は無いと思うのだよ、たかさん」
たかさん曰く。
「祈りを深めて神の慈愛と一体化して、長年の因縁、怨嗟憎悪を埋め合わせて相互理解するしかないというのですね?」
アチきは答えたのでありんすね。
「そうだね。信仰の原理原点に帰って、皆神の本には平等だという見地から断層を埋め合わせて行き、相互理解するしかないと思うのだよ、たかさん」
と言ったのでありんスガ、諸兄よどう思う?お笑い草か?ほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ(^-^)(^.^)(;>_<;)(ToT)(^_^)(^.^)(;>_<;)(ToT)(^-^)
たかさん曰く。
「神の教えをねじ曲げて、戦争や聖戦などをして殺し合いをしているのが、二元論的存在である人間存在の確執ならば、その長年に渡る殺戮合戦の因縁、怨嗟、激しい憎悪を埋め合わせる方法はあるのでしょうかね?」
アチきは答えたのでありんすね。
「創造主を祈る者同士、原理原点に帰って、神の永遠性の前にひれ伏して、神の下部の見地から、相互理解を深めるしかないと思うよ、たかさん」
たかさん曰く。
「でも人間存在は死ぬ存在ですから、神の永遠性の境地に至る事能わすで、完璧からは程遠い二元論的対立概念存在ですから、その限界を突破する事は出来ず、相互の断層を埋め合わせて、理解する事など不可能でしょう」
アチきは答えたのでありんすね。
「祈りや瞑想を深めて、神の原点原理に少しでも近寄るしかないと思うのだよ、たかさん┅」
たかさん曰く。
「でも二元論的人間存在は、神の一元論的慈愛永遠性に到達する事は、逆に言えば時空間の干渉に阻まれている肉体には無理でしょう?」
アチきは答えたのでありんすね。
「神は進んで二元論的な人間存在と一体化する事はしないけれども、逆に人間存在は、神の永遠性を希求するのが宗教の本質だから、その祈りに限界は無いと思うよ、たかさん」
たかさん曰く。
「祈り瞑想を深めて神の慈愛と一体化して、怨嗟憎悪の断層を埋め合わせて、相互理解するしかないという事ですか?」
アチきは答えたのでありんすね。
「そうだね」