神様との日常
『日常』、こんな言葉がある。
日々の生活の中で繰り返される動作や習慣、そういったもののことだ。
『非日常』、こんな言葉もある。
日々の生活の中では体験できないような場面や状況、そういったもののことだ。
なら、『非日常』な生活を送り続けたら、それは『日常』なのか、『非日常』のままなのか。
答えは人それぞれだろう。
都会で暮らす人間が、未開の地で暮らしている人間の生活を見れば、自分にとってそれは『非日常』と思うだろう。
未開の地で暮らす人間が、都会で暮らしている人間の生活も見れば、自分にとってそれは『非日常』と思うだろう。
どんな『日常』も、他人から見れば、『非日常』になり得るのだ。
そして『非日常』も、繰り返し続ければ、『日常』になり得るのだ。
「――――ってのを書いてみたんだけどどう? 神様」
囲炉裏のそばで、ししゃもを頬張りながら鍋の様子を見ている神様に、書き上げた原稿用紙を見せる。
「んー? なんじゃこれ、『日常と非日常の違い』? なんか難しそうじゃし読みたくないのじゃが」
ししゃもの尻尾がはみ出したままの口で、もごもごと答える。
こんなちまっこいのでも神様だというのだから驚きだ。
ピンとした狐耳やふわふわの尻尾を生やし、
夕陽を浴びた稲畑のように光る金色の髪をなびかせ、
朱の紡糸で紡がれた白無垢の着物を羽織っていても、
口からはみ出ている尻尾のせいで台無しだ。
「そもそも、なぜこのようなものを書いたのじゃ、らしくもない。おぬしはもっと能天気なほうが似合っておるぞ」
ヒラヒラと原稿用紙を振りながら呆れたようにため息をつく。
「うっわひでぇ、それでも神様かよ」
確かにこんなことを思ったのも、書いたのも、生まれて初めてだ。『日常』の中に『非日常』が混じっても、『非日常』が『日常』に変わるなんて思いもしなかった。
「まぁ神様の言う通り俺には似合わないかもね。でも、今はそれどころじゃないよ神様」
グツグツと煮えたぎる鍋を指さしながら、鍋奉行を進んで、というか、「我に任せよ!」と自信満々に言い放った神様に悲惨な状況を教えてあげる。
「ん? なんじゃ、まだ鍋はできとらんぞ……って、うおぁ!? 吹きこぼれとるではないか! あっ、ししゃもは倒れて灰まみれに! おぬし、そこの皿を取ってくれ! あ゛っつ!? ししゃもあっつ! おい! おぬしも座ってなどいないではよう助けんか! 鍋が不味くなってしまう!」
「そりゃ困る、今行くから待ってて」
ふーとかぎゃーとか言っている神様を眺めているのもいいが、鍋が不味くなるのはいただけない。
くだらない話より、鍋のほうが大事だし。
そう、俺には似合わない。
俺の『日常』がどんなに変わっても、結局『日常』には変わらないのだろう。
目の前でどたばたしている神様を見ながら、そう思った。
元々は長編用のプロットを使って書いてみました。
いずれ長編として書きたいです。