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茨木童子異聞:衝

 叔父さん、こちらのお二人が茨木童子について知りたいそうなんで、よかったらいろいろ聞かせてもらえないかな?

 うん、じゃあ私は店がありますんで。いえいえ、どうぞごゆっくり。



 しかし、今どきの人にしては珍しいですな。いや、これは失礼。悪い意味で言ったつもりはないんです。ただ、このあたりでもきちんと茨木童子について知ろうという人っていうのは、世代が下がるごとに珍しくなるものでしてね。すこしでも、あの子のことを分かってもらえたなら、私としても嬉しい限りです。


 さて、茨木童子についてでしたね。まずは何から話しましょうか・・・えっ?出生からですか?えぇ、構いませんとも。

 あの子はとても難産でした。まぁ男の私にできることなんて何もなかったので、当時住んでいたボロ屋の前でウロウロしながら気を揉んでいただけなんですけどね。ただ、介添えの婆さんが言うには、10月ほどで生まれてくるはずの子が、さらに6月ほどかかぁの腹ん中に、居座ってたみたいで、そりゃおったまげたそうです。私もね、赤ん坊の鳴き声が聞こえないどころか初めて聞く笑い声と、かかぁの引きつったような悲鳴を聞いて慌ててボロ屋に飛び込んだんですが、我が目を疑いましたよ。そこにいたのは生えそろった歯でへその緒を噛みちぎり、部屋の中を歩き回りながら、時折かかぁを睨むように見ては笑い声を上げる・・・まさしく鬼子でしたから。

 えぇ、難産の上にようやっと産み落とした子が鬼子でしたからね、かかぁの落ち込みようは言葉にできるもんじゃありませんでした。呆けたように何も言わず、自分では飯も食わなきゃ水も飲まない、そんなふうになってあっという間におっ死んじまいました。

 私もね、産後のひだちが悪くてとかそんななら、あの子を大事に育てたと思うんです。でもね、あの時はたた怖くてね。えぇ、それでも自分の手であの子を殺めることはできませんでした。いくら恐ろしくても我が子ですからね。私に出来たのは、眠っている隙に隣村にある九頭神の森の近くにあの子を置いてくることだけでした。えぇ、その時は本当に恐ろしくて仕方がなかったんです。あそこならすぐ近くに髪結い屋もありましたし、それなりに人も訪れましたので、運が良ければ助かるやも・・・と。


 えぇ、おっしゃるとおりです。私はあの子から逃げたんです。ですがあの子は幸運でした。いえ、もしかしたら不運だったのかもしれませんが、その時は幸運だったのだと思いました。

 髪結い屋は子がなかったのでそのままもらわれて、髪結い屋の子として育てられました。とは言っても、髪結い屋もあの子を持て余したようですが。なにせ見る見るうちに大人よりも大きくなり、力も村一番になったそうですから。

 それでも、髪結いの仕事を教えこむとだいぶ落ち着きを得たようでして、なかなか真面目に励んだそうです。若くても腕が良ければ評判になります。それ見上げるような巨躯に鬼のような強面でも変わりません。むしろ、その見た目の怪異さと真面目な仕事ぶりの差が、なお評判を得たのかもしれません。

 しかし、同時に悪い噂も聞こえてまいりました。あの子が剃刀を扱うとよく小傷を作ると。傷自体は大したものではなかったそうです。僅かに血がにじみ、それも拭えばすぐにおさまるほどだとか。後に髪結い屋に近い者から聞いた話では、あの子はどうも、その拭った血を舐めていたようです。

 髪結い屋もそのような悪癖があってはよろしくないと思ったのでしょう。何度も厳しく叱りつけたそうです。それも当然でしょう、髪結いがわざと客を傷つけ、血を啜っているなどと噂がたてば、あの子だけでなく一族郎党全てに罪が及びかねませんからね。

 何度叱られても衝動を抑えきれなかったあの子は、時に河原で一人佇んでいたそうです。衝動に耐え切れなかった己を悔いたのか、叱られるのを理不尽と感じたのかはわかりません。ですがその時は、じっと水面を覗き込んでからゆっくり顔を起こすと、北へと向かって駈け出しました。その姿を見たものの言によると、まるで赤鬼の如き形相であったと。おそらくはその後、丹波の方へとむかったのでしょう。

 はい、その場所が茨木童子貌見橋と呼ばれております。今となっては高橋でしかありませんが、当時は小川であったと伝えられております。


 あの子が姿を消してしばらくは、噂を聞くこともありませんでしたが、2年もするど大江山に住まう酒呑童子と言う鬼の元にいるらしいと風の噂で知りました。私は、無事でいてくれたことに喜ぶ反面、鬼と共に人様にご迷惑をおかけしていることへの悔しさもありました。

 それからしばらくして、私は病で床に伏せる日々が続いていました。ちょうどその頃、京で鬼が出たと騒ぎがありました。その時は詳しく聞けなかったのですが、どうやら渡辺綱と言う武士が手傷を負わせて追い払ったとか。周りの者はやれ、これで少しは静かになると安堵の息を漏らしましたが、私もしやあの子が・・・と床の中で1人悩んでおりました。

 そんなある夜、私は小屋の周りを歩き回る足音に目を覚ましました。確か、京噂を聞いてから7日ほどたっていたと思います。普段であれば、私も声をかけるかどうかなのですが、その時はなぜか行灯に火を灯してから声をかけました。すると、そこにいたのは茨木童子・・・あの子でした。赤ん坊の頃に私が捨てたきりとは言え、見間違うはずもありません。なぜ・・・その一言しか言うことができませんでしたよ。

 あの子が言うには、「酒呑殿と過ごしおれば僅かながらも神通力を得たり、この摩訶不思議な力にて父御の病を知りたれば、せめて見舞いだけでもと思い馳せ参じもうした。」と。私は嬉しいやら驚いたやらでただただ涙を流しておりました。捨てられた恨みを欠片も見せず、それどころか見舞いにまで来てくれる。本当に私には過ぎた子でした。だからこそ私は、「捨てた親を恨むことなくよくぞ看病に来てくれた。だが、お前が世間を騒がせ他人様に迷惑をかけたことは、この村の衆も知っている。ならばこそ、そのような者は我が子ではない。夜の明けぬうちに疾く去るがよい。」と告げました。

 酷い親だとお笑いください。2度も我が子を捨てた私こそ、本当の鬼畜生でしょう。ですが、あの子が村にいてはすぐに誰かしらの口に登ったでしょう。そうなれば恐らく追手がかかります。この村で追手がかかれば、きっとあの子は逃げられません。下手をすれば私や村の衆に害が及びますから。そして、捕らえられれば間違いなく二度と会うことはできなくなるでしょう。ですので、あの時はあれで良かったのだと思っています。


 その後、幾年かの月は流れ大江山の酒呑童子が源頼光様ご一行に成敗さりたと聞きました。その中にはあの子も入っていたとききました。結局、私の考えは間違っていたのかもしれません。ですが、最後まであの子がしたいように生きられたのであれば、私にとっては何よりの救いです。


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