酒呑童子異聞:衝
第2幕(本編)となります。
拙い話しではございますが、どうぞご容赦くださいませ。
あれはもう幾年も昔の話にございます。京の都に天子様がおわしましたとは言え、相次ぐ飢饉や戦に民は皆苦しみ、体の弱い者から倒れ、辻辻にも死体が溢れている・・・そんな頃でございました。
私も今では老いさらばえておりますが、その頃は花よ蝶よと囃される小町の一人でございました。とは申しましても、その頃の器量よしと申せばやはり、池田の中納言くにかた様の姫が真っ先に挙げられましょう。私などは所詮、民と変わらぬ下級貴族の娘でございます。女衆1人満足に雇うこともできず、母や私が家内を取廻しておりました。その頃の私の家は、祖父母に父母、兄が2人に私、そして幼い弟の8人暮らしで、どうにか慎ましやかではありますが幸せな日々でございました。
されど巷では、やれ一条戻橋に鬼が出た、大江山の鬼が器量よしも攫うておると不穏な噂ばかりが流れ、まさしく世も末と言ったある日のことでございました。
その日、私は父や兄と共に花見の宴に混ざっておりました。久方ぶりに空は青く晴れ渡り日も暖かく、私などは時を忘れて楽しみすぎて、つい微睡んでしまいました。
そんな折、わぁっと一陣の風が吹き抜け、私の体を持ち上げて運んでゆくではありませんか。いきなりのことに誰も彼も、私すらも声を上げることすらできず、気がつけば私は都を遠く離れた山の中に寝かされておりました。
気づいた時にはすでにあたりは誰そ彼時の薄闇に包まれており、私の周りには幾人かの人影に囲まれておりました。その中の1人、まさしく天を衝くほどの大きな男が私の方に近づき、「女房殿、我らはこの山に住まう者よ。すでに都は遠くここまで訪う者も今はない。我らが送ろうとも、都の衆は我らを鬼と呼ばわりて女房殿もろとも討ち滅ぼさんとも限らぬ。不憫ではあるが、我らと共にこの山にて静かに暮らされてはいかがか?」と申してまいりました。
私にもすぐに、彼の者たちが大江山に住まうと言う鬼たちであろうと気づきました。されど、女子の細腕で如何に抗うことができましょうや。私に残された術はただ、おとなしく鬼たちに捕らわれ、その身を慰みものにされるほかなしと諦めることだけでございました。
男たちに案内されたのは大きな屋敷にございました。そう、例えるのであればまさしく天子様か大納言様のお住まいになられる御殿のような、大きな大きな屋敷でありました。ただ、私の知るお屋敷や御殿との違いは御門も板塀も全て鋼にて打ち付けられていたことでしょうか。もちろん中のお屋敷も鋼で打ち付けられており、男衆は鋼の御所と呼ばわっておりました。お屋敷の横手には谷川が流れ、山に囲まれたお屋敷でしたが、四季折々に見えるその景色は都では味わうことのできぬ風情を感じられたものでした。
お屋敷には幾人かの女子衆がおりました。聞けば私のように神かくしにあった女子を見つけてはお屋敷に連れてゆき住まわせておるそうで、女子衆も強いられたわけではなく自ずからお屋敷の中を取り回していたそうです。その中には吉田の宰相の妹姫様もおられました。
私も、お屋敷にて幾日かお休みを頂いた後には、女子衆に混じっておりました。京にて噂となっていたような辱めを受けることも、その身を喰まれるようなこともなく、それどころかかえって煩わしい殿方がおられぬだけ気ままに過ごすことができました。有り体に申せば性に合っていたのやもしれませぬ。確かに朝餉夕餉の支度や洗濯などは男衆の数も多かったので大変ではございましたが、そこはそれ、同じようにお屋敷に住まう者同士の助け合いがございましたので。
そうこうする内に秋が過ぎ、山々が雪に覆われて年の瀬も押し迫ってきた頃でございました。男衆が私達と同じように山中に倒れていた女子を連れて戻られました。その方は、一目見てやんごとなきお方であると察せられるほどのお方で、私たち女子衆も雪に冷えたお体を温めたり湯の用意をしたりと、大わらわでございました。
その甲斐あってか、少しではありますがお話をされるまで具合も良くなられました。聞けばその方は花園の中納言の一人娘にあたるお方で、ある夜、眠っているうちに攫われてきたとのことでございました。
私達は男衆がそのような無体を働かぬという事を存じておりますし、花園の中納言の姫君にもそのことをお伝えし、もしお体の具合がよろしければ、少しだけ私達とお屋敷の中を取り回されてはいかがかとお伺いいたしました。私達の言葉をお聞き届けくださったのか、花園の中納言の姫君も朝餉や夕餉の支度から始まり、私達と同じように過ごされるようになりました。
それからまた時が過ぎ夏も間近になってきた日のこと、また新たな姫君が男衆に連れられてお屋敷に来られました。花園の中納言の姫君も大変器量よしと評判の姫君でしたが、この時にお越しになった姫君は京でも一番と言われる池田の中納言くにかた様の姫君でした。
池田の中納言くにかた様の姫君は、男衆を遠ざけるように女子衆の真ん中にお立ちになり、身の回りのことは全て、私達女子衆にお命じになってお過ごしになられました。特に、花園の中納言の姫君をお気に召したようで片時もそばを離れまいというご様子で過ごされておりました。
男衆でございますか?池田の中納言くにかた様の姫君がそのような暮らしぶりであろうと別段気にした様子もなく、それまでと同じように過ごしておりましたとも。その頃には私のような一部の女子衆は男衆とも懇ろになり、その身をもってさすったり愛撫したりといったことがありましたのも、自然の成り行きであったと思っております。
そのような時を過ごしつつ、気がつけば秋も深まってきた頃のことでございました。堀川の中納言の姫君がお風邪を召されてしまいました。私達も花園の中納言の姫君の時と同じように必死に介抱いたしました。その甲斐あってか、だいぶ持ち直されて具合の良い日などは布団からお起きになり、景色を愛でることもありました。
そんな何気ない日でございました。道に迷われた1組の山伏がお屋敷を訪れて1晩の宿を所望され、男衆は快くお屋敷を開け放ち私達に酒宴の用意まで請われるほどでした。私も、お屋敷に住まうようになってから初めてのお客様でしたので、男衆が喜び浮かれた気持ちがよくわかりました。聞けば、山伏一行は京の方より参られたそうで、私も含め女子衆も家族のことなどそれとなく聞き出していただけるようお願いしたほどでございます。
酒宴はそれはもう贅を尽くしたものでございました。仕留めたばかりの鹿の背肉を切り身にし、山伏一行に差し出しました。酒も僅かずつに作りおいていたものを惜しげもなく振る舞い、川魚や茸など京ではなかなか手に入らぬ物も山のように盛って広間に並べ、大いに盛り上がっておりました。
されど・・・宴も宵を過ぎ夜半にまで及んだ頃、全てが一変いたしました。
山伏一行は実は、源頼光殿の一団であり頭目であった男を真っ先に斬りつけました。普段の男衆であれば、野の獣よりも俊敏で力強くそのような時でも斬られることはなかったのでしょうが、その日はしたたかに飲み潰れ、抗うことも敵わなかったそうでございます。
頼光一行は酒宴の広間で眠りこけていた男衆を残らず斬り捨てると、騒ぎを聞きつけた屋敷内の男衆を子供であろうと構いなく、その刃を振るいました。その様はまさしく阿鼻叫喚そのもので、私達女子衆は御台の片隅にて抱き合って震えていることしかできませなんだ。
やがて夜も白み始めた頃、頼光殿は女子衆の元へと歩み寄り「姫君、もはや心配には及びませぬ。ささ、早く出て参られよ。」と声をかけられました。
私達女子衆には従うほか術などございませぬ。頼光殿に従いて御台より庭へと出てみれば、そこには手足を斬られ首を落とされて息絶えた男衆だった物が山と積まれておりました。
私達女子衆はただただ呆然とその様を眺めるほかはありません。私も、まるで夢でも見てるかのような心持ちでおりました。その時、門の方より数名の男衆が駆けてまいりました。その中には、茨木、かね、いくしまと言う名の偉丈夫もおりました。
茨木は「さても卑怯な輩よ。主を討った者どもよ。この茨木の手並み、見せてくれよう。」と大音響で名乗りを上げれば、「我こそは渡辺綱よ。我が手並みは知っておろう。存分に見せてくれる。」と渡辺綱殿が返し、一騎打ちが始まりました。
音に聞こえし茨木童子と渡辺綱殿の一騎打ちは幾合にも及び、まさしく互角に渡り合っておりました。されど、徐々にではありますが、茨木童子の方が優勢となりついには渡辺綱殿をその膂力で組み伏せようとしたその時、頼光殿が駆け寄り一太刀にその首を討ち落としました。はい、一騎打ちの作法をも無視した不意打ちにございます。
それを見たかね、いくしま両童子はたいそう怒り狂い「やれ、天下の無法者。卑怯者の極みよ。かくなるうえは主の首級だけでも奪い返してくれん。」と僅かな男衆とともに打ちかかりました。いくしま童子もかね童子も、他の男衆よりも頭ひとつは大きく茨木童子程ではないにせよ膂力も優れておりました。他の男衆も必死になって頼光一行に襲いかかり、最も小柄だった男が頭目の首を抱いて逃げました。もっとも、その者も逃げる際に背中に傷をおっておりましたゆえ、どこまで逃げおおせたのかは終ぞしれませぬが。
やがて逃げた者以外は、全て斬り伏せられ、辺りは再び静寂に包まれました。私達女子衆はもはや頼光殿御一行になされるがまま引き連れられ京へと戻ることになりました。
およそ二年振りの京の都はたいそう賑わっておりました。悪名高き酒呑童子を源頼光様の御一行が討ち滅ぼした。やれめでたやと、まるで山のような人だかりが一行を出迎え、御所では帝御自らが頼光殿にお声掛けをなされたそうです。
私達も無事に家に戻され、めでたしめでたし・・・とは参りませんでした。家に戻されたとは言え、およそ2年の月日は短いものではございませんでした。私は家ではまるで腫れ物にでも触るかのように扱われ、他家の女子衆からは好奇の目で見られる日々でございました。
しかし、それも時が経てば忘れられるのが世の常でございます。いつしか皆興味をなくし、気がつけば鬼に攫われた忌むべき存在だけが残っておりました。そうなれば人は変わるものでございます。それは家族であっても同じこと。嫁ぐことも叶わぬ身なれば、せめて家内の雑事を・・・とあれやこれやまるで下女のような扱いでございました。父母もまるで私などいなかったものとしているようで、ただただ苦しい日々、兄や弟が結婚するときなどはわざわざ屋敷からも追い出され、さりとて翌日には呼び戻されると言う事が続けば、私でなくとも世を儚んでも致し方ございません。僅か数年のうちに、大江山にて苦楽を共にした女子衆は1人また1人と世を去ってゆきました。
私ですか?私にはそのような勇気はございませんでした。ただただ恨み言を抱えたまま、過ごすことしかできません。
そうするうちに月日は流れ、祖父母が、父母が亡くなり、その頃には誰からも忘れてられた私のような者は追い出されるしかありませんでした。兄達にとっても私がいるのは、目の前に血を流すままの古傷があるのと同じことで耐えられなかったのでございましょう。
それからも流され続ける日々でございましたが、この宿に拾われてからはこうして朝餉夕餉の支度を任せていただき、まるで大江の山にいた頃のような懐かしい思いを胸に過ごさせて頂いております。
心残りでございますか?そうですね、強いて言うなればあの頃の女子衆、男衆とはもう会うことも叶わないことでしょうか。いえ、思い出は思い出のままにしておくのがよろしいかと。私も含め、生きていたとしてもすでに老いさらばえてしまっております。若かりし日の姿はなお、思い出の中に美しく残しておきたいものでございます。
さて、夜も更けてまいりました。長々と昔語りなどをいたしましたが、あまり長くしてお疲れになってもよくありません。ちょうど区切りもよいことでございますし、私はそろそろお暇させていただこうかと思います。いえいえ、どうぞお気遣いなく。
明日投降予定の第3幕で酒呑童子編は終了します。次はどの鬼にしようか迷い中だったり・・・。
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