天邪鬼異聞:衝
兄は生まれた時から体が大きくて、力も強かったそうです。あまりに大きいので年を言っても感じてもらえなかったこともあったとか。そんな兄が、子どもたちのまとめ役になるのも当然の成り行きでした。えぇ、今で言うガキ大将みたいなものです。
ほんとにやんちゃで手に終えなくて、イタズラ三昧でしたが、そんな兄にも一人だけ頭の上がらない相手がいました。えぇ、まだ兄が10かそこら、私も5つぐらいでしたけど、その人に会うたび、真っ赤になってたのをよく覚えてます。その人は村の庄屋さんの娘さんでとても歌が上手で機織りも上手くて、瓜子姫なんて呼ばれるくらい村でも有名でした。ただホントは結構お転婆で、兄をけしかけていろいろなイタズラをしていたんですけどね。
それこそ、肥溜めに川の水を引き込んで畑を1枚ダメにしたり、焚き火をしようとして小火を起こしたりなんてこともありました。あまりにひどいイタズラの時は兄も止めようとしたみたいですけど、最後はいつも押し切られて、そのくせ叱られるのは兄ばかりだったみたいです。えぇ、瓜子姫が叱られているのを、誰も見たことがありませんでしたから。
ある日、兄は庄屋さんのお屋敷にあった柿の木に登っていたそうです。それを見た瓜子姫も登ると言い出したので、兄は慌てて止めたそうです。その時は偶然、庄屋さんが通りかかったので瓜子姫もおとなしく引き下がったらしいのですが、それからは折あるごとに屋根や庭の木に登ろうと持ちかけました。もちろん、兄は止めていましたけどね。
そうこうする内に、瓜子姫に縁談が舞い込み、あれよあれよと言う間に、祝言の日取りまで決まってしまいました。そうなると、さすがに兄も庄屋さんのお屋敷には近づきませんでしたが、祝言の席で振る舞われる山鳥を届けるために、どうしても行かなくてはいけませんでした。今思えば、私が行けばよかったんです。あの時、遊びに夢中だった私はお使いを頼まれてもグズってしまい、そんな私を見かねて、兄が代わってくれたんです。それがあんなことになるなんて。
あの日、兄が庄屋さんのお屋敷に行くと、庄屋さんは席を外していたらしくお留守だったそうです。そこで仕方なく庭を抜けてお勝手に行こうとした時、庭の柿の木に瓜子姫が登っていたそうです。慌てた兄の声で、お屋敷は上へ下への大騒ぎになりました。それでも瓜子姫は止まりませんでした。いつしか屋根よりも高く、ほとんどてっぺんまで登り切ったそうです。そこで、初めて下を見て恐怖に顔を歪めたと言います。当然でしょうね。上だけを見ていれば気づかなくても、後のことを考えずに登れば、猫だって降りられずに難儀することがあるのに、ましてや脚立にすら登ったことのない瓜子姫がそんな高さまで登ってしまっては・・・。
そうそう、ご存知ですか?柿の木って、すごく簡単に折れることがあるんですよ。特に枝はちょっとした風でもポキって折れちゃうこともあります。
なぜそんなことを言うのかって?瓜子姫がしがみついていた枝が、ポキっと折れてしまったからですよ。いってしまえば自業自得なんですけどね。でも色々と間が悪かったんです。枝が折れたのはちょうど、庄屋さんが戻られて、騒ぎに気づいて庭に駆け込んだ時でした。そしてその時、兄は周りの人に言われ、瓜子姫を助けるべく中程まで登っていたんです。
落ちていく瓜子姫に向かって、兄は必死で手を伸ばしましたが、その手が届くことはなく、瓜子姫はそのまま帰らぬ人となってしまいました。私達は人から伝え聞き、不運なこともあるものだと思いましたが、それで収まらなかったのは庄屋さんです。亡くなった瓜子姫の亡骸を抱きしめて3日3晩泣き続けると、4日目の朝、兄を呼び出しました。ちょうどその日は祝言の日取りであり、じきに婿となる方も来られる時刻に兄は、瓜子姫の部屋に連れて行かれ、無理矢理に瓜子姫の格好をさせられました。私もからかうつもりで見に行きましたが、その時の兄の目は虚ろで、顔も血の気が全くないぐらいに真っ白でした。
それでも、いくら何でも兄が売瓜子姫に化けるのは無理がありすぎます。お屋敷に来られた婿殿はすぐに異変に気づかれました。そうなればもう大騒ぎです。事ここに至れば全てを話すしかないと、兄は必死に語りました。ところが、現場にいたはずの屋敷の使用人達は皆、そのような事実はなかった。おそらくは瓜子姫に懸想した兄が、拐かしたに違いない。と言い立てたのです。おそらく、庄屋さんが言いくるめてしまっていたのでしょう。すぐに瓜子姫の亡骸も見つかり、兄はお役人に引き立てられていきました。もちろん、兄は最後まで罪を認めなかったそうですし、私も兄を信じていました。でも、お沙汰は村内引き回しの上死罪と言うものでした。
刑が執行される日、私は恐ろしくて布団にくるまり、震えていました。母も同じでした。ただ父だけは、兄の最後の姿を拝み、わずかでも兄が心残りなく成仏できるようにと、人混みに紛れて見に行きました。
刑の有り様はそれは惨いものだったそうです。私達の知る引き回しといえば、町や村の目抜き通りをゆっくりと歩かせ、見物人が野次を浴びせると言ったものでした。ですが兄に対しては、粟畑や蕎麦の畑で兄を引いた馬を走らせ、転げようと倒れようとお構いなしに引きずり回す・・・文字通りの引き回しの刑でした。無論、そんな刑を受けて無事でいられるはずもありません。いざ死罪となった際には、兄はすでに事切れていたそうです。それ以来、粟やや蕎麦の根は、兄の血で真っ赤に染まっている、などと言われてます。
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