探偵と酒と人形
「開店時間前なんだけど」
店に入ると琴子の不機嫌な声が飛んだ。
ついでに台拭きも飛んできた。
「少しくらい多目に見てくれよ、俺とお前の仲だろ?」
台拭きをキャッチしヘラりと笑う。
「あら、それはどういう仲なのかしら?元刑事と元被疑者?」
「いや、そう言うわけでは…」
「冗談よ。それで、こんな時間からなんの用?」
朝なので酒ではなくホットミルクを入れてくれる。
「昨日頼んだ事なんだが」
ありがたくいただき、ホットミルクを口に含む。
あいかわらず琴子好みの物凄い甘さだ。
「ちゃんと調べたわよ。結論から言うと見舞いには来ていないわ。その代わり…」
一枚の画像の悪い写真を取り出す。
写っているのは一人の女性。
なぜかばっちりカメラ目線だ。
「この人は?」
「彼…アルフォルドくんの担当医にコンタクトを取った人物よ。身元は不明」
画像が荒すぎて顔はよくわからないが髪の長い女だ。
「わかった。ありがとう」
写真を受けとり、ポケットにしまう。
「ねぇ、襄二」
暗い店のなかに琴子の声が響く。
「あなたがあの男を追うために刑事やめたのは知ってるわ。警察に居ると自由に動けないからね」
「どうしたんだよ、急に」
「でもね、あいつは警察だから手をだしにくくなってるのよ。一介の探偵なんてその気になればすぐ消されるわ」
あの人みたいに…。
きっと琴子はその言葉を呑み込んだんだろう。
目にうっすらと涙が浮かんでいる。
「心配するな。あいつと違って俺には警察の後ろ楯がある。それに…」
ぬるくなったホットミルクを飲み干すと立ち上がる。
「お前もいるしな」
ごちそうさま。と言うとドアに手をかけた。
「なにそれ。…気を付けなさいよ」
いつもと違って小さな声で、それでもはっきりと襄二を見ながら琴子は言った。
「おう」
パタンとドアを閉めた。
外を歩きながら琴子に借りた携帯を取り出す。
アドレス帳を開き自分の番号に電話をかけた。
だが案の定、電話にでる気配はない。
"発信音の後にお名前とご用件を…"
何度かのコール音の後、留守電サービスに切り替わったので取り敢えず音声メッセージを残すことにした。
「よう、里島襄二だ。今夜呑まないか?深夜0時にこの前のbarでどうだ?あ、barの名前はホープだ」
電話を切り、ポケットにしまう。
かさりと指の先に何かが当たった。
取り出すと琴子から貰った写真が少し折れ曲がっていた。
「聞いても…教えてくれないよなあ」
誰にともなく呟きながらアルフォルドの顔を思い浮かべる。
教えてくれる、くれない以前の問題で、彼は本当に呑みに付き合ってくれるのだろうか。
嘘をついている用には思わなかったが、あの無表情だ。
嘘をつかれてもわからない。
「ま、信じてみるか」
恩を棒に振るような男じゃあないだろう。
これも俺の勘だが。
なにせ俺の勘は当たるから。
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部屋に戻ると殺風景な景色に小さな光が点滅していた。
電気を点けて近づくとあの探偵に借りた携帯電話だとわかり、無意識に体が強ばる。
画面をつけると留守電が入っていた。
聞いてみると探偵からの飲みの誘い。
いったい何をたくらんでいるのか。
だが、奴には借りがある。
時間は23時過ぎ。
あと一時間ほどだ。
仕方ない。
探偵に借りた携帯をポンチョのポケットに入れると銃の弾が全て入っているかを確認し部屋を出た。
長い廊下を歩きながらフードを被る。
地下なので歩く音がよく響く。
自分のもの、そして前方から聞こえるもうひとつのもの。
「アル」
足音の主は黙視できるかできないかというところで止まった。
響く声は昔からよく知ったもの。
「どこへ行くの?」
その声に咎めるような色はない。
「外…」
「言いたくないなら良いけど」
フッとため息をつくと、再び歩きだした。
「あの探偵にはあまり近づき過ぎないほうがいいわ」
通りすぎ様に小さくささやかれ、思わず足を止める。
「…ミツキ?」
振り向いたときには既に、ミツキは姿を消していた。
どうしてミツキがあの探偵の事を知っているのか。
そこまで考えてふと思い直した。
ミツキが知っていてもなんら不思議はない。
ここにいる連中にとって調べることなど造作もないだろう。
止めていた足を進め、外へと通じる階段を登る。
いつも使う出口ではなく、人に見つかりにくい場所を通り外へ出た。
風がひんやりと頬を撫でる。
空を見上げると星が出ていた。
思いの外時間を食ってしまった。
いくら不本意と言えど、一応は恩人な訳で、待たせるのは申し訳ない…と思う。
仕方なく小走りで目的地へ向かう。
幸い、と言うべきか。
アルフォルドが生活する場所とあのbarはそんなに離れていない。
と言っても物凄く近くは無いのだが。
それでも走って40分程で目的地のbarに着いた。
barの前には少し古めの電飾で飾られたホープと書かれた文字。
念のため銃に手をかけながらドアを開けた。
「いらっしゃい」
女がにこりと微笑んだ。
「失礼します…」
敵意は無さそうだ。
警戒は解かず、だが銃から手を離した。
「15分遅れだぞ、アル」
「申し訳ない…」
「ま、いいけどさ。好きなとこ座れや」
促され、探偵と席二つ分離れたカウンター席に座る。
「一応自己紹介しておくわね。このbarのオーナーで渡利琴子と申します。よろしく、アルくん」
ピンク色の名刺を無理矢理渡され仕方なく受け取った。
「琴子、ジンをくれ」
「はいはい」
ジンを探偵の前に出すとこちらを振り返る。
「アルくんはなにがいい?」
なにがいいかと聞かれても、普段酒は飲むが味は気にしていない。
好きな酒もないので、聞かれても困る。
「探偵さんと同じものを」
「はい、どうぞ」
ジンが差し出されると、探偵が「乾杯」とグラスをかちりと当てたり。
「アルくんかっこいいわねぇ。モテるでしょう」
飲み干すと、オーナーがじっと顔を見つめてきた。
自分の容姿には興味がない、というかよくわからない。
そんなこと言われても困る。
オーナーを見返すと優しい瞳がまっすぐこちらを見ていた。
「あ、ちなみに私はモテたわよー」
黙っていると、質問を取り消すようにオーナーがそう言った。
「そうですか…」
そんな二人の様子を見て、探偵がにやにやしている。
やはり、居心地が悪い。
ミツキの言う通り、この探偵には関わらないほうがいい。
まぁ、会うのもこれが最初で最後だ。
「そう言えばアル、この人知ってるか?」
笑い顔のままの探偵に見せられたのは画像の荒い写真。
そこに写っているのは髪の長い女。
カメラに気づいているのか、目線はこちらを向いている。
顔は荒さのせいでわからないが、おそらくミツキだろう。
「知らない」
「そうか…」
探偵は残念そうに写真をしまった。
やはり、酒に誘ったのは俺たちの事を知るためか。
千円札をカウンターに置き、立ち上がった。
「おい、アル。もう帰るのか?」
「そうよ、お金なんかいいからもう少しいなさいよ」
探偵とオーナーが驚いたようにそう言う。
「ごちそうさまでした」
扉の前まで来ると、二人に小さく頭を下げ店を出た。
おそらく、20分程度しか店にいなかったんだろう。
来るときとなにも変わらない景色。
来るときとは違い、ゆっくりと歩きながら帰る。
フードを被り、あえて狭い路地を選びながら歩を進めた。
そのせいで、行きよりかなり時間がかかったが誰にも会うことなく部屋へ入れた。
ベッドに横になるとすぐに眠気が襲ってきた。
意識がどんどんと薄れていくこの感覚がとても嫌いだ。
夢は見るが、いい夢ではない。
眠りになんのメリットがあるのか、確かに疲れは少しとれる気がしないでもないが。
そんな思いとは裏腹に瞼はどんどん落ちてきて、
どうして今日はこんなに眠たくなるのか疑問に思いながら、ゆっくりと眠りに落ちた。