1、人形
雨の降る夜、里島襄二はネオン街の裏のそのまた裏にある小さな地下barにいた。
「どうしてちゃんと見張ってなかったのよ。元刑事が聞いて呆れるわね」
薄暗いbarの中、真っ赤なドレスを着た女店主が呆れたような口調でそう言った。
女の名は渡利琴子。
いったいどういう方法を使ったのか、彼女はあの男が病院から逃亡したのを知っている。
「まさかあの怪我で逃げ出せるとは思わなかったんだよ…」
あの大怪我で、いったいどうやって逃げ出したのか。
とは言え、油断していたのは事実だ。
「まったく。せっかく見つけたのに、また探さなきゃじゃない」
そう言うと琴子は大きくため息をついた。
「すまん、…手伝ってくれるか?」
「手伝うわよ、お金さえ払ってくれるならね」
真っ赤な唇がニコリと弧を描く。
「わかってるよ」
「で、何を知りたいの?出来る限りの事はするわ」
「彼の入院中、誰かが見舞いに来たかを調べてほしい」
「そんなの病院の人に聞けば良いじゃない」
「聞いても教えてくれないんだよ」
「いない。じゃなくて教えてくれないのね?」
興味深そうに眉を寄せる。
「あぁ、そうだ」
「わかったわ、任せて。明日また来てくれる」
「頼んだ」
席を立ち、店をでた。
辺りは真っ暗だが遠くの方に朝日が昇ってきているのが見える。
「里島襄二さん…ですか」
どこからか静かだがよく通る声が聞こえた。
「あぁ、そうだ」
感情の含まない声に、違和感を感じながらも応える。
「助けていただき、ありがとうございました」
「助けていただき…?…あんたこの前の男か」
「そうです」
「なんで病院から脱走したんだよ、怪我酷かっただろ?」
「動けるようにはなりましたから」
「そう言う問題じゃないだろ」
ため息を吐くと近くのビル影から若い男が姿を現した。
「あなたには関係ないでしょう」
黒のフードつきポンチョに黒のズボン。
フードを被っているので顔は見えないが、微かに覗く白い肌には包帯が巻かれている。
「関係なくないんだよなぁ、俺はお前の恩人だから。それに」
ポリポリと頬をかき、名刺を見せた。
「探偵…」
男が怪訝そうに名刺を受けとる。
「依頼でね、探し人がいる」
「俺とは関係ない」
ポンチョの下でカチャリと音がした。
恐らく拳銃だろう。
すでに男の口調から敬語など消え去っている。
「お前はそいつの事をおそらく知っている。俺の勘だから根拠はないがな。でもな…」
じっと男を見る。
「俺の勘は当たるんだよ」
そう言ってニヤリと笑った。
「…勘が当たったとして、どうするつもりだ」
「どうもしないよ。でもまあそうだな…恩を返してもらおうかな」
男が小さくため息をついた。
まるで、そう言われるのがわかっていたかのように。
「あいにく渡せるものなんて命くらいしかない」
それでも淡々と続ける声に少し怖くなる。
「怖いこと言うな。そんな難しいものじゃない」
自分の命をそんな軽く見るなよ。
そんな思いをのせて、小さく微笑む。
「なら、なにが欲しい?」
「簡単だよ、俺の暇なとき呑むのに付き合え」
男に反応はない。
「別にお前の事を探ろうと思っている訳じゃない。だが貸しを作ったままは嫌だろう?」
「…わかった」
男が感情の含まない声で言った。
「それは良かった。お前名前は?」
少し間を置いた後、男はフードを脱いだ。
「……アルフォルド」
街灯の光がアルフォルドの顔を照らし出す。
人形のようだ、と思った。
人形のように整った、中性的で美しい顔立ち。
人形のように白い肌。
人形のように表情がない。
外見的にも人形のようだが、それより感じたのが内面的なもの。
目に見えるものではない。
それでも、感じ取った。
いや、違う。
逆だ。
何も感じ取れなかった。
人間が誰しも生まれ持つであろう心。
育つうちに大きくなり確立されていく感情。
それらの、人間らしいものが感じ取れなかった。
「本名か、それ?」
西洋人には見えないぞ。
「……いや」
「そうか。…長いからアルでいいか?俺の事は襄二でいいよ」
そう言うとアルはコクりと頷いた。
「携帯持ってるか?」
問うと、ふるふると首を振る。
「これ貸してやるよ、使い方はわかるか?」
「わかる…と思う」
「そうか、ならまた連絡する。楽しみにしてるよ」
その言葉には答えず、またフードを被ると静かに闇の中へと消えていった。
「まさか向こうから来るとはね」
不意に後ろから声が聞こえた。
振り向くと琴子が立っている。
「…いつからいたんだ?」
「アルフォルドって言ったところくらい。彼は気づいてたみたいよ」
そう言うと携帯電話を投げて寄越す。
「ほら、あたしの予備。貸してあげるわ」
男が持つにしては少し派手だが、まあいいだろう。
「助かる」
「どういたしまして。あんたの携帯データ、ちゃんと抜いたんでしょうね?」
「あぁ。さすがに個人情報を見られたくないからな」
ポケットからSDを取り出し、琴子に見せた。
「ならいいわ。…ほら、早く帰りなさい」
めんどくさそうに追い払う素振りをする琴子に苦笑し、ひらりと手を振ると自宅に戻るべくゆっくりと歩きだした。