宇佐美
2013.1.30 大規模改修完了。
あんなことがあったというのに、今日も朝はきちんとやってきた。
朝イチで俺は天に抗議した。心の中で。
おかしいじゃないか。よくラノベなんかでは、主人公の話の内容とか気分に合わせて天気が変わったりするじゃないか。普通の朝が来るってどういうことよ。もう怒った。今日は学校お休みにしよう、そうしよう。
何のことはない、ただ安みたいだけだった。
わかってる。もちろん俺個人がどんな驚天動地の経験をしようが、世界の理の方がそれに合わせて変化する理由はない。これだけ通常営業で新しい朝に来られてしまうと、昨日のことは夢だったのではないかと思えてくる――というか、夢なんだと半ば信じつつあった。
残念ながら未観が昨夜家に来ていた証拠はどこにもなかった。リビングはいつものようにガランとしていた。これらの状況証拠から推測するに、エステラやシューマイのことは、“VRゲームのやり過ぎが原因の妄想”ということで片付けた方が無難な感じだ。
なんてこった、これじゃOWOを批判する大人たちに格好の傍証を与えるだけじゃないか。もし心療内科に「OWOのゲームキャラが現実に現われたんですけど、朝起きたら居なくなってた」と訴えたとしても、「典型的な仮構と現実に対する誤認の症状です。暴力的なゲームは控えましょう」などと、哀れみいたわられるのがオチだ。
少々気落ちしつつ学校に行くことにする。もし昨日のことが夢ならば、社会復帰すべく積極的に学校に行ってリハビリすべきだ。
「いってらっしゃい」
「んん……」
ホームAIとのいつものやりとり。
玄関の鍵を閉めてから気がついた。
未観が本当に居たのかどうか、調べるのは簡単じゃないか。昨日の夜、客が来たのか桜子に確かめれば良かったんだ。訪問者リストを検索してスマートテレビに呼び出せば、あの不機嫌そうなしかめっつらを拝めるじゃないか。
鍵を開けようとして躊躇し、小さく首を振って諦めた。
◆
ギリギリセーフ。ホームルーム間際の教室にひっそりと滑り込んだ俺は、間髪入れずにあいつに見つかってしまった。
「あっ、カンヂおはよなのさっ」
明朗で快活でちょっとアホっぽい挨拶が俺を軽く打つ。
「宇佐美さん……お、おはよう」
我が声ながらショボイのは自覚している。挨拶に挨拶で返すだけなのに、それが微妙に震えてるってどうよ? まるで生まれたての小鹿と百獣の王の関係だ。
宇佐美はどうしていつも俺を即座に探し当てるんだ? まさか制服に発信機が――って、んなわけないか。
彼女は俺の机に両手を乗せると、いつものように、やけに顔を近づけ話しかけてきた。
「昨日電話したのに出なかったのはなぜなのさっ」
「ああ……ゲームしてたから」
「やっぱり! 学校休んでたから、病気になったのかなって心配したよ。カンヂの家に手作りの夕食持っていってあげようかと思ってたのに、無視するなんてひどいよのさっ」
「よ、よのさはピ○コだから」
しまった、語尾を微妙に著作権法に絡みつけてくるからつい。これじゃクラスメートと普通に喋るリア充みたいじゃないか。ぜんぜん俺のキャラじゃないじゃないか。なんか宇佐美もニヤニヤしてるし。
「元気そうだね。これで宇佐美カキフライスペシャルを召し上がれば、かんっぜん体になるのさ」
宇佐美は目をくしゃっとつぶって、カタカナの“ミ”に似た独創的な笑みをみせた。ずっと昔から知ってる、こいつの笑顔。無駄だとはわかりつつも、いちおう警告してみた。
「宇佐美さん、もう授業はじまるから席に戻って」
宇佐美は聞いていない。
「いいからもっと突っ込んで、ほれカモン、カムイン! もう、10年以上つきあってるのに名字はないのさっ、幼馴染に敬語は不要なのさっ」
そう、こいつとは幼稚園からのつきあいだけど、まだ名字で呼び続けている。なんというか、呼び方を変えるタイミングを10年ほど前に逃したからだ。
ガラリ。先生だ。
宇佐美が教室のドアの方を振り向くと、彼女の髪に乱された空気が俺の鼻まで良い香りを運んだ。
「来たっ、じゃねカンヂ、セックスしよっ」
そこの君、見間違えではない。宇佐美は文字通りそう言った。大昔のトレンデードラマとかいうやつにはまっているらしく、このところずっとこの調子なのだ。
馬鹿か。馬鹿なのか。別れの挨拶セックスってオイ。年々悪化してるよ。
頭を抱える俺のもとから、神速で自分の机に戻る宇佐美。まさしく神速、コンマ1秒の早業だ。物理的に不可能だろうか。いや、そんなことはない。だって宇佐美の席、俺の隣だもん。しかも小学校から10年連続同じクラスの隣の席だもん。どういう奇跡だよ。
まさかこいつ、席決めの実権を握っているのか? そんなの絶大な権力を握る学園の理事長の娘くらいにしかできない芸当だよなあ。ありえない。そもそもこの学校、県立だし。
出席簿を持った教師は、いくら宇佐美が神速で席についたとはいえ、馬鹿みたいな事を口走ったのを聞いているはずだ。にも関わらず、教師は宇佐美に好意的な視線をチロリと投げかけるだけでお咎めなし。もともと宇佐美が持ってる雰囲気のせいか星の巡りのせいか、あいつが先生に叱られたのを見たことがない。
ウザい言動や奇特な行動の数々からして奇跡中の奇跡だとは思うが、宇佐美は誰にでも好かれるクラスの人気者だ。妙なカリスマ性もあるし、成績は優秀、中学の頃などは空気を読まない性格が下級生にウケて、“既存権力体制に対する反乱の旗手”的なあこがれの存在とみなされていたほどだ。そのうえ、なぜか自分で立候補したおかげで、こいつは学級委員長でもある。
もう説明の必要も感じないが、いちおう言っておこう。困ったことに、宇佐美は俺のことが好きらしい。もっと学力レベルが上の高校に進学できたのに、わざわざレベルを落としてまでこの高校に入学するほどに。こえーよお前。狂気を感じるよ。
とにかく、宇佐美って女は変人バロメーターが振り切れるほどの変な奴なんだ。
……ああ、早く帰って桜子に愚痴りたい。
◆
昼休み。購買部で食料を買いこんだ俺は、ひとときの平穏を求めて屋上に通じる階段に向かった。その階段は屋上には通じていないけど、屋上ドア周辺には誰も人が訪れない。そこは甘美な孤独空間。
「誰にも見つかりませんように。特にあいつに見つかりませんように」
神に祈りを唱えつつ足音を偲んで歩を進める俺に、背後から強烈な気配の塊が接近してきた。
「やべ、来た」
案の定、廊下の向こう端からこちらに向けて、走ってくる人影が見えた。
「かーんぢぃぃぃー! セックスしようって言ったじゃないのさぁぁぁー!」
初めに大きな要求を求めて、次第に要求水準を下げていく交渉術をドアインザフェイステクニックというらしい。このときの俺も、とんでもない宇佐美の行動のせいで同じような心理的トリックにかかっていたようだ。
「ちょ、天下の廊下を走っちゃだめじゃないか」
すぐ我に返って舌打ちした。大声でセックスと叫ぶ非常識を棚に上げてどうでもいい小さな問題行動を指摘してしまったじゃないか。
そもそも初めから俺の頼みなど宇佐美は聞いちゃくれない。両手で左右から胸を寄せて、「たゆんたゆん攻撃なのさっ」と叫び、肩を揺らして突進してくる。馬鹿だ。
俺がずる休みした次の日なんかに、宇佐美のテンションが謎のストップ高で冷や汗をかいたことは何度もある。けれども今日は酷すぎだ。どうしたんだあいつ、当社比3倍のウザさなんですけど。
この場面に会した通行人のうち、ある者は眉をひそめ、教室のドアの前にいる女子集団はこちらを見ながらしきりに忍び笑いを浴びせてくる。
――俺のせいじゃねえよ!
余計な事には首を突っ込まずにホドホドに生きるのが現代っ子の智恵。集団の空気を読まずに独走するのは重罪だ。そして宇佐美は空気を読まない。よって宇佐美は罪人だ! どうよこのわかりやすい三段論法。だのになぜ。悪いのはどう考えても宇佐美なのに、よそよそしく敵意を向けられて悪者扱いされるのはなぜかいつも俺だ!
狂ってる、腐ってる、こんな世の中!
軽く絶望したところで、さきほど購ったばかりのパンの袋に視線を落とした。
「くっ」
決断する。撒き餌にするのはもったいないが、背に腹は代えられない。
迷いを振り捨て階段の下り側にパンを袋ごと放り投げた。そして階段を駆け登る。途中立ち止まって、手すりから下界を見下ろすのと宇佐美が現われるのは同時だった。
食いついた。
餌を発見した宇佐美はニタァと笑みを浮かべ、階段を駆け下りて行った。