おや、誰か来たようだ
2013.1.27 大規模改修完了
初見殺しのラビット。
“初見殺し”はこのモンスターに与えられた二つ名だ。見た目は大きな頭をしたブサイクなウサギ。巨大な顎から生えた上下二本の歯で攻撃してくるわけだ。どう見ても強いモンスターではない。俺も最初にラビットに襲われたときには、デフォルト装備の“木刀”で返り討ちにしたものだ。
だが、そこに盲点がある。
これは倒すのに何のスキルも要らない最弱キャラ決定か、と思うのは早計なのだ。問題は、ラビットが高確率でドロップするアイテム。
初心者だったあのころの苦い思い出が蘇ってきた。
刀の一撃で倒れ、ぶっさいくな大きい頭を血まみれにしてピクピクと痙攣したラビットはすぐに息絶えた。そして光の粒になってラビットが消えた地面には、赤い宝石が。宝石の上には、“おいしい血石”と情報が浮かんでいた。
大して気にもとめずに血石を高次空間に収納して、モンスター討伐をしていると――ラビットが現われた。そしてまたラビットが現われた。ラビットラビットラビット。
なにこのラビットラッシュ。おかしくね? と気づいたときには時すでに遅し。突如、地面が波打つようにモコモコした次の瞬間、無数のラビットがポップした。そして大きな頭と赤い目をシンクロ率100%で俺に向け、一斉に歯をむき出した。軽くトラウマになりかねない光景である。
システム上ありえるとは想像もできないほどのラビットの群れ。一匹一匹は弱体だが、100匹、いや1000匹集まればどうなるか。
最初の数匹を屠る間に、足を噛まれ腕にとりつき、数秒後にはラビットの塊となった初代俺は、あえなくご逝去あそばされた。しかも3+1感ゲームだから、無数のラビットに体じゅうを噛まれるイヤーな圧迫感が漏れなくついてくる。
OWO初心者のかなりの部分は、このトラウマものの疑似体験に恐れをなしてOWOを離れていった。初見殺しとはそういう意味なのだ。
しばらくのち、OWOwikiのモンスター別対処法に次の一文が記載されることになる。
「おいしい血石は拾うな」
ラビット的には共食い全肯定なのか、ラビットの大好物はラビットがドロップする血石なのであった。
どうなのよその設定。白い毛皮の奥に血石が隠されているうちは、ラビットに隠された共食い本能は潜在し続けるようだが……。
この凄惨な前世の記憶を胸にラビットと対峙する。完全にオーバースペックではあるが、無駄に“ダイス”による拘束を試みる。ダイスは、RPGによくある“魔法”能力だと考えれば間違いない。なぜ素直に魔法というネーミングにしなかったのかは謎だ。
今の自分にも使用可能な拘束系ダイス、“ライナスの毛布”をセレクト⇒オーダー。
「安眠せよ
ライナスの毛布!」
キラキラと雪片のような光のエフェクトがラビットの頭上に出現して、そのぶさいくで大きな頭に降り積もる。するとラビットはとろんとした夢見心地の表情で両腕の力を抜いた。もはやその赤い瞳に敵は映っていない。
いちど体に染み付いた動作はなかなか失われない。次いで、ほとんど無意識的に神速のアンスラを繰り出す。
「徐に列をなし
漂い浮かびつつ
離れしかの地へ
転移!」
ティウンティウンは自動的に呪文と技の名を叫ぶ。
現実世界の常識からすれば、わざわざ技の名を唱えるなど相手に攻撃手法を教えるだけで、戦術的に何のメリットもない。制作スタッフの意図を推測するに、これにはおそらく魔法使用に伴う一定のペナルティ、硬直時間の役割が与えられているのだろう。
転移! といい終えたのと同時に、視界が変化した。一瞬で数メートル移動したのだ。転移による移動の場合、転移後の目標物との距離は、所持している武器の有効攻撃距離の0.7倍の距離。リアルなウサギよりもさして強そうではない初見殺しは、うっとりとした瞳で空を眺めていた。
余裕過ぎる。
装備していた“メガミツバチの針”を、抜きざまにラビットの腹から肩へ、斜めに切り上げた。
ザシュッ!
テンプレな効果音と、湧き上がる光の粒。
もちろん、血石はドロップされた瞬間に踏み潰しました。
数十分後。植物型モンスターのトリフィドを狩っていると、ふと肌に触れた冷気に集中力が乱された。
「なんだ?」
明るいディスプレイの画面と比べて、外は暗い。でも、外で何かが動いたのに気づいた。
VRの感覚と現実に肉体が感じる感覚には、技術が進歩した今でも、埋めがたい差がある。ディスプレイの向こう、つまり現実世界側で何かが起これば、それを区別するのは簡単なことだ。
誰かいるのか?
このところニュースでよく目にする不可解な事件の数々が脳裏によみがえる。ひきこもり連続殺人事件。先週、この町でもひきこもり男性の殺害事件が起きたばかりだ。
そういえば……近くの県道を走る車の音も、市街地の低いざわめきも、断ち切られたように消えうせている。不安を感じかけたそのとき。空気を震わせる大音響が鳴り渡った。
ナーヴメットを引きちぎるように外して、息を呑んだ。
公園の真ん中に、大きな――身の丈がほとんど滑り台と同じ高さの――シューマイだった。あからさまに、OWOの割と後の方に出てくる難関ダンジョンのボスだ。
おいおい、シューマイって……と思うことなかれ。OWOのモンスター造形の奇特さを舐めないでほしい。これが通常運転なのだ。
――あれ、でもちょっと形ちがくね?
確かに違った。オサレなワンポイントであるところの、頂部のグリーンピースが人間の頭部と入れ替わっている。誰だよあのおっさん。
おっさんシューマイ(不味そう)が高らかに言い放った。
「“錆色のデススマイリー”を殺るとはなかなかやるな。片割れを失ったグレイナーごときに負けるとは、虚の族の面汚しよ。ククク、だが奴は四天王の中でも最――」
俺は見てしまった。その瞬間から、シューマイの長広舌は無意味な雑音と化した。
シューマイと対峙していたのは――OWOの著名なNPC、エステラ様だった。