インビジブルおじさん
その男性は、ネット上で、通称“うんちくおじさん”として有名だった。知識が広く、分かり易く淡々とした、決して相手を馬鹿にしない丁寧な文で“論破”するからだ。あまり攻撃性を感じさせないその語り口調は、論破というよりは“諭す”という表現の方が似合っていて柔和な印象を受ける。また、批判をするばかりではなく、自由な発想力で解決案や改善案も提示したりする。そういった点が話題になって、彼は人気を獲得していた。一部ではイラストや漫画にまで描かれていて、大体は人の好さそうな小太り中年男性の姿でイメージされているようだった。確かに彼の文章と、その姿はぴったりと重なっていた。
がしかし、その一方で彼は一部の人間達から嫌われてもいた。その人気に嫉妬をする者ばかりではない。彼は既得権益や多重派遣などの日本経済を苦しめる要因を赤裸々に批判しており、それらから甘い汁をすする者達から警戒さていたのである。
だからこそ、彼は“ハニートラップ”を仕掛けられるに至ってしまったのである。
うんちくおじさんにハニートラップを仕掛けたのは、とある動画チャンネルを運営する配信グループだった。迂闊にも、おじさんの友人が待ち合わせ場所をSNS上に公開してしまっていて、それをチャンスと彼らは動画を撮影する計画を立てたのだった。
“ハニートラップ”と言っても、大袈裟なものではない。女性を雇い、その女性がうんちくおじさんに話しかけるところを撮影し、『パパ活女子と密会する、うんちくおじさん』とデマ情報を流すだけである。
配信グループは待ち合わせ場所の駅の改札口前を見張り、うんちくおじさんが現れるのを待った。だが時間になっても、それらしい男性は一向に現れない。30代のくらいの童顔の男性がいるが、恐らくは違うだろう。おじさんは50代近くのはずなのだ。
やがて禿げた男性が現れた。配信グループのスタッフの一人の野戸は「あれじゃないか?」と呟いた。同じスタッフの一人、山井が確認して「それらしいのはあいつしかいないな。決まりだ」と言うと、それを合図に雇った女性は歩き出した。男性に話しかけ、軽く立ち話をすると直ぐに別れる。様子を見守っていた海原が言った。
「オーケー。後は編集で誤魔化してそれっぽい雰囲気にする。上出来だ」
彼らは満足をすると引き上げていった。
後日、雇った女性や関係のない通行人にモザイク処理を施した動画を彼らは公開した。これでうんちくおじさんの評判は著しく下がるはずだった。ところが、彼らの計算通りには事は進まなかったのだった。
『誰ですか? この人は?』
うんちくおじさんから、彼らの動画に対し、そのようなコメントが出て来たのだ。どうも動画の中年男性は自分ではないと訴えているようだった。彼らは当初、おじさんがすっ呆けているだけだろうと考えていた。がしかし、それから動画に映っている“うんちくおじさん”と彼らが思っていた男性から、クレームが上がってしまったのだった。
『動画に映った男は自分です。うんちくおじさんではありません。しかも、あの女性からは突然話しかけられただけで、名前も知りませんし、彼女は直ぐに何処かへと行ってしまいました。非常に迷惑なのですが』
そのクレームに配信グループは大いに慌てた。芸能人を記事にできるのは、彼らが世間に影響を与えられる“準公人”だからだ。一般人を無断で撮影して公開するのは許されない。裁判を起こされたら確実に敗ける。配信グループは慌てて謝罪動画を上げ、誤りであった旨を説明し、誤爆してしまった男性には早々に示談金を支払った。
そして、その失敗の所為で、彼らは世間から、“ハニートラップでデマ動画を流そうとした信用ならない配信グループ”と思われるようになってしまったのだった。ただし、それでも“うんちくおじさん”を貶める事は諦めなかった。自分達で動けないのなら、デマや印象操作を駆使してネガティブキャンペーンを成功させるプロ集団、“雑誌記者”を頼れば良いと判断したのである。幸い、彼らのパトロンは週刊誌ともコネクションを持っていた。そして、話を振ると、彼らは快くそれを引き受けてくれたのだった。
「任せてくださいよ。まずは“うんちくおじさん”がどんな男なのか、映像か写真を手に入れます」
記者の一人はそのように快活に答えた。
だが、事はそれほど上手くは運ばなかった。配信グループがハニートラップを仕掛けた事でうんちくおじさんや彼の友人達は警戒をし、なかなかプライベートな情報を流さなくなってしまったのだ。しかし、それでもなんとか週刊誌の記者達は、おじさんの職場を突き止める事には成功したらしい。後はそれらしい人間を特定するだけである。ところが、そこで彼らの調査の手は止まった。何故か、うんちくおじさんが見つからなかったのだ。うんちくおじさんは職場の人間達には自分のネットでの活動は話していないらしく、聞き込みをしても正体は分からなかった。張り込みをして、風貌から当たりを付けようとしたが、どれも不発に終わった。それっぽい人物を調査してみてもまるで別人だったのである。
『インビジブルおじさんですよ。まるで正体が分からない』
やがて、オンライン会議で、週刊誌の記者の一人はギブアップをして配信グループのメンバーにそのように告げた。配信グループの海原は、それを聞いて、
「その職場に勤めているって話が、そもそもデマなのじゃないですか?」
と尋ねてみた。記者はその可能性がある点を認めたが、だとすればうんちくおじさんはかなりの情報操作能力を持っているとのことだった。
「実はAIが正体で、うんちくおじさんなんて人は存在していないって可能性はないですかね?」
そう尋ねたのは山井だった。記者ではなく、配信グループの野戸がそれに返す。
「いや、うんちくおじさんは有名ではなかったが、AIが普及する十年以上も前から活動しているんだよ。AIの線は低いと俺は思うけどな」
それから彼はこのように続けた。
「ずっと考えていたんだけどな。うんちくおじさんは、単に物知りってだけじゃなく、柔軟で自由な発想で面白い解決案を出して来るだろう? これはどちらかというと若い人間の特性だ。少し変だと思う」
海原が尋ねる。
「なんだ? 今は二代目で、実は若いとでも言うつもりか?」
「その可能性もあるが、やっぱり昔から活動している同一人物だと考える方が現実的じゃないか?」
『何が言いたいんです?』と、そこで記者が尋ねた。野戸は「ちょっと待ってください」と返すと、画面を共有した。何かの動画が映っている。初めにうんちくおじさんにハニートラップを仕掛けた時の生動画で、モザイク処理はされていない。画面の端に30代くらいの童顔の男性がいる。それをポインターで示しながら野戸は言う。
「記者さん。この人物に見覚えはありませんか?」
そう言われて、記者は考えているのかしばらく黙る。それから、
『ああ、職場を張り込んでいた時に見かけた気がしますよ』
と、応える。
「やっぱり」
と、野戸は言った。
「“やっぱり”って何だよ?」と山井。
「こいつがうんちくおじさんって話だよ、山井」と彼は返す。
「“うんちくおじさん”って……、どう見ても30代じゃないか。うんちくおじさんは50代近くなのだろう?」
「ああ、」とそれに野戸。
「多分、彼は幼形成熟なのだと思う。幼形成熟の生物は、若い頃の性質を残しているんだ。“柔軟で自由な発想力”が彼の持ち味だが、それは幼形成熟だからなのかもしれない。なら、見た目も若い可能性が高い……」
それにメンバーは驚いた様子を見せた。が、待ち合わせ場所にいた男が、偶然、うんちくおじさんの職場で働ているなんて確率的にかなり低いだろうから、野戸の推理通りの可能性が高い。
山井が言った。
「とにかく、正体が分かったな。これでハニートラップを仕掛けられるぞ?」
が、それに海原が首を横に振る。
「いや、止めておいた方が良い」
「なんでだよ?」
「芸能人でもないのに、年齢を感じさせないこの風貌だぞ? さらせば、むしろ逆に人気が出る可能性が高い。俺らはハニートラップ誤爆で世間から信用を失っているしな」
その言葉に記者も何も言わなかった。つまり、海原の発言を認めているのだ。かなり巧い貶め方をしないと、却って人気が出てしまう懸念を抱いている。週刊誌の記事だって大いに疑われる時代である。
“やっぱり、デマ記事でネガティブキャンペーンなんてやるべきじゃないのかもな。真面目にやっている奴の方が強い”
打つ手なしと考えた野戸は溜息を漏らしながそう思った。




