宅配物
二十代女性が一人で暮らしている、都内某所のとあるアパートの一室。
ピンポーン。と呼び鈴が鳴り、住民がドアを開けると普段からお世話になっている運送業者の男性配達員が立っていた。
「お届け物です。ここにサインをお願いします」
手には大人用のスニーカーが入る大きさの箱。
住人が配送先の確認を行うも、「はい。間違いないです」と送り先の住所が表示された端末を差し出す。そこには自分の名前からマンションの住所、部屋番号までもがはっきりと映し出されていた。しかし、どれだけ記憶を遡ろうとも直近ではネット通販はおろか、実家からの仕送りが来る日でもない。
そして一際異彩を放つ鮮やかな赤いシール。
『ナマモノ』
通常なら冷蔵、もしくは冷凍の『クール便』で届くはずの荷物。しかし配達員が持っているのは冷気など一切感じられないただのダンボールだった。
「あの、これ冷えてないみたいですけど大丈夫なんですか?」
「そうですよね。僕も疑問に思いましたが、営業所でトラックに積み込む際からクール便の指定がなかったんですよね」
配達員は困ったように頭を掻き、もう一度手元の端末に目を落とす。
「ほら、ここに『常温指定・即時開封のこと』と書かれているんです」
差し出された端末には彼の言う通り、奇妙な指示書きがされている。この奇妙な違和感に冷たい汗が背筋を伝う。
配達員は苦笑いをし、この不気味な箱から今すぐにでも距離を取りたいと言わんばかりにペンを差し出す。
「次の配達もありますので、サインを早くいただけますか?」
住人は躊躇し、受取拒否も考えた。しかし『ご依頼主』の名前を見た途端それが意味をなさないと理解する。そこには、一文字の狂いもない自分の名前と住所。
原則として受け取り拒否をした荷物は送り主に返送される。つまり、ここで受け取り拒否をしたところで再び荷物が届くだけ。
不信感は強まる一方だが、このまま足止めさせる訳にもいかず、渋々サインをして荷物を受け取る。重みは感じるも片手で持つことのできる程度。
受け取りサインを確認すると即座に半歩後ろへ下がり、手ぶらになった手を無意識に自身のズボンの裾で拭くと、愛想笑いをしながらお礼を言ってまるでその場から逃げるように去っていく。
玄関前に残された私は自室へ戻って荷物を開封する。何も頼んだ記憶も無いが、このまま未開封で置いておくのも気が引ける。
覚悟を決めて深く息を吐き、ペン立てからカッターナイフを引き抜いた。刃が粘着テープを切り裂き、『スーッ……』と微かな音だけが静かな部屋に響く。
上面に貼られたテープをすべて切り終えると、彼女はゆっくりとふたを開ける。
気泡梱包材の上に置かれた新聞紙を取ると見えてくる荷物の正体。
それはまぎれもない『人の手』だった。手首で丁寧に切断され、血の一滴すら流れていない。
脳が理解を拒絶する間もなく言葉にならない絶叫がマンション内に響き渡った。
「――というのが事件の全貌です。被害者女性はショックにより自宅で意識を失っているところを発見されており、悲鳴を聞きつけた隣人からの通報によって事件が発覚しています」
会議室のプロジェクターから表示される一枚の写真。女性刑事である加藤あかねの淡々とした報告が場の空気を更に重くする。事件発覚から数日が経過し、被害者である藤崎の事情聴取は終わったが、犯人の足取りは何一つ掴めていない。
「身元の特定はまだ終わらないのか?」
最前列に座り、睨みつけるように写真を凝視していたベテラン警部が低く濁った声で尋ねるが、手元の資料の進捗欄には『鑑定中』の四文字のみ。
苛立ちがピークに達した警部が怒号を上げて机を叩く。その光景に会議室の空気は凍りついた。
「申し訳ありません。ですが現在、指紋からの身元特定も難航しておりまして……」「難航? なぜだ」
彼女は資料を一枚めくり、プロジェクターの画面を切り替える。そこに映し出されたのは被害者宅に送られた『手』の拡大された写真。しかし指先の指紋は丁寧に削られていた。
複数の捜査員が息を呑む中、警部の剣幕に誰もが言葉を失い、張り詰めた空気間が部屋を支配する。その時、静寂を打ち破るように会議室の扉が勢いよく開かれた。
「失礼します! 科捜研からたった今、DNA型鑑定の結果報告が入りました!」
飛び込んできた若い捜査員が息を切らしながら一枚の書面を差し出す。加藤はそれを素早く受け取り、視線を落とす。そこに並ぶ文字列を目にした途端、手元の紙が小さく音を立てながら震えている。
「おい加藤、そこには何と書いてある!」
警部が苛立ちを露にして結果をせき立てた。その声に我に返り、震える手で資料を握り直す。軽く深呼吸をして喉の奥を落ち着かせると、少しだけ頭を下げて軽く謝罪の言葉を口にする。手元の鑑定書に書かれたその名前を見つめ、ゆっくりと顔を上げると確実なトーンで結果を告げる。
「警察庁のDNA型データベースと照合をした結果、都内に在住する会社員、葉山秀介さんのデータと一致しました」
聞き覚えのない市民の名前に周囲の警察官は顔を見合わせる。
「彼は二年前、勤めていた会社の金銭を横領したとして任意でDNA型を提供していました。結果として、事件の関与は認められず無罪が証明されましたが、当時の所轄のミスにより、データが削除されずに残ったままになっていたようです」
「その男の現在の行方は?」
即座に警部が問いただすも、加藤は苦渋に満ちた表情で首を横に振る。
「それが、彼は二年前の横領事件の疑惑の直後に会社を退職し、その数か月後から行方が分かっていません。両親は共に他界しており、捜索願も出されていません」
静まり返った会議室に響く秒針の音。その静寂を打ち破るように加藤が再び口を開く。
「被害者宅に荷物を届けたとされる宅配業者の配達員は現在、別室にて待機をしています。ですが、中身が人の手だとは夢にも思っていなかったようでひどく困惑している様子です」
すると警部が座っていたパイプ椅子を荒々しく引いて立ち上がり、自身が直接話を聞くとだけ言い残して取調室へ向かった。
――署内の取調室。
薄暗い部屋の片隅で自身の指先を見ながら小刻みに震えている若い男性。
ガチャ。と鉄の戸が開くと同時にパイプ椅子から立ち上がり、涙目になりながら裏返った声で懇願するように訴える。
「……す、すみません、本当に何も知らなかったんです。僕はただ、いつも通り端末の指示通りに従って届けていただけなんです」
過呼吸寸前の状態の彼に慰めの言葉を掛けることなく、ただ無機質な視線を向けたまま向かいのパイプ椅子に腰かける。
「知らなかった……か。ならお前は運んだ箱の中に、人間の生首が入っていようが、四肢がバラバラに入っていようが、いまと同じことが言えるのか?」
容赦ない怒声が狭い取調室に響き渡る。配達員は喉の奥が痙攣し、ただ首を左右に振るだけでまともな言葉を発することができない。そんな彼に追い討ちをかけるように再び声を荒げる。
「被害者はお前の持ってきた荷物のせいで精神が崩壊した。お前が崩壊させたんだ。いいか、少しでも怪しい動きをしてみろ。俺は今すぐにでもお前を被疑者として逮捕してやるぞ!」
威圧するように両手で机を突き、のしかかるようににらみつける警部。その権幕に配達員は完全に呼吸を乱し、過呼吸で過度の過緊張に陥りかけていた。
ガチャ。と再び鉄の戸が開き、手に温かいお茶を持った加藤が入ってくる。
「警部、あとは私が引き継ぎます。本部長からも、これ以上の威圧的な聴取は避けるようにと指示が出されています」
冷徹な視線に警部は舌打ちを残し、荒々しく椅子を蹴立てて部屋を出ていく。
部屋に残された彼女はゆっくりと向かいのパイプ椅子に腰を掛ける。緑茶をそっと配達員の前に置き、優しい声で大丈夫だと伝えて深呼吸をするよう促す。震えた手で紙コップを持つと温かいお茶を喉に流し込んだ。少し赤みがかった彼の顔を見て、加藤は手帳を開く。
「先程の警部のことは完全に忘れてください。私たちは、あなたがただ業務を全うしていただけだと理解しています。……ですがこの事件を解決するためにはあなたのお力が必要なんです。どれほど小さな違和感でも構いません。何か気付いたことはありませんでしたか?」
穏やかな彼女の声に配達員は必死に記憶を遡り、ぽつりとつぶやき始める。
「あの箱をトラックに積み込む際、手書きで小さな番号が書かれていました。最初は管理番号かと思ったんですけども、桁数が少ないうえ枠の外に書かれていたんです」
証言を元に手元の端末で証拠写真を確認すると、彼の言う通り伝票の外側に小さく〇一と書かれている。この番号に心当たりが無いか聞くも、彼は首を横に振るだけだった。
それから約数分、当時の配送ルートを始めとした業務中のことについて聞き取りを続ける。しかし、これ以上事件に直接関与するような情報は出てくることはなかった。
「……分かりました。怯えさせてしまい申し訳ございませんでした。ご協力感謝します」
手帳を閉じ、これ以上ないほど穏やかにパイプ椅子から立ち上がる。
ガチャリ、と無機質な音を立てながら扉が開かれる。部屋を出る際に再び振り返ると小刻みに震えている配達員の姿。「もう大丈夫ですよ」と声を掛け、そのまま廊下へと踏み出していった。
取調室の外にある警察署の薄暗い廊下。そこには一人の警察官が立っており、彼女の姿を見るなり駆け足でこちらへ近寄ってくる。 今回の事件でサポートのために配属された、やる気だけは人一倍強い新人警察の羽山葵だった。
「先輩、お疲れ様です! 先程本部長からの直命が出ました。警部が今回の事件から外される模様です」
ぎこちない敬礼とともに報告してくる。その瞳にはどこか状況を飲み込めていないような不安が感じ取れた。しかし加藤はそんな彼女を気にも留めず、手元の端末を小脇に抱え直して歩き出すと、その背中を追いかけるように続く。
「さっきの取り調べを上層部の方がカメラ越しに見ていたようで……。威圧的な聴取によって問題が起これば警察の不祥事として扱われるって怒られていました。当の本人は納得いっていない様子でしたけどね……」
「警部は結果を急ぎすぎていた。被害者や関係者の心情を無視した横柄なやり方は現場の空気間だけでなく、誤認逮捕に発展する恐れもある。当然の報いね」
淡々と告げられたその言葉に葵は小さく頷くと、周囲に誰もいないことを確認して歩調を合わせながら加藤の顔を覗き込む。
「それと先輩、ずっと気になっていたんですけど、どうして科捜研からDNA型鑑定の結果報告が入った時に動揺されていたんですか? もしかして葉山秀介さんと言う名前に何か心当たりでもあったんですか?」
何気ない彼女の問いにピタリと足が止まり、張り詰めたような静寂が流れ始めた。
なにか感に触ることを聞いてしまったと感じたのか謝罪を行うも、純粋なその質問に少し寂しげに答え始めた。
「葉山君はね、私が好きだった人なの。友達に他校の文化祭に誘われて行っただけなんだけど、彼を見かけた際に一目ぼれしちゃってね。ここで諦めちゃ後で後悔するって思って告白したんだけど振られちゃって……。それから片思いのままそれきりだった。もう何年も前のことだし、すっかり忘れていたはずなんだけどね」
苦笑いを浮かべているが、その顔はどこか辛そうな雰囲気を放っていた。
「だからさっきの会議室で、彼の名前を見たときはただ困惑することしかできなかった。なんで彼の名前が……って」
忘れてしまいたい過去。しかしそれが今や最悪の猟奇事件として目の前に突き付けられている。そんな皮肉的現実に奥歯をかみしめたその時だった。
『――捜査一課、加藤あかね警部補。および羽山葵巡査。至急第二会議室へ向かってください。繰り返します。捜査一課、加藤あかね警部補。および羽山葵巡査。至急第二会議室へ――』
薄暗い天井に設置されたスピーカーから静寂を切り裂くように響く、名指しされた呼び出しアナウンス。通常ではあり得ない緊迫した事態に二人の顔が強張った。
静まり返った室内に足を踏み入れた瞬間、肌に刺さるような緊張感が出迎えた。
プロジェクターの明かりが照らす中、室内には先程の面々が居並んでいる。しかし最前列、警部の座っていた座席は空席のまま、一方で先程まで誰もいなかった会議室中央に捜査部長である坂井が鎮座していた。
加藤達が椅子に座ると捜査員全員が揃っていることを確認すると、彼は重々しく口を開く。
「急に集まってもらってすまない。まずは知っている者も多いだろうが、本部長からの直命により今回の事件からは外させてもらった。以降は私が指揮を執らせてもらう」
室内にざわつき始めたが、何も言わずに無言で片手を前に出し静まり返らせ、プロジェクターの画面を切り替える。
「早速だが、本題に入らせてもらう。お前たちが取り調べを行っている際に他県の警察本部から連絡が入った。……まずはこれを見てくれ」
画面に映し出されたのは、別の警察署と思われる場所で撮影された複数枚の写真。箱のサイズこそバラバラだが、あの箱と同様に伝票の枠外には黒い油性マジックで小さく数字が書かれていた。
「報道されてから数日が経過したが、それを皮切りに他県の警察署からも同様の報告が相次いでいる」
手元のリモコンを操作し、新たな写真が映し出される。
隣県の警察署や、北陸地方の交番で撮影された物まで様々――。そして配送場所と一緒に映し出される切断された遺体の数々。配送時刻はどれも都内で最初の事件が発覚した二日後付近。
動揺を隠せない捜査員たちはその信じ難い光景に一瞬でパニック寸前の喧騒に包まれる。
しかし羽山だけは周囲のどよめきに流されず、冷静に画面の一角を凝視していた。
撮影された段ボール箱の側面。ちょうど写真の端で切れた部分に並ぶ鮮やかな文字。すべての写真に写っているわけではないが、複数枚の写真にとあるシールが写っていた。
「指定日、配達……?」
小さな呟きに加藤がハッと目を見開く。視線の先にある写真の端には、周到に計算されたであろう日付が印字されている。
全国同時多発に見えたこの悲惨な事件は、決して突発的なものなどではない。何日も、あるいは何カ月も前から、犯人が今日この瞬間に合わせて日本全土へ仕込んだシナリオ。警察の初動でさえもあらかじめ描かれていたに過ぎなかった。
羽山のさりげない一言に坂井の目が鋭くなる。プロジェクターのリモコンを即座に操作し、各地から送られてきた現場の写真を拡大する。
画面に大きく映し出された『〇三』の箱。側面には指摘通り微かに剥がれかけた『指定配達』のシールが確かに貼られていた。
「間違いない……。犯人は最初から、我が庁の捜査網を日本規模で攪乱させる為に発送日を指定していたというわけか」
彼は深く息を吐きだすと、立ち上がり机を強く叩く。
「これより、本庁に『広域重要指定事件・合同捜査本部』を設置する! 各県警でこれ以上の単独開封は厳禁。発見された箱、及び中身の遺体組織は、今すぐ保冷措置を施し、すべて我が調査本部へ直接郵送するように手配しろ! すべての証拠を一括で官邸に回す!」
怒号のような指示に、周囲の捜査員たちが一斉に電話や端末へ飛びつき、各方面への調整を始めた。
――数日後。
第二会議室の長机には様々な警察署から送られてきた例の不気味な段ボールの数々。敷かれたブルーシートには保冷容器によって厳重に保管されていた遺体の数々が並べられていた。
「……先輩、送られてきた遺体の並べ替え、終わりました」
羽山の重苦しい声が、静まり返った室内に響く。
長机のブルーシートの上には、解剖と鑑定を終えた葉山の肉体が丁寧に並べられ、本来の人間の形へと再構成されている。四肢から胴体に加えて、二の腕、前腕、太もも、ふくらはぎと言った具合に、関節の境界線で丁寧に切断されている肉片。その数実に十三個。
しかし、その光景には一つだけ違和感があった。
「おい、頭部はどうした」
坂井の掠れた声。整然と並べられた肉体の首から上には、何一つ置かれていなかった。捜査員たちが顔を見合わせるも、誰一人として情報を持っていない。
「全国の警察署に連絡を行いましたが、届いたすべての箱には入っていませんでした」
加藤の言葉に羽山が悔しそうに唇を噛み締め、手元の資料を握り直す。
「ですが、一つ分かったことがあります。司法解剖の結果、これらの遺体はすべて最近までホルマリン漬けにされ、保管されていた形跡があるとの連絡が入りました」
最初に届いた冷気を一切感じなかった『常温』の箱。配達員もトラックに積み込む際からクール便の指定はなかったと証言していた。腐敗処理や冷凍された痕跡がないにもかかわらず、組織細胞が死んでいなかった理由。それは冷凍保存などではなく、薬品によって肉体そのものを『標本』として固定されていたからだった。
「犯人は葉山さんの失踪直後、あるいはそれに近い時期に葉山さんを殺害し、彼の遺体を切断。その後ホルマリン液の中で保存していたものだと考えます」
加藤の淡々とした解説に、じっとりとした先程とは違う種類の恐怖が伝染していく。失踪から約二年もの間、一人の男性の切断された体の部位を薬品のプールに浸し、傷の一つもつけず丁寧に管理していた異常なまでの執着。
「監察医からの初期見解では、死因は窒息死の可能性が高いようです。しかし、すべての部位に暴れて抵抗する際にできる『防御創』が一切なかった為、薬物等で意識を失った状態で生きたまま、あるいは事切れた直後に解剖された可能性があるそうです」
あまりにも冷徹な見立てに言葉を失う捜査員たち。静寂に包まれた空間には生唾を飲み込む微かな音だけが響く。
「現在、荷物が配送された住民と葉山さんとの関係性を調査中です」
その言葉を皮切りに、捜査本部は怒涛の数日間を駆け抜けることになった。
捜査本部となった第二会議室の空気は、日を追うごとに疲労と焦燥感に支配されていく。送られてきた保冷容器の処理と並行し行われる身辺調査。完全に赤の他人と思われた最初の住人と行方不明の葉山秀介の関係性は、意外なところからもたらされた。
「先輩、他県で荷物が押収された警察署から緊急の連絡が入りました。箱の宛先になっていた『被害者の女性』に事情調査を行ったところ、極めて明確な証言が得られました」
徹夜続きで目の下に黒い隈を浮かべた羽山が、印刷された報告書を加藤の机に差し出す。
「最初の箱を受け取ったあの女性は葉山さんの元恋人で、二人は高校時代から交際していたようです。しかし、横領の容疑で会社を失業したタイミングで別れてしまったようなのですが、……別れを切り出したのは葉山さんからだったようです」
「彼の方から?」という加藤の問いに、神妙な面持ちで頷いた。
「藤崎さんは『何があっても支える』と伝えたそうですが、一方的に関係性を断ち切られてしまったようで……。情報提供に協力してくださった被害者女性は元々彼とは友人であり、当時から相談を受けていたそうです。そしてここからが重要なのですが、藤崎さんは元々執着心がかなり強かったようで、一方的に振られてから数日間は一歩も家から出てこなかったとの情報も入っています」
振られた女の逆恨み。時間の経過とともに憎悪へと変化したと考えれば筋は通る。
最初の取り乱し方でさえ警察の目を欺いて容疑者に疑われない為の演技だったと仮説を立てた周囲の捜査員たちも、得心のいった表情で小さくざわめき、お互いに顔を見合わせ始めた。
赤の他人と思われていた被害者と遺体。そこに『愛憎』という強力な動機が一本の線として繋がったことで、先程まで凍り付くような会議室の空気も事件解決への安堵した空気間へと変わり始める。
「おい、何をのんびりと話している! 動機が割れたのならば一刻を争うぞ。自身の名前を送り主にしていたのも歪んだ自己顕示欲の表れだ。今すぐ彼女の身柄を確保しろ! 各県警の本部にも直ちに無線を飛ばし、全国一斉に彼女の立ち回り先を押さえろ!」
坂井の鼻息の命令に再び空気が張り詰める。数人の捜査員が立ち上がり、各方面の応援要請や端末への入力を開始した。これで迷宮入りは免れるだろう。全国の捜査網を使って彼女の身柄を確保すれば、この事件は幕を閉じる――。
誰もがそう確信していた。
しかし、羽山は彼らの楽観に同調せず、表情を硬くしてプロジェクターの画面を切り替える。
「ですが、話はそれだけではありません。この数日間の捜査で、今回集められた『〇二』から『一三』までの箱ですが、配送元と配送先がすべて被害者宅の住所であり、最初の方を含め、全員が『女性』でした」
その言葉に捜査員たちの手がピタリと止まった。
プロジェクターの画面が静かに切り替わり、とある高校のクラス名簿が映し出される。葉山でなく、配送先となった被害者女性たちが通っていた高校。彼女たちの名前は目立つよう赤ペンで囲まれていた。
「彼女たちは全員、葉山さんの『高校三年生の時のクラスメイト』でした」
羽山の口から告げられた事実。二年前の事件が関係し、最初の被害者である藤崎が犯人ではない可能性に、捜査員たちの確信が揺らぎ始める。
そんな中、じっと名簿を睨むように見つめていた坂井
が重々しく椅子を引いて立ち上がる。
「……いや、まだ彼女が白だと決まったわけではない」
強張った顔のまま卓上に両手を突き、厳しい視線を加藤たちへと向けて鋭い命令を下す。
「高三時代のクラスメイトがこれだけ狙われている。そして彼女もまた例外ではない。仮に彼女が主犯ではないとしても、当時の教室で『何があったのかを知っている』可能性は極めて高い。念のため、彼女にもう一度事情聴取を行う。加藤、羽山。お前たちは彼女の自宅へ向かえ!」
「了解しました」と加藤が短く応じると同時に羽山も力強く頷いた。
忘れてしまいたい過去。それが今になって、何年も前から張り巡らされた最悪な猟奇事件として目の前に突き付けられている。
息をつく暇さえなく二人は第二会議室を飛び出した。薄暗い警察署の廊下に響く鋭い足音。並んで階段を駆け下り、最短ルートで地下の車両待機所へと向かう。
走りながら現地の所轄に連絡し、不審な行動がないよう私服警官を巡回させる。
地下駐車場へ到着すると、配置されえてていた捜査車両のドアに素早く手をかけた。
バタン。と重いドアが閉まると即座にエンジンを掛けてアクセルを踏み込む。先程まで静かだった地下に反響するエンジン音。急加速でスロープを駆け上がり、マンションの一室へと突き進んでいった。
――数分後、車は都内某所のアパート前に到着した。所轄の私服警察官の数名が周囲を警戒する中、二人は車を飛び出し目的の部屋へと急いだ。
静まり返った共用廊下。あの箱が最初に届けられた部屋の前に立ち、インターホンに手を伸ばす。
ピンポーン。
静かな廊下に響く呼び鈴の音。しかしドアが開く気配は一切なく、静まり返ったドアの向こうからは奇妙な『違和感』だけがじっとりと伝わってくる。
「……羽山」
鬼気迫る面持ちで加藤が声を潜めドアノブに手をかける。慎重に力を込めると、カチャリと軽い金属音を立てて、鍵のかかっていないドアはあっけなく開いた。
「警察です、申し訳ございませんが、立ち入らせていただきます」
羽山が相手を気遣うように声を掛け、二人同時に薄暗い室内へと踏み込む。
空気は完全に冷え切り、生き物の気配が一切しない重苦しい空気が部屋を支配している。
リビングへと続く短い廊下には、引き裂かれた衣服や中身の飛び出した棚が乱雑に散乱していた。家具はことごとく倒され、壁には何かを必死に引っ掻いたかのような生々しい爪痕。その光景はまるで何者かに無理やり連れ去られたような、凄惨極まりない室内だった。
クローゼットの中や浴室など、どこを探しても彼女の姿は見つからない。いつから彼女は姿を消したのか。事態の深刻さに加藤が息を呑んだその時、奥の寝室を検分していた羽山が、悲鳴に近い声を上げた。
「先輩、これ……!」
駆け付けると、激しく荒らされたベッドの上を指差す羽山の姿。めくられた布団の中央には、上面に貼られた鮮やかな赤いシールと共に見覚えのある段ボール箱が置かれていた。
しかし、伝票に加え枠外の数字でさえ何も書かれていない。
その光景に絶句することなく、冷静に判断を下す。
「……一度、署に戻るわよ。鑑定を呼んで、この部屋一帯の証拠を抑えさせて」
その言葉に羽山は悔しさをにじませながら小さく頷く。
しかし部屋を出る間際、丁寧にベッドの上に置かれた箱に違和感を感じた加藤が足を止めた。
「……ねぇ、何かおかしいと思わない?」
カオスとかした室内を見渡し、最後にベッドを指差す。
「これだけ激しく家具が倒されてるのに、この箱だけは中央に丁寧に置かれ、埃一つ被らないようにされているの?」
冷静な分析にハッと息を呑む。言われてみれば、なぜ埃が被らないように布団が掛けられていたのか。
二人の脳裏に、たった一つの仮説が浮かび上がる。
連れ去られたかのように見えるこの室内は、警察の捜査が開始したことを察知した藤崎が自分でこの部屋を荒らし、荷物を残して逃げたのではないだろうか――。
捜査本部である第二会議室へ戻った二人の腹案は、疑惑から確信へと変わっていた。悲鳴を上げた被害者という肩書きは完全に消え去っている。
荒らされた室内に布団を掛け、白紙の伝票が張られた状態で丁寧に守られていた箱。事件に巻き込まれたにしては不自然な矛盾が、彼女の正体を『真犯人』へと反転させた。
加藤が事の顛末を報告すると、それを聞いた捜査員たちの間にはどよめきが広がる。しかし、この場にいる全員はもう彼女が被害者と思っている人は誰一人としていなかった。
「容疑者を藤崎へ絞り、広域手配を敷く! 全国各局へ彼女の顔写真を送信、一斉指名手配を行え!」
坂井の指示に捜査員たちが立ち上がり一斉に電話や端末へ飛びつく。警察全体を手玉に取った彼女が、都外、あるいは県外へと逃亡している可能性を最大限に加味し、全国の警察の捜査網が張り巡らされたのだった。
事件発覚から早数カ月が経過した今でも連日報道は絶えない。
何一つ確信を得られていない警察の無能さを助長するようなSNS投稿が見受けられ、未だに犯人の尻尾を掴めずにいる中、逃亡したと思われていた藤崎の遺体が山中にて発見された。
単に犯行が発覚して自殺をした。国民の誰もがそう思っていたが、現実はそう甘くはない。彼女の遺体も最初の事件同様にバラバラの状態で発見された。それは自殺ではないという根拠と共に、犯人が藤崎ではなく別の人物だったという真実まで突き付けられた。
振り出しに戻され、再び事件は迷宮入りする中、自宅へと帰宅する彼女の足取りは軽やかだった。
鼻歌交じりに笑顔を浮かべ、帰り道をスキップで駆け抜ける。
建付けの悪く、住民もほとんどいない小さなドアパート。加藤の文字が書かれた表札の前へ着くと、重々しいドアを開け中に入る。
「たっだいまー! 私のダーリン」
室内に入ると同時に室内に響く明るく元気な声。しかしなんの返答もない。
部屋の壁に無数に貼られた男性の写真。その近くには置かれた血の滴る金切鋸を横目に見ながら部屋の中央へと向かう。
「相変わらず冷たいなー。何も言ってくれないなんて」
そう言うと大きめの円柱水槽を抱きしめる。中に入っているのは熱帯魚等の可愛らしいものでは無い。
未だに発見されていない、葉山秀介の頭がホルマリン液に漬けられていた。
(了)
御一読ありがとうございます。
無事投稿二作目となりました。
仕事との両立の関係で、どうしても"やる気"というものが出なくなり、没にしようかと何度も考えた今作。一作品目同様に完全に直筆で書くことはまだ自分の実力では不可能でしたが、いつかは"AI不使用"の設定にて投稿出来るよう精進して参ります。
次回更新日は未定ですが、直筆でラノベの連載物でも書いてみたいと考えております。
ではまた次回の作品もご覧にいただけましたら幸いです。




