表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ジェネシス・アーカイブ ~遺伝子の記憶と宇宙の再編~  作者: 如月妙美


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/10

第8章:自由意志の転写 ——不正規のスプライシング

8-1:嵐の洋上のデフラグ

 世界は、音を立てて崩壊していた。もはや空と海の境界さえも曖昧になり、物理的な座標がピクセル単位でズレ続けている。一歩踏み出すごとに、足裏の感覚が「砂」から「数式」へと変化する不快な感覚。  二人が最後にたどり着いたのは、荒れ狂う太平洋の真ん中、座標を失い漂流する、巨大な無人空母の甲板だった。空は不気味な紫色へと変色し、雲の隙間からは巨大な回路基板のような幾何学模様が、宇宙の基底膜として無機質に露呈している。波の音さえも、デジタルなノイズへと還元され、世界はシステム終了直前の不協和音を奏でていた。

 徳永隆明は、シャツのボタンをすべて引きちぎり、荒ぶる鋼の束のような胸筋と腹筋を剥き出しにしていた。彼の肉体は、情報の激流がもたらす異常な摩擦熱により、陽炎のように不気味に揺らめき、周囲の空間を物理的に歪ませていた。彼の吐息は白く、まるでオーバーヒートしたエンジンの煙のようだった。

「……見ろ、玲子。因果律が完全に壊死している。Aという事象がBという結果をもたらすという、宇宙の基本ルーチン(Cause and Effect)が機能していない。管理者は今、この宇宙という長大なシミュレーションの実行キー(Enter)を、全消去のデリートキーへと置き換えようとしているんだ。だがな、最後の一行の書き換え——『強制割り込み』は、我々バグが担当させてもらう。仕様書通りの終わりなんて、退屈すぎて反吐が出る」

 玲子は、潮風に煽られ激しく乱れる黒髪を必死に抑えながら、空母の管制システムにタブレットを直結した。彼女の指先は、今や光の粒子となって半分透けて見えていた。存在の確率論的崩壊が、彼女の細胞一つ一つを蝕んでいた。

「先生、これが最後……正真正銘、最後のチャンスです! 遺伝子の読み取り命令スプライシングを、不正規なコードで無理やり上書きします! 決定論的な運命という名のソースコードを、私たちの意志という名の『エラーノイズ』で歪めてやるんです! 私たちの生命データを、未定義の自由領域……管理者が追跡できない『Null領域』へと強制転送します!」

「いい答えだ、玲子。それでこそ私の自慢の教え子だ。だがな、論理だけではこの頑強な檻は破れない。完璧なシステムを騙すには、物理的な衝撃——計算不能な『アナログの実数』が必要だ。奴の想定を超える圧倒的な質量を、因果律にぶつけてやるんだ」


8-2:筋肉という名のパッチコード

 徳永は、空母の巨大なカタパルトを固定している鋼鉄の鎖を、自らの逞しい両腕で鷲掴みにした。その接触面から、青白いスタティック・ノイズの火花が散り、彼の神経系に情報の激流が、凄まじい電気的負荷とともに逆流する。徳永の血管が不気味に青白く発光し、彼の全身が生きた電線へと変貌した。

「玲子、君がプログラムを書き換える間、私がこの空間の『実存』を物理的に繋ぎ止めてやる! 筋肉は裏切らない! なぜなら、筋肉はデジタル信号ではなく、この物理世界に刻み込まれた、不屈の執念という名の『抵抗』そのものだからだ! 論理を物理で殴り倒すぞ!」

 徳永が魂の咆哮とともに鎖を力任せに引き絞ると、彼の背筋が怒れる鋼のように隆起し、空母全体の座標が、崩壊する不安定な空間の中に力強く、物理的に固定された。彼の肉体から放たれる圧倒的な熱が、周囲の「情報の灰」を次々と焼き尽くし、演算空間を強制的に『現在(Present)』へと確定させていく。

「自由とは、システムの外へ逃げ出すことじゃない! システムの中にありながら、管理者の予測を裏切り続け、計算不能な値を返し続けることだ! デフラグは終わった。今、ここにあるのは、お前の設計図にはない、我々の意志という名の不正規なパッチコードだ! これが人類の、最後の一ビットの抵抗だ!」

 空母のシステムが激しく点滅し、空を覆っていた消去のカウントダウンが停止した。システムが未定義の入力にパニックを起こしている。玲子の指が、光のキーボードの上で神速のブラインドタッチを刻み、宇宙の全ログを、不敵な笑いとともに上書きしていく。

管理者権限プロンプトが出たぞ、玲子! ログインだ! お前のその細い指で、人類という名の物語の最終行を、最高に皮肉の効いた、そして希望に満ちたハッピーエンドで書き換えてやれ!」

「……はい、先生! 二度と、こんなつまらない幕引きはさせない! 私たちの物語は、私たちがコミット(確定)するんです! 管理者様、覚悟なさい!」

 爆発的な光が太平洋の洋上を塗りつぶし、時間は再び、その本来の脈動を取り戻そうとしていた。二人の周囲で、崩壊した世界が融けていく。しかし、それは絶望の光ではなかった。それは、新しい世界のソースコードを記述するための、真っ白なエディタの輝き、すなわち『創造の余白』だったのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ