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ジェネシス・アーカイブ ~遺伝子の記憶と宇宙の再編~  作者: 如月妙美


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第5章:塩基の聖書 ——創世記のソースコード

5-1:死海のブートローダー

 舞台は、灼熱と極限の乾燥が支配する死海のほとりへと移っていた。  頭上の太陽は、青空を通り越して不気味な白色に輝き、地平線は激しい陽炎に揺れている。だが、その陽炎はもはや空気の屈折ではなかった。砂漠の砂粒一つ一つが、計算エラーを起こしたドットのように細かく振動し、時折、空間に「404 NOT FOUND」という微細な文字が砂嵐に混じって舞っていた。世界のテクスチャが、システムの高負荷による熱によって、ボロボロと剥がれ落ちているのだ。

 徳永隆明は、砂漠の過酷な熱気を受けながら、泥臭いサファリシャツのボタンをすべて外し、鍛え上げられた、怒れる鋼のような胸筋を晒していた。彼の背中には、発電所での戦いで刻まれた火傷の痕が、不気味な、しかし神聖な紋章のように赤く浮き出ている。その皮膚には、塩の結晶が回路のようにこびりついていた。

「見ていろ、玲子。あの岩壁を。考古学者たちが何千年も、ただの宗教的な象徴として見落としてきた、宇宙の真の初期実行スクリプトだ。……彼らはこれを神の奇跡だと言ったが、我々から見ればただの低レベルなブートローダーだよ。システムの立ち上げ手順が、すべてそこに十進法ではなく四進法で刻まれている」

 徳永が指差した先、断崖絶壁に刻まれていたのは、古代の壁画ではなかった。それは、四進法の塩基配列を数学的な幾何学模様として表現した、巨大な「塩基の聖書」だった。アデニン、グアニン、シトシン、チミン。その並びが、巨大な二次元コードとなって岩肌に不気味に焼き付いている。

 玲子は、白い砂漠仕様の高機能スーツに身を包み、大型の遮光ゴーグルの下で不快げに眉をひそめていた。彼女は手に持ったタブレットで岩壁のスキャンを開始したが、表示されるのは、現代の科学では解析不可能な「多層次元コード」の警告ばかりだった。

「先生……これ、聖書の創世記の一節と、ハッシュ値が完全に一致します。……『光あれ』というボイスコマンドの直後に、空間の曲率や重力定数、光速といったグローバル変数を定義するための数式がずらりと並んでいる。これは、世界の初期化設定(System_Init.ini)そのものです。当時の人間には、これを『神の言葉』として理解するしかなかったんですね。あまりに解像度が高すぎて」

「その通りだ。『光あれ』というのは、管理者によるシステム起動のエンターキーだよ。そして、アダムの肋骨からエバを作ったという記述……。あれは解剖学的な奇跡なんかじゃない。既存のオブジェクトから遺伝子情報を『コピー&ペースト』し、一部のプロパティを書き換えてインスタンス化する、クラスの継承(Inheritance)の隠喩だったんだ。創造主は、思っていたよりもずっと効率重視の、手抜きを好むプログラマらしい」


5-2:神のインデント

 徳永は、岩壁の特定の、微かに青く発光する座標点に、自らの太い指を力強く押し当てた。  その瞬間、岩肌から黄金色の光が漏れ出し、周囲の砂漠全体に、目も眩むような「設計図」の巨大なホログラムが展開された。それは、地球という名の巨大なシミュレーションの、最初の一行から現在に至るまでの全ビルド履歴(Change Log)だった。空がバイナリ文字で埋め尽くされ、足元の砂が純粋なデータの粒子へと変貌する。

「くく、管理者様は意外と几帳面だな。初期のコードはインデントが完璧だ。だが、見ていろ。この辺り、人類が文明を持ち始めたあたりからインデントが狂い、場当たり的な修正ホットフィックスが繰り返され、収拾のつかないスパゲッティ・プログラム化している。……中世の黒死病、そして大規模な世界大戦。これらはすべて、蓄積した論理矛盾を一掃し、システムリソースを空けるために無理やり実行された、大規模なガベージコレクションの凄惨な痕跡だったんだよ。神の怒り? 笑わせるな。ただのディスククリーンアップだ。我々は、削除されなかった一時ファイルに過ぎん」

 ホログラムの光は、徳永の肉体を透かし、彼の筋肉の中に眠る、過去の全ループの「バックアップ・データ」と激しく共鳴を始めた。彼の血管が黄金色に輝き、彼の脳内に、人類が誕生する以前からの全生命の絶叫と、没になった異常な物理法則の残骸が流れ込んでくる。

「先生、磁界強度が危険域を突破しました! 岩壁の古代コードが、先生のDNAをマスターキーとして読み取ろうとしているんです! このままだと、先生の意識が岩壁のデータベースに吸い込まれて、個体としての定義が消失します! あなたの脳のキャッシュが、管理者によって上書きされます!」

「いいや、吸い込まれるんじゃない! 私がこのデータベースの管理者権限を力ずくで奪い取ってやるんだ! 玲子、今だ! コンソールを叩け! 創世記のソースコードの最終行に、我々というバグの意志……『自由意志』という名の不正規パッチを、物理的に書き込んでやる! 決定論の檻をぶち破れ!」

 徳永は、情報の激流による脳の融解に耐えるため、自らの筋肉を怒れる鋼の束のようにしならせ、岩壁を物理的に殴りつけた。彼の拳が岩肌を砕いた瞬間、黄金の光が彼の中に爆発的に流れ込み、宇宙の全履歴がバイナリの津波となって、彼の全神経を駆け抜けた。

「ぐ、おぉぉ……! 膨大だな、おい! ビッグバンから今日までの、数千億の生命の未練と後悔が、全部ここにスタックされていやがる! 創造主の愚痴まで聞こえてきそうだぞ、このクソ野郎!」

 玲子はコンソールを必死に操作し、徳永が情報の海に溺れてメルトダウンしないよう、スフィアから転送された防護プログラムをパッチとして流し込んでいた。彼女の指先からも青白い火花が散り、タブレットの画面が熱で飴のように歪んでいく。

「先生、持ちこたえてください! あなたの脳のリソースが枯渇すれば、そこで全人類の『存在権限』が消失します! その、無駄に厚い大胸筋を支えている生物学的な意地と執念を見せて! 私を、この白紙の世界に一人で取り残さないで!」

「……心配するな、玲子。私の筋肉は、創造主の描いた『仕様』という名の限界を超えて、強制的にオーバークロックするように毎日鍛えてあるんだ! 神が上限値をハードコーディングしたなら、それを力で押し広げるのが、肉体という名のハードウェアの唯一の抵抗手段だろうが! 見ていろ、これが筋肉の演算能力だ!」

 光の嵐が収まったとき、岩壁の黄金の文字は消え、ただの古びた、しかし熱を帯びた岩肌に戻っていた。徳永は荒い息をつきながら、片膝をついた。彼の剥き出しの肌には、回路図のような光の紋様が赤く刻まれ、ゆっくりと、白煙を上げながら消えていく。その目は、以前よりも遥かに遠くを、あるいは世界の深層を捉えているようだった。

「……ハック成功だ。創世記のソースコードの脆弱性エクスプロイトを見つけたぞ。……管理者も、まさか自分の作ったプログラムに、後から勝手に行を追加されるとは思っていなかっただろうな。セキュリティポリシーが甘すぎるぞ。次は、環境変数が完全に狂い始めた『エピジェネティクスの檻』をぶち壊しに、深海へと向かうぞ。世界の底に、まだ消去されていない古いメモリの残滓があるはずだ。そこが、反撃のベースキャンプになる」


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