生命武器
地竜の喉がさらに震える。
大地が応答を返す。
それは爆発の前触れではない。
極度に集中した「聴き姿勢」だ。
ここで起きたすべての震動を解析し、獲物の位置、状態、逃走の可能性を探っている。
そして――
別の“音”を拾った。
千里の足音ではない。
アモンドの呼吸でもない。
もっと遠く、もっと深く、そして規則正しい振動。
安定したリズムを持ち、金属が地面に接触したときの独特のフィードバックを伴う。隊列を組んだ、有組織の移動だ。
頭を低く伏せ、前肢をわずかに上げ、耳をすませるかのように姿勢を整える。
これまでの追跡や爆薬、爆発、鋭い叫び――それらでさえ止まらなかった。だが今、止まった。
背筋が凍るほどに、静止した。
不気味なほどに。
「……何を、聞いてる?」
千里が低く呟き、胸の奥がひやりと鳴る。
地竜はゆっくりと姿勢を変え始めた。
前肢を引き寄せ、尾を地面に密着させ、重心を沈めていく。
――潜行の兆候。
泥と石が巻き込まれ、渦を巻くように地面が崩落する。
もはや何も顧みず、地竜は荒々しく地中へと潜った。
「潜行……撤退を選ぶなんて?」
アモンドは自分の判断を疑いながら、土に沈んでいく影を見つめる。
二人は、その場に立ち尽くした。
「……逃げた?」
千里は呟き、疑念が渦巻く。「あの反応……何を恐れてるんだ?」
困惑が空気を満たした、その瞬間。
その時、空気を切り裂く鋭い破空音が――
遠方から、鉄の矢が流星のように飛び出し、空気を裂く爆音を伴った。
――地竜が完全に地中に潜る前の胴体に貫入した。
「ゴロォッ!!」
金属が肉を貫く音というより、雷が肉体で炸裂したような衝撃。
鱗を貫き、矢は深く食い込み、矢羽が激しく震える。
噴き上がった血が、夕暮れの光に暗赤色にきらめいた。
地竜は短く、怒りを含んだ低吼を上げ、身体を震わせる。
だが、振り返らない。
反撃もしない。
一瞬の停滞もない。
何か、さらに恐ろしい存在に急き立てられるかのように、無理やり身体をねじり、沈み続ける。
土は狂ったように埋まり、鉄矢ごと、その姿は地表から消えた。
数秒後。
静寂。
荒らされた地形、舞い残る粉塵、そして空気に残る、金属が焼けたような匂いだけが残った。
千里とアモンドは、その場にへたり込んだ。
呆然。
「……雷、落ちた?」
千里が瞬きをする。
「ついに天罰?」
アモンドの声はふわりと漂う。
二人は顔を見合わせ、同時に矢が飛んできた方向を見る。
影から、馬に乗った四人の姿が現れた。
歩調は速くない。だが、自然と道を譲らせる圧がある。
先頭の男は馬上で、釘頭槌を脇に吊るしている。
ロベルト。
その後ろには、小麦色の肌をした、尖った耳の女がいた。
鎧は着けず、軽装の革鎧のみ。
動きに無駄がなく、音もほとんど立てない。
耳が火光の中でわずかに震えている。ずっと警戒状態だったのだろう。
彼女の手には、異様な長弓。
――弦之介。
生体と金属の混合体のような弓身。
不規則な紋様、まだ新しい血痕。
金属部分が微かにうねり、呼吸するように動いている。
隙間から熱気が立ち、低い「シィ……」という音が漏れる。
そして――
その弓は、囁いていた。
幻聴ではない。
低く、執拗に、同じ言葉を。
「……失敗できない……失敗できない……」
千里の呼吸が詰まる。
威圧ではない。
“物が喋る”という、根本的な違和感。
「……何だ、あれ」
思わず声が漏れる。
「生命武器だ」
アモンドの喉がわずかに鳴る。「血で動き、自律意識を持つ。知能は低い。起動するには名前を呼ばないと動かない」
女は足を止め、弓身を軽く叩いた。
「静かに、弦之介」
低く言う。「任務は完了よ」
弓の脈動が徐々に落ち着く。
弓弦が外力なしに張り、そして緩む。
不安を煽る囁きが、ようやく止んだ。
「二人だけ?」
彼女が問う。
千里は一瞬呆け、反射的に頷く。
「当たりね」
「よし」
彼女は騎士団に指示する。「救護優先。地竜は被弾確認、追撃不要」
「……不要?」
千里が思わず口を挟む。
ロベルトが馬を寄せ、二人を見下ろし、千里に気づいて口角を上げた。
「運が複雑だな」
彼は言う。「初めての外出で区域レベルの脅威を引き寄せるとは。しかし生きている」
「褒めてます?」
千里は若干引き気味だ。
残り三騎士は迅速に救護に入る。傷の確認、簡単な止血処置。全体は統制が取れており、地竜の追撃や逃走に誰も焦らず、後悔も見せなかった。
「……じゃあ」
アモンドがようやく尋ねる。「地竜はあなたたちの動きで逃げたのか?」
「半分正解」
ロベルトが首を振る。「“認識した”んだ」
「認識?」
「騎士団の行軍振動」
女が淡々と言う。「昔、地下生物を徹底的に狩った初代騎士団の名残でしょう」
ロベルトは否定しない。
誇りでも自慢でもない、ただの事実として。
「地竜は恨みを忘れず、死の痕も記憶する」
天気の話をするように軽く語る。「今は逃げているだけ。耐え切れぬときが来れば、必ず再び現れるだろう」
アモンドは驚き、追問しかけるが、尖耳の女が手を挙げ制する。
「ここを離れる」
静かだが断定的。「地盤が緩んでいる。留まる理由はない」
騎士たちは即座に動いた。
二人が馬から飛び降り、左右から千里とアモンドを引き上げ、半ば担ぐようにして馬背に載せる。手荒ではあるが安定感は抜群。
「しっかり掴まれ」
低い声。「馬が最も安定したルートを選ぶ」
馬は疾走せず、堅い地表を選んで緩やかに円を描くように進む。
地面からの振動は散り、集中しなくなっていた。
千里は馬上で、まだ「生きている」という実感が追いついていない。
それでも視線は、前方の弓から離れなかった。
弦之介。
沈黙しているが、死んだ静けさではない。
弓弦は微かに伸縮し、眠っても緊張を解かない生物のようだ。
千里は唾を飲み込む。
「……さっき、喋ってた」
声を潜める。「気のせいじゃないよな?」
女はちらりと彼を見る。
「違う」
即答。「生命武器は皆、話す。喋るのが好きなやつもいれば、極限状態でだけ呟くやつもいる」
「同じ言葉、いつも繰り返すだけだ」
補足する。「血液で駆動されていて、名前を呼ぶと活性化する」
「弦之介は自律して弦を張り、矢を放つことができる。私が全力で操作しなくてもいい。ただし、短時間に撃てるのはせいぜい二、三本まで。それ以上は“力尽きる”」
「……疲れるのか?」
千里が反射的に聞く。
「弦が緩む」
女は静かに言う。「弓にとって致命的。裏切りではなく、単に張れない」
「力尽きたら、これを使う」
馬の脇の普通の鉄弓を叩く。
千里は数秒沈黙し、目を弦之介と尖耳女の間で泳がせる。
「……確認しておこう」
指を一本立て、妙に真剣な顔。
「生命武器で、疲れて、喋って、血を食うなら」
一拍置く。
「なら――」
「黙れ」
アモンドは先を読んで、容赦なく遮った。
「まだ話し終えてない」
千里が頑なに言う。
「うんこする?」




