液体
彼らは往来の道に沿って進んだ。地面には時おり、踏み砕かれた骨の欠片が見える。色はもう白く、乾ききっている。
アモンドがふと眉を寄せた。
「この数日、雨は降ってないよね?」
千里は前方の地面を見る。暗い水たまりが小さく残っている。
「小便じゃない? でかい怪物がここで立ちションしたとかさ」
空気が一拍止まった。
アモンドが振り向き、千里を睨む。
「ねえ、お前の脳みそは、海でも入ってんの? それとも小便? なんでそんなに排泄の話ばっかするの」
「生活に密着してるだけ」
千里は無垢な顔をする。
アモンドはもう諦めた声で言った。
「密着してるのはトイレよ」
漂刃も恐る恐る近づいてくる。声はやけに慎重だった。
「地下から染み出した……とか?」
アモンドは首を振る。
「湧き水なら、こんなに“新しい”感じにならない。縁が綺麗すぎる」
千里は気にせず一歩前に出た。
「俺、ちょっと見てくる」
水溜まりの前でしゃがみ込み、覗き込む。
次の瞬間。
“水たまり”が動いた。
全体が持ち上がる。
突然息を吸い込まれた皮膚みたいに、ぷくりと膨らむ。
そして、予兆もなく灼熱の液体が噴き上がった。
千里は悲鳴を上げる暇すらなく、直撃を浴びた。
「――クソが!!」
“水”が地面から起き上がる。
ほとんど透明。引き伸ばされたクラゲのようで、内部を濁った液体がゆっくり巡っている。
「スライム!」
アモンドが叫ぶ。
千里はよろめきながら後退し、刀を抜いた。
目に、瞬時に「思い出した」冷えが満ちる。
こいつだ。
こいつに追われた。
こいつの液体の中を転がされた。
あの時、彼は道に倒れて、隊商に拾われた。
そして今――
また、出会った。
千里は口角をつり上げた。痛みの中で歯が鳴る。
「……やっぱり、お前か」
液体生命が再び噴く。
千里は一歩も引かない。
熱が全身を打ち、皮膚が膨れ上がる。
それでも勢いを殺さず、痛みを推進力に変え、
軍刀を中心へ叩き込む。
切り心地が違う。
肉じゃない。
熱した油袋に刃を突っ込んだみたいだ。
抵抗は粘つき、引き抜けない。抜けば半透明の糸状の粘液がまとわりつく。
あいつが“収縮”した。
刀を“飲み込もう”としている。
千里は逆に笑った。冷たく。
「食う?」
柄を握る手の甲に青筋が跳ねる。
「なら、腹一杯になれ」
乱暴に引き裂き、続けて滅茶苦茶に叩き潰す。
優雅な剣技じゃない。
鬱憤。復讐。
液体が崩れ、逃げようと形を変えるたびに、突き、刺し、刻む。
「ほら食えよ! 食え食え!!吐くなよ!」
あいつは縮もうとする。離れようとする。
千里は許さない。
滑り出そうとする“尾”を踏みつける。
足裏が腐食して刺すように痛むが、離さない。
内部の濁った流体が止まった。透明が濁り、黒ずむ。煮詰まりすぎたスープみたいに。
数度、ねじれて。
最後には、ただの死んだ水溜まりになった。
アモンドは、焦げた服と湯気の立つ肌を見て、表情を作りかねた。
「……あんた、こいつ知ってるの? 反応が狂ってる」
「知ってる」
千里は息を吐く。
「一回、こいつに“風呂”入れられた。熱湯でな」
アモンドは眉を寄せる。
「よく生きてたわね。こいつの液体、毒もある。あとで自分で薬塗りなさい」
漂刃が小走りで来て、慌てて水や布を差し出す。口も止まらない。
「だ、大丈夫ですか? 腕…あの…ぼ、僕、包帯できます…!」
浮鉄は淡く頷くだけで、依然としてほとんど喋らない。
旅牙が鼻で笑う。
「終わった? 終わったなら行くぞ。
ここで“スープ”の匂いを嗅いでいたくない」
――
四日目の昼。
この二日で、道は露骨に悪化した。
平坦な歩道は消え、足元は礫の斜面。霧に浸った湿り気のある木橋。
霧は濃くないのに地を這い、離れない。灰白い薄布がまとわりつくみたいだ。
山が現れた。
遠くの灰青い輪郭だったものが、一晩で眼前まで迫り、沈黙する歯列みたいに並ぶ。
そして、塞ぐものが出た。
怪物ではない。
人影が二つ。
道の真ん中に立っている。
釘みたいに。随意に打ち込まれているのに、避けようがない。
貨車の馬が止まり、蹄が砕石を削って耳障りな音を出す。
雇主は帳簿を抱えたまま、怒鳴るでもなく、帽子の鍔をさらに深く下げた。自分を世界から消すみたいに。
よく見ると、その二人の少し離れた後ろにもう一人いた。
「前の三人」
旅牙が顎を上げる。
「言われなくても分かってるよな?」
千里は目を細めた。
先頭の男は狐の耳を持ち、だらりとした肩つきで、手の中で短刀を回している。刃は指の間を跳ね回り、まるで曲芸のようだった。
その男は、やけに明るい笑みを浮かべている。まるでこの道が自分の家の廊下であるかのように。
二人目――男の左には、どう見てもあまり頭が良さそうに見えない少女がいた。
熊耳が頭に垂れ、呼吸のたびに小さく揺れる。彼女は軽装で、腕はガントレットに覆われており、筋肉はあまり発達していないようで、少しだらしない印象さえあった。
つま先が砕石を擦る、少しでも居心地のいい位置を探しているようだった。
顔には場違いな、間の抜けた笑い。
三人目は、やや離れた場所に立っていた。背に蝙蝠の翼を持つ女。
翼膜は体に沿って畳まれ、サイズの合わない外套みたいだ。コウモリの耳は時折ぴくりと動いた。弓には矢が番えられているが、引き絞ってはいない。
狐耳の男は短刀を指の間で止めて袖にしまった。
そして手を上げ、気軽な挨拶をした。
「おはよ」
笑う。「緊張すんなよ。俺たち、通りがかっただけ。ついでにちょっと借りる」
漂刃が固まり、顔色が真っ白になる。
「……ま、まさか」
雇主が眉を寄せる。
「お前たち、何者だ?」
旅牙が鼻で笑い、答えを地面に吐き捨てるように言う。
「弥作」
狐耳の男――弥作は褒められたみたいに目を輝かせる。
「えっ、俺のこと知ってんの? 今日機嫌よくなるわ」
ずっと黙っていた浮鉄が、ここで初めて口を開いた。
「正人会」
雇主の顔色がさらに沈む。
「正人会!?」
漂刃は唾を飲み込み、頷きが異常に速い。
「か、彼らは…普通の指名手配じゃない」
弥作を見かけて、目線が逃げそうになる。
「“正人会”です。最上位列の離反者が集まったって…」
「生命武器を七、八件盗んで、まだ捕まってない」
漂刃の目が据わる。
「《再造の国》に本気で敵対する唯一の組織…一般の犯罪者は割と放置されるけど、正人会だけは違う。《再造の国》は“処理”する」
だが弥作は手をひらひら振った。噂がうるさい、と言うみたいに。
「いやいや、そんな大層に言わないでくれ。」
やけに正直だ。
「俺ら、雑兵だよ。“生命武器盗んで国に喧嘩売る”みたいな大舞台、俺らは拍手する資格すら怪しいよ」
旅牙が目を細める。
「懸賞金、言え」
漂刃は祈りの文句みたいに早口で答えた。
「弥作、四万二千。夜佣、二万一千。鈍良、六千三百」
「……六千三百?」
千里は反射的に熊耳の少女を見る。
「えっ? ま、まあまあでしょ!」
昼飯の話でもするみたいな軽さ。
「私、頑張って高くなろうとしてる! でもみんな、悪くてカッコいいタイプの方が好きでさ……」
旅牙が冷笑し、槍先をくるりと回して弥作へ向ける。
「正人会のくせに、塩袋と麻布の三台分を奪うのか? 落ちぶれすぎだろ。雑貨屋でもやる気か?」
弥作はさらに嬉しそうに笑った。品を褒められた顔。
「日用品を舐めるなよ。塩は傷口を歌わせる。麻布は人を絞める。釘は道を拷問具にする」
肩をすくめる。
「でも、確かにそれ目当てじゃない」
彼は荷台の、いかにも普通に見える“薬水”の箱を指差す。
「止血」「解熱」「駆虫」。
「狙いは薬水だ」
雇主の帳簿を抱える手がわずかに強張り、帽子の鍔がさらに下がる。喉仏が動く。罵倒を飲み込んだ動きだ。
「中身が何か、どうして分かる」
雇主は硬い声で言う。
「ただの常用薬だ」
弥作はすぐ答えず、首を傾げて熊耳の少女を見る。
「お前らの車、鍋底会の“滅びの水”があるよな。内臓を粥にするやつ」
狐耳が小さく揺れる。
「『止血』『解熱』『駆虫』……よく隠した。けど、うちの熊ガキは鼻が利く。嗅いだ」
熊耳の少女が一歩前に出た。
「うん……」
眉を寄せ、難問に取り組む顔。
「中、すごく苦い。あと……鍋底が焦げたみたいな匂い」




