強さとは
「買うのか?」ロベルトは気軽な調子だった。
「欲しい」
千里は即答した。「どうすれば買える? 並ぶ? 申し込む? それとも地竜を百体殺して“投名状”にしろって?」
アモンドが横で白目を剥く。
「その投名状、提出方法が自殺なんだけど」
菊江は後ろで肩を小さく揺らした。
笑いを必死に堪えていたのに、最後は負けた。喉の奥から笑い声が漏れる。風が鈴を撫でたみたいな音。
誰も突っ込まない。
というより、もう慣れている。
菊江の笑いは焚き火のそばの風鈴みたいなものだ。ちりん、と鳴って、しばらくしてまた鳴る。鳴り続けていると、それが背景音じゃないことを忘れる。
ロベルトは指を立て、一つずつ数えた。軍規を読み上げるみたいに、素朴で、ほとんど残酷な口調で。
「一つ。功績の記録。『死にかけた』じゃない。『確かに成し遂げた』記録だ」
「二つ。保証人。自分の評判を担保にする人間が要る。お前がやらかせば、その人間も巻き込まれる」
「三つ。運用技術。お前が使う側で、引きずられる側じゃないこと」
「四つ。整備できる能力と、奪われないだけの戦力」
「五つ。数百万。紙片」
言い終えて、ロベルトは千里を一度見た。声は淡々としている。
「お前、どれを持ってる?」
「……情熱なら」
千里は苦しそうに言った。
アモンドが冷笑する。
「あと借金」
背後で菊江がまた笑い出す。今度は小さく前屈みになって、肩がぷるぷる震えている。片手を振って「ごめん、でも無理」とでも言うように。
千里は少し考えてから続けた。
「実際、強奪で成功した例はないのか? ほら、道で生命武器背負ってるやつ見たら、パッて後ろから殴って、奪って、成り上がるみたいな」
アモンドの顔がまず固まり、それから「お前ほんとに言うんだな」という期待で明るくなる。事故が膨らむ瞬間を眺める目だ。
「奪ったら死ぬ」
ロベルトは補足するみたいに淡々と言った。
「さすが高級品」
千里は感心したように頷く。最初から知っていた顔で。「アフターサービスまで完璧」
「うん」
ロベルトも頷く。火は熱い、みたいな常識のトーンで。
「実際、十数件は紛失してる。理由も色々だ。逃亡した奴もいる。持ったまま生物に丸呑みされた奴もいる。道中で死んで、拾われた例もある」
ここでロベルトの顔色が変わった。声が落ちる。
「追跡が成立した瞬間、関係者全員が最上位列の判断下に置かれる。捕らえるのではない。消される。」
「《再造の国》が育てた連中だ」
ロベルトは言った。「善悪なんて見ない。強さが狂ってる。奪って成り上がろうとしたら、一歩目で終わる」
――現在に戻る。
大食要塞。
千里の頭の中ではまだ「奪ったら死ぬ」が反芻されていた。
ドアが二度、叩かれる。
急かさず、乱さず。
「入れ」
千里は言った。
扉が開き、アモンドが顔だけ覗かせた。笑みは“ちょうどいい”。殴りたくなる笑みではない。
やけに元気だ。三日前、地竜に腰が抜けかけた人間には見えない。
違和感。
違和感。
違和感。
「お前、なんでそんな落ち着いてる」
千里の第一声は挨拶ではなく尋問だった。「らしくない」
アモンドは笑みを崩さず、丁寧に頷いてみせる。
「私はいつも落ち着いているわ」
「嘘つけ」
千里は指さす。「落ち着きとお前は無関係だ。何かやらかした? 報酬の交渉を潰したとか」
空気が一瞬、静まる。
アモンドの笑みが顔に貼り付いたまま止まった。爪で引っかけられたみたいに。
「海辺千里」
一音ずつ区切る。「五分だけでいいから、黙ってられる?」
千里は目を細めた。確信が強くなる。
「お前、欲張って騎士団を脅したのか?」
目がだんだん絶望に寄る。「それともロベルトの牛肉を奪って食った? まさか喧嘩した? こっちは三千から五千の紙片がまだ懐に入ってないんだぞ!」
アモンドのこめかみがピクッと動いた。ついに我慢が切れて、扉を一段押し開け、ずかずか入ってくる。声が跳ね上がった。
「違う!!」
「じゃあなんで静かなんだよ。怖いんだよ。普段なら入ってきた瞬間に俺を一回罵って、自分を一回褒めて、ついでに俺を二回からかうだろ」
アモンドの額に血管が浮く。
「わ・た・し・は・静・か・じゃ・な・い」
歯ぎしりで言う。「克制してるだけ」
「何を?」
「二階からお前を投げ捨てる衝動を」
言い切った瞬間、彼女は自分の胸の前で手を扇ぐように二回ぱたぱたし、声を落として、わざとらしく柔らかい語尾まで足した。
「優雅に」
自分に言い聞かせるように呟く。「優雅に。下品な者と同じ土俵に立たない」
千里が瞬く。
「今、投げ捨てるって言ったよな」
「黙れ!」
アモンドは吠えた直後、「文明社会」を思い出したみたいに深呼吸して、後半を飲み込んだ。
存在しないスカートの皺を整える仕草をし、背筋を伸ばす。“泥で転がる人間と私は違う”の口調で、冷たく鼻を鳴らした。
「貧乏は知能を下げるのよ」
こめかみを指で叩く。高級時計を点検するみたいに。「私は頭で食ってるんだから」
千里「……は?」
「お前、寝てる間に何を逃したか分かる?」
「何を?」
「報酬を受け取った瞬間の、私の表情管理」
アモンドは冷笑した。「あれを堪えなかったら、その場で問題人物扱いよ」
彼女は鼻で息を吐き、部屋に入ると、金色の紙片の束を机に放った。
「……4300」
指でトン、と叩く。「騎士団の言い分、通ったわ」
千里は金色の束を見つめ、喉がごくりと鳴る。
三日前、「もう少しで消えるところだった」感覚や、積み上がった最悪が、いきなり“金”という俗っぽい光沢に塗り潰される。
千里はゆっくり息を吐いた。三日分、肺を丸ごと新しく入れ替えるみたいに。
「良い日々……」
呟く。「やっと来た」
アモンドが即座に冷水をぶっかけた。
「起きたら下りるわよ。人が来てる」
「誰だ」
千里は眉を寄せる。
「お前がツケてる鍛冶屋。検死に来たのよ」
声が妙に軽い。「生きてるって聞いて、債務関係が継続するか確かめに来たの」
「……」
千里は深呼吸して、ベッドから降りた。
「この世界」
小声でぼやく。「生き残りに優しくないな」
「下りる前に一つ聞かせろ。老練なるアモンド」
千里はドア枠に手を置いた。「強さって何だ?」
アモンドは、職業倫理の試験問題でも振られたみたいに、半拍黙る。
「お前がそんなこと聞くなんて」
「聞く」
千里は言った。「聞くし、恨む。あの日の地竜の比較、気分が悪い。ロベルトの一撃、菊江の一矢。俺、横で拍手してる客だった」
アモンドは紙片を袋へ押し込み、声を落とした。人に盗みを教えるみたいに。
「強さ?」
顎を上げる。「まず頭。学ぶべきは“自分を強くする”より、“敵を弱くする”方法よ」
「次が武器」
指で空を切る。
「最強は生命武器。名声を積むの。難しい依頼を取る。誰もやらないことをやる。《再造の国》に聞こえるくらいにね。例えば、お前には今“地竜討伐に協力した”功績がある」
目が鋭くなる。千里の胸元を指す。傷を突くみたいに。
「でも、全然足りない。酒場で依頼を取ってる連中、十人中九人がその目標で狂いかけてる。残り一人は、もう狂ってる」
千里は聞き終えて、ため息を落とした。
「近道、したいな」
アモンドは短く笑った。刃が光るみたいに、短い。
「そしたら早死にする」
千里は頷いた。空気の成分を確かめるみたいに。
「了解」




