第十六章 第六十四話 降臨の準備、拳と文字の戦場
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天聖府は、まだ息をしていた。
白い壁は割れ、回廊は崩れ、石畳には血が染み込んでいる。
それでも人は動く。
瓦礫を退け、負傷者を運び、倒れた者の名を呼ぶ。
戦いは終わっていない。
ただ、いったん“刃を引いた”だけだ。
ネコルトは崩れた聖堂の影で、地面に膝をついた教皇を見下ろしていた。
教皇の法衣は破れ、肌には乾いた血の跡が残っている。
だが、その目だけは冴えていた。
「……カオス降臨には、時間がかかります」
フォードの肩が、わずかに跳ねた。
「まだ待つのか」
「待つのではありません」
教皇は静かに言う。
「“作る”のです。降臨の道を」
ネコルトが即座に確認した。
「聖杯と聖杖は、ザルヴァトに奪われた」
「つまり、降臨はそれらを使う儀式ではない」
「ええ」
教皇は頷いた。
「カオス降臨に必要なのは、聖杯でも聖杖でもありません」
「必要なのは、石碑の解読」
「そして、魔法陣の起動です」
フォードが歯を食いしばる。
「……石碑?」
「天聖府の地下に眠る“降臨碑”」
「神話の真実を隠すために、真の用途を伏せて保管されてきたものです」
ネコルトは眉を寄せた。
「そんな重要物が、今まで外に漏れていないのは不自然ですね」
「漏らさなかったのです」
教皇の声は淡々としている。
「私が、そうしてきました」
短い沈黙。
その沈黙の重さが、教皇の背負ってきたものを物語っていた。
フォードが、机の端を掴む。
「クエラは……」
「ザルヴァトの手の中にいるかもしれない」
「それでも、今やるべきは……」
ネコルトが答えた。
「降臨させる」
「そして、コスモ復活の場所を“聞き出す”」
「追うための座標が要る」
フォードは一度、目を閉じた。
開いた時、剣を握る手が落ち着いていた。
「……分かった」
その時、ミーニャが一歩前に出た。
「じゃあさ」
「私たちも、その間にやることがある」
ヘトルビースが尻尾を揺らす。
「修業にゃ」
「次に来たら、もっと殴れるようになるにゃ」
ダイアンが短く言う。
「……強くなる」
フォードが苦笑した。
「お前ら、切り替え早いな」
「忍びは生き延びるために切り替えるの」
ミーニャは淡々と返す。
「感情に浸って死ぬの、趣味じゃない」
ピサラが手を叩く。
「いいね」
「修業組、決まり」
フォードが顔を上げる。
「お前も行くのか」
「行くよ」
ピサラは笑った。
「修業って言うか、気分転換」
「フォードが折れないように、殴って整える」
「殴るな」
フォードは言い返しながら、少しだけ呼吸が軽くなる。
気分転換になるのは、分かってしまうのが悔しい。
天聖府の外縁。
瓦礫をどけて作った臨時の訓練場で、拳と刃が鳴っていた。
クリフは槍を構え、闘気を薄く全身に纏う。
鎧のようではない。膜のようだ。
「闘気は、強くするだけじゃない」
「見抜くためにも使う」
ナリアは拳を握り、龍気を滲ませる。
空気が震える。
「龍が龍である意味は、龍気を扱えるかどうか」
「当てるだけで、通る」
イグナーツは、穏やかな笑みのまま拳を握っていた。
剣は抜かない。
「素晴らしいですね」
「お二人とも、己の核を理解している」
ナリアが首を傾げる。
「イグナーツは?」
「信仰?」
「ええ」
イグナーツは紳士的に頷いた。
「神の思召しのまま、鍛えたまで」
「技だの術だの必要になるのは、肉体が足りないからです」
「神が何かなど関係ありません」
「ただ居てくださるカオス様を信仰するのみ」
ナリアが妙に目を輝かせた。
「……それ、分かる」
「わたしも、龍の力を信じてる」
ネコルトが遠くから見て、額を押さえた。
「……脳筋会議が始まりましたね」
クリフが槍を軽く回す。
「止めるな」
「役に立つ」
ネコルトはため息を吐き、結局見守る。
「……はい」
「支えるのが役目なので」
一方、天聖府の地下。
封印区画のさらに奥。
白い石壁に囲まれた部屋の中央に、巨大な石碑が鎮座していた。
古代文字。
複数の層。
祈りの文言に見せかけた、儀式手順。
教皇、ライブ、ネコルトの三人が、石碑の前に立つ。
「これが……降臨碑……」
ライブが息を呑む。
ネコルトは石碑の表面をなぞり、冷静に言った。
「暗号化されている」
「“読めるように見せて読ませない”類ですね」
教皇が頷く。
「上層部だけが理解できるように作られています」
「そして、その上層部も……全員が真実を知っているわけではない」
ライブが魔法陣の外縁に膝をつき、魔力を流す準備をする。
「石碑を解読しながら、同時に起動するの?」
「そうです」
教皇は言った。
「手順が刻まれている」
「順番を間違えれば、魔法陣が暴発します」
ネコルトが淡々と告げる。
「……つまり、戦闘より危険」
「ええ」
教皇は静かに認めた。
「ですが、やらねばなりません」
ライブは目を閉じ、呼吸を整える。
「複数同時詠唱……」
「戦闘で掴んだ感覚を、ここで使う」
教皇が祈るように手を組む。
「私は言葉を拾います」
「あなたは魔力を制御する」
「ネコルト、あなたは……」
「解読の速度と、全体の整合性を取ります」
ネコルトは即答した。
「儀式は論理で支えます」
石碑の文が、微かに光った。
魔法陣の溝に、淡い白光が走る。
起動が始まった。
その頃。
外ではフォードが、修業という名の気分転換を終えようとしていた。
汗を流し、息を荒くしながら、フォードは剣を収める。
「……頭が冷えた」
ピサラが満足そうに頷く。
「うん」
「いい顔になった」
フォードが眉を寄せる。
「お前、最初からそれ目的だったろ」
「当然」
ピサラは笑う。
「じゃ、私は地下に行く」
フォードが顔を上げた。
「儀式に?」
「そう」
ピサラの目が細くなる。
「これでも魔王だからね」
「カオスの知識は、人間よりずっと多い」
「降臨碑の読み方も、魔法陣の組み方も……多分、役に立つ」
フォードは一瞬だけ迷ったが、すぐに首を振った。
「……俺は、まだここに残る」
「ダイアンたちと修業を続ける」
「次は、もっと速く動けるようにする」
ダイアンが短く頷く。
「……鍛える」
ヘトルビースも尻尾を立てた。
「一緒に殴るにゃ!」
ピサラは肩をすくめる。
「いいね」
「じゃあ、外は任せた」
フォードは剣を握り直し、真っ直ぐ言った。
「……地下は任せる」
「俺たちは俺たちで、次の地獄に備える」
ピサラは軽く手を振り、そのまま地下へ向かった。
準備が始まる。
降臨までの時間は、ただの待ち時間じゃない。
戦うための時間であり、生き残るための時間だ。
そして何より。
奪われた聖杯と聖杖を取り戻すための、助走だ。
天聖府の地下で、石碑が淡く光り続ける。
魔法陣がゆっくりと、確実に目を覚ましていく。
世界はまだ、終わっていない。
終わらせないために、彼らは動く。
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また、おかまバー〈ゴールデン戦国〉の夜話 ― 推し義龍様と転生ママ ―も連載中です。
そちらもよろしかったらご一読ください。




