第十五章 第六十三話 白翼の撤退、そして降臨の提案
お読みいただきありがとうございます。
是非最後まで楽しんでいただけると嬉しいです。
四つに割れた戦場は、同時に“終わり”へ向かっていた。
砕けた石畳。
崩れた回廊。
血と灰が混ざり合い、白い天使の残骸が風に転がる。
それでも、まだ“聖域”の形だけは残っている。
だからこそ、ここで起きていることが悪夢のように見えた。
ミカエル、ラファエル、ガブリエル、ウリエル。
四天の名を冠するものたちは、空に浮かびながら、淡々と仕事を分配していた。
その中心で。
ミカエルが、フォードとピサラと教皇を見下ろしていた。
ミカエルの六枚翼が開いた瞬間、空気が“薄く”なった。
呼吸が浅くなる。
鼓動が一拍遅れる。
目の焦点が合わなくなる。
神域の押し付け。
フォードが剣を握り直す。
掌は血で滑っていた。
「……来る」
ミカエルは一言も発さず、ただ落ちた。
翼刃が走る。
それは斬撃ではない。
空間ごと断ち切る“線”だった。
フォードの反応が間に合わない。
だが、その線がフォードに届く直前――
床に貼られた光が、弾けた。
教皇の護符。
白い札が剣の形を取り、地面から突き出す。
護符剣。
ミカエルの足首と翼の付け根を“縫い止め”、最速の踏み込みを一瞬だけ鈍らせた。
その一瞬で、世界が変わる。
フォードが踏み込む。
聖剣が、真っ直ぐにミカエルの核へ走った。
しかしミカエルは、強引に護符剣を引きちぎりながら迎撃する。
翼が折れ、肉が裂け、白い体液が散る。
それでも止まらない。
止まらせない。
フォードの剣が核へ届く前に、翼刃がフォードの脇腹を抉った。
「――っ!」
肉が裂け、血が噴く。
膝が落ちる。
その瞬間。
教皇が、迷いなく掌を伸ばした。
「癒しの祝福を」
短い祈り。
光がフォードの傷口へ流れ込み、裂けた肉が塞がっていく。
早い。
速すぎる。
フォードが息を吸い直した。
「……助かる!」
ミカエルの視線が、教皇へ向く。
神を語る存在が、神の業を“人の身で”扱うことに、微かな苛立ちが滲む。
その苛立ちが――致命になった。
ピサラが笑った。
「視線、そっち?」
魔王の指が軽く動く。
空間が“歪む”。
ミカエルの身体がほんの僅か、軌道を外した。
それで十分だった。
フォードが、もう一度踏み込む。
教皇の護符剣が、二本、三本と床から立ち上がり、ミカエルの翼を絡め取る。
完全拘束ではない。
だが、動きは殺せる。
フォードの聖剣が、核を刺し抜く。
同時に。
ピサラが拳を叩き込む。
聖剣の“貫通”と、魔王の“破壊”が重なり、核が砕けた。
ミカエルの光輪が割れ、翼が腐り落ち、白い外皮が灰へ変わる。
瞬殺だった。
あまりにも短い。
あまりにも決定的。
ミカエルの身体が崩れ落ちるより先に、教皇の声が落ちた。
「次です」
フォードは剣を握ったまま、血を吐き捨てる。
「……来い」
ピサラは、淡々と笑っていた。
「いいね、勇者」
「ちゃんと立ててる」
教皇は横目でピサラを見た。
「今だけです」
「その軽口が許されるのは」
「はいはい」
その瞬間。
空の別方向で、ガブリエルが“怯んだ”。
ミカエルが消えた。
同格の指揮個体が、たった一呼吸で消滅した。
それが、戦場の重力を変えた。
ガブリエルは、ネコルトたちの前で静止していた。
結界が広がる。
“神域”の圧が濃くなる。
ナリアの呼吸が詰まる。
肺が押される。
イグナーツは、静かに一歩前へ出た。
拳を握る。
いつも通りの紳士口調で。
「……困りましたね」
「ミカエル殿が消えるとは」
ガブリエルの視線が揺れる。
それでも命令は変わらない。
「処理する」
「竜と異端を」
翼が落ちる。
白い刃がイグナーツの肩を裂き、血が散る。
だがイグナーツは一歩も引かない。
「痛みは、構いません」
「カオス様が見ておられますので」
拳が走る。
鈍い音。
ガブリエルの顎が跳ね、白い外皮が裂けた。
だが再生する。
核が揺れない。
イグナーツの瞳が細くなる。
「……私の信仰が届かないとは」
一瞬だけ、空気が止まる。
けれど、彼は即座に息を吸い直した。
「いえ」
「信仰が足りないだけでしょう」
拳を握り直す。
その姿は、純粋すぎて狂気に近い。
それを見て、ナリアの胸が熱くなった。
(……この人)
(迷わない)
迷わないから、殴れる。
殴れるから、前に進める。
ナリアは、拳を握った。
毒でもない。
魔力でもない。
龍気。
龍が龍である意味。
それは龍気を扱えるかどうか。
龍気が拳に宿った瞬間、空気が“重く”なる。
ガブリエルの結界が、初めて軋んだ。
イグナーツが、ナリアを見た。
「……美しい力ですね」
「それが、あなたの信仰ですか」
ナリアは、真っ直ぐ答えた。
「うん」
「わたしは、龍の力を信じてる」
ネコルトが頭を抱える。
「……信仰が二系統になりましたね」
だが、次の瞬間には目を上げる。
盤面を読む。
戦場の全体を繋ぐ。
考えるのは自分の役目だ。
「二人とも、核を揺らすことだけ考えてください」
「仕留めの手順は、こちらで組みます」
ナリアが即答する。
「最初から任せてる」
イグナーツも、礼儀正しく頷いた。
「私も同意します」
ガブリエルが翼を広げ、結界を膨張させる。
押し潰す気だ。
ネコルトが短く告げた。
「今です」
イグナーツが踏み込み、信仰の拳を叩き込む。
核が僅かに揺れる。
その揺れに、ナリアが龍気を“当てる”。
触れただけで、再生が遅れる。
神域の圧が薄れる。
ガブリエルの目が見開かれた。
次の瞬間。
ナリアとイグナーツが、同時に殴った。
信仰という名の拳。
龍気という名の拳。
核が砕ける。
ガブリエルの光輪が割れ、翼が腐り落ち、白い外皮が灰になった。
消滅。
ナリアが息を吐く。
「……倒した」
イグナーツは血を拭い、穏やかに言った。
「ええ」
「カオス様の御導きです」
ネコルトが即座に言い返す。
「殴って消滅させたのに、導きで片付けないでください」
ナリアが頷く。
「うん」
「でも、殴るのは大事」
「大事じゃないです」
ミカエルが消え、ガブリエルが消えた。
空に残るのは、ウリエルとラファエル。
彼らはまだ戦える。
だが、戦場の“流れ”が変わった。
その時、白い天使の群れが一瞬だけ止まった。
見えない命令が、全個体へ落ちた。
ザルヴァトの命令。
撤退。
ウリエルが空へ退く。
ラファエルも同時に距離を取る。
神殿騎士団の誰かが叫ぶ。
「逃がすな!」
だが声は続かない。
騎士たちは血に濡れ、膝が震え、武器を握る手が痺れていた。
勇者一行も同じだった。
追撃すれば、今度こそ死ぬ。
ネコルトが冷静に言う。
「追うな」
「ここで崩れたら終わりです」
クリフが槍を肩に担ぎ直す。
ミーニャは息を整えながら、短く言った。
「……賢い判断」
ウリエルとラファエルは、白い光の向こうへ消えていった。
戦場に残ったのは、瓦礫と血と、息をする音だけだった。
フォードは剣を下ろし、周囲を見回した。
天使は退いた。
聖杯は奪われた。
教皇は生きている。
なのに。
クエラがいない。
情報がない。
フォードの喉が、ひくりと動く。
「……結局」
「何も掴めてない」
ミーニャが言葉を探す前に、教皇が前へ出た。
血に濡れた法衣のまま、しかし視線は揺れていない。
「フォード殿」
「あなたの嘆きは、当然です」
フォードは顔を上げない。
「……俺は」
「助けられなかった」
教皇は、静かに首を振る。
「いいえ」
「あなたは、今日、生き残りました」
「それは“次”へ繋がる」
フォードの拳が震える。
教皇は続けた。
「提案があります」
「カオスを降臨させましょう」
その言葉に、周囲の空気が変わった。
神殿騎士団が凍りつく。
イグナーツでさえ、僅かに目を見開いた。
ピサラが口元を歪める。
「教会が、降臨を言うんだ」
教皇は頷いた。
「神話の皮が剥がれたのなら」
「我々も、真実へ踏み込むべきです」
ネコルトが低く問う。
「降臨させて、何を聞くのです」
教皇は迷わない。
「コスモ復活の場所です」
「そして、止める方法」
フォードが、ようやく顔を上げた。
「……クエラの場所も」
教皇は即答しない。
だが、否定もしなかった。
「可能性はあります」
「少なくとも、闇の中を手探りで進むよりは」
フォードの目に、火が戻る。
「……やる」
ピサラが笑う。
「いいね」
「やっと顔が勇者になった」
フォードは短く返す。
「黙れ」
ミーニャが息を吐く。
「……休む暇、なさそうだね」
クリフが槍を握り直す。
「神を呼ぶなら」
「準備が要る」
ナリアが拳を握る。
「殴る準備も?」
ネコルトが即答する。
「それは余計です」
イグナーツが穏やかに微笑んだ。
「必要でしょう」
「信仰とは、備えるものですから」
「だから殴る前提をやめてください」
ネコルトの声に、神殿騎士が思わず小さく笑った。
笑っていい状況ではないのに、張り詰めたものが少し緩んだ。
教皇が、静かに告げる。
「天聖府の最奥で、儀式を行います」
「準備は、私が整えましょう」
そして、彼はネコルトたちを見た。
「あなた方の力が必要です」
「魔王の力も」
「勇者の力も」
ピサラが、軽く肩をすくめる。
「やるよ」
「私は、面倒ごとが好きじゃないだけ」
フォードが剣を背負う。
「……次は」
「必ず、取り返す」
クエラを。
聖杯を。
世界の主導権を。
天使の襲撃を耐え抜いた一行は、ようやく“次の手”を手にした。
神話の向こう側へ踏み込む準備が、始まる。
それは祈りではない。
戦争の準備だった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
いかがだったでしょうか。
ぜひ、感想やコメントをもらえたら嬉しいです。
また、おかまバー〈ゴールデン戦国〉の夜話 ― 推し義龍様と転生ママ ―も連載中です。
そちらもよろしかったらご一読ください。




