第十四章 第五十七話 聖杯封印区画
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血の匂いが、風に混じっていた。
ネコルトたちは、もはや走ってはいなかった。
逃げていた。
「……くそっ」
ダイアンの盾はひび割れ、ナリアの肩からは血が滴っている。
ライブは息を切らし、ヘトルビースは片耳を垂らしていた。
聖堂の外へ出た瞬間、背後で鐘が鳴り響く。
「異端者、逃走中――!」
追撃の気配。
包囲網。
ネコルトは歯を食いしばる。
「……一度、完全に離脱する」
「悔しいけど、賛成」
ライブが荒い息で言った。
ナリアは振り返り、崩れかけた天聖府を睨みつける。
「……借りは、必ず返す」
彼女は翼を畳み、人型へと戻った。
その頃。
地下深く。
白と金で彩られた神聖な回廊を、引きずられるように歩かされている者がいた。
教皇。
顔は腫れ、口元には血。
法衣は裂け、指先は震えている。
「……聖杯の封印を解いて、どうするつもりだ……」
かすれた声。
その前を歩くのは――皇太子。
「決まっているだろう」
彼は、軽く振り返る。
「取り戻すんだよ。俺の“王座”を」
背後に並ぶ側近たち。
人間の姿。
だが――目が、違った。
獣のような光。
獲物を見る目。
聖杯封印区画。
巨大な扉の前で、皇太子は立ち止まった。
「ここだ」
その瞬間。
「――久しぶりだな、皇太子」
皇太子が振り返る。
回廊の影から、四人が現れた。
フォード。
ピサラ。
クリフ。
ミーニャ。
「……誰だ」
「……は?」
皇太子の顔が歪む。
「お前……生きていたのか?」
「魔王に殺されたと聞いたが」
フォードは、静かに剣の柄に手をかけた。
「俺も、お前が逃げ延びていたとは思わなかった」
「王都で姿を消したまま」
クリフが一歩前に出る。
「クーデターの夜にな」
皇太子の目が、わずかに揺れた。
「……何の話だ」
「とぼけんな」
ミーニャが言った。
「忍びを舐めんなって」
皇太子は、乾いた笑いを漏らした。
「……なるほど」
「追跡されていたか」
フォードが一歩、踏み出す。
「クエラはどこだ」
その声は、低く、抑えられていた。
「お前の仲間に連れて行かれた」
「今、どこにいる」
側近の一人が、嗤った。
「答える義理があると?」
その瞬間。
ピサラが、ふっと目を細めた。
「……まだ人間のフリをするの?」
皇太子の眉が動く。
「何を――」
「気配が臭いのよ」
「魔族」
空気が、歪んだ。
側近たちの身体が、軋み始める。
皮膚が裂け、角が生え、牙が伸びる。
黒い皮膜の翼。
「……なっ」
皇太子が、後ずさった。
「お前たち……魔族……?」
ミーニャが舌打ちする。
「やっぱりね」
「最初から操られてたわけじゃない」
「“一緒に来てた”のね」
魔族たちは、武器を構えた。
「排除しろ」
皇太子の命令。
だが。
一歩、踏み出した瞬間。
フォードの剣が、閃いた。
光の線。
次の瞬間、魔族の首が宙を舞っていた。
「……は?」
残りの二体が反応するより早く。
ピサラが、消えた。
否。
一瞬で距離を詰め、拳を叩き込んだ。
衝撃。
空間が歪み、魔族の胴体が潰れ、壁に叩きつけられる。
「……え?」
最後の一体が振り返る前に。
風を裂く音。
クリフの槍が、喉を貫いた。
ずるり、と崩れ落ちる死体。
沈黙。
皇太子は、口を開けたまま固まっていた。
「……格が違う」
ミーニャが言った。
その瞬間。
「――お見事です」
声がした。
全員が、凍りつく。
いつの間にか。
そこに。
暗黒神官が立っていた。
「……いつから」
ピサラが言う。
「つい先ほど」
慇懃無礼な一礼。
「再会を嬉しく思います」
暗黒神官の足音は、聞こえなかった。
ただ、気づいたときには――そこにいた。
白と黒の法衣。
端正な顔。
微笑。
「……やはり、揃っていましたか」
その手には、短剣。
刃は、すでに赤く濡れていた。
「……なにを」
フォードが言いかけた、その瞬間。
暗黒神官は、教皇の背後に回り込んでいた。
「失礼」
躊躇なく。
教皇の腕を掴み、短剣で深く切り裂く。
「――っ!!」
血が噴き出した。
「なっ――!」
皇太子が叫ぶより早く。
暗黒神官は、今度は皇太子の腕を掴み、同じように切り裂いた。
「ぐあああっ!?」
二人の血が、床に流れ、魔法陣のような文様へと吸い込まれていく。
「……!」
ピサラが歯を噛み締めた。
「やっぱり、あんた……!」
「ええ」
暗黒神官は、にこやかに答える。
「血は鍵です」
「神の遺物は、いつだって残酷だ」
床の文様が、赤く、赤く、光り出す。
聖杯封印扉が――軋んだ。
「……まさか」
ミーニャが息を呑む。
「解除……?」
「その通りです」
暗黒神官は、満足そうに頷いた。
「さて」
そう言ってから、ようやく。
彼は、ピサラの方を見た。
「お久しぶりでございます、魔王陛下」
深々と、慇懃無礼な礼。
「お変わりなく」
「……趣味悪い挨拶ね」
ピサラは冷たく言った。
暗黒神官は、懐から小瓶を取り出した。
中には、黒く濁った液体。
「ちなみに」
彼は、楽しそうに言う。
「ベルトラン枢機卿には“試作品”を渡していました」
「ですが」
瓶を、皇太子の前に差し出す。
「これは、完全版です」
皇太子の目が、揺れた。
「……なにを」
「王に、なりたいのでしょう?」
暗黒神官は、微笑む。
「ならば、それ相応の“器”が必要です」
「まさか……」
フォードが踏み出す。
「やめろ!!」
だが。
遅かった。
暗黒神官は、皇太子の顎を掴み、瓶の中身を流し込んだ。
「がっ――!?」
喉が、焼けるように歪む。
皇太子の身体が、痙攣した。
「な……なにを……!」
骨が、軋む。
肉が、盛り上がる。
背中が裂け、黒い器官が露出する。
「……ひっ」
ミーニャが息を詰めた。
皇太子の顔が、歪んだ。
目が、増え。
口が、裂け。
歯が、重なり合う。
「……あ……ああ……」
声が、二重に響く。
「これが……」
暗黒神官は、満足そうに言った。
「“神の欠片”を宿した器」
床に、何かが落ちた。
それは――聖杯。
「では」
暗黒神官は、それを拾い上げた。
「目的は達しました」
「……待て!!」
フォードが叫ぶ。
だが。
暗黒神官は、振り返らなかった。
「また、お会いしましょう」
「“本番”で」
そして。
消えた。
残されたのは。
異形。
「……あ……あああ……」
皇太子だったものが、呻いた。
「いた……い……」
フォードは、剣を構えた。
「……お前」
ピサラも、構える。
「……もう、戻れない」
皇太子だった“それ”が、吼えた。
床が砕ける。
「来る!」
クリフが叫んだ。
異形が、突進する。
フォードの剣が、深く斬り裂いた。
――が。
再生。
肉が、瞬時に盛り上がる。
「……再生、早すぎる!」
ピサラの炎が、直撃する。
焼け落ちる。
――が。
また、再生。
「耐性……!?」
クリフが歯を噛み締める。
「カオス系、コスモ系……通りが悪い!」
「……なら」
クリフは、槍を握り直した。
闘気が、槍身を包む。
「俺がやる」
フォードとピサラが、目を合わせた。
「牽制に回る」
「任せて」
二人が、同時に動く。
斬撃。
炎。
衝撃。
皇太子の異形は、再生しながらも、体勢を崩す。
その隙。
クリフが、踏み込んだ。
「――はあああっ!!」
闘気を纏った一撃。
槍が、核を貫いた。
悲鳴。
咆哮。
そして。
異形は、崩れ落ちた。
動かなくなった。
沈黙。
その間。
ミーニャは、必死に教皇を治療していた。
忍びの秘薬。
ネコルトから渡された高級傷薬。
包帯。
止血。
「……死なせない……!」
やがて。
教皇の呼吸が、安定した。
「……ありがとう……」
かすれた声。
フォードは、振り返った。
「天聖府が……襲われてる」
ミーニャが言う。
「ネコルトたちが、今、向かってる」
教皇は、ゆっくりと目を開いた。
「……そうか」
「ならば」
彼は、フォードを見た。
「私を、そこへ連れて行ってくれ」
「……いいの?」
「これは……私の責任だ」
遠くで、何かが崩れる音がした。
世界は、もう静かじゃない。
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また、おかまバー〈ゴールデン戦国〉の夜話 ― 推し義龍様と転生ママ ―も連載中です。
そちらもよろしかったらご一読ください。




