第九章 第三十二話 獣の涙と、誠実な盾
お読みいただきありがとうございます。
是非最後まで楽しんでいただけると嬉しいです。
獄獣将軍ヘトルビースの配下として、ダイアンが前線に留まるようになってから、数日が過ぎた。
彼は相変わらず寡黙だった。
命令には従い、戦場では盾となり、獣人兵の前に立った。
獣人たちは、最初は彼を恐れていた。
魔王軍の重装兵であり、しかも人間。
だが――
誰かが殴られそうになれば、彼は間に入った。
無理な突撃命令が出れば、彼は黙って盾を構え、先に立った。
夜になると、負傷者の見回りをし、毛布をかけ直した。
それを繰り返すうちに、
獣人たちの視線が変わっていった。
ある日、ダイアンが見張りをしていると、小さな影が近づいてきた。
獣人の子どもだった。
彼は何かを差し出した。
干し肉。
ひどく粗末なものだった。
ダイアンは戸惑い、首を振った。
「……いらない」
だが、子どもは引かなかった。
両手で押し付けるように差し出し、
必死に何かを訴える。
言葉は分からない。
だが、意味は分かった。
――ありがとう。
ダイアンは、少しだけ目を伏せ、
静かにそれを受け取った。
それを見ていたヘトルビースが、ふっと息を漏らした。
「……不器用な男にゃ」
ダイアンは答えなかった。
***
数日後、彼はヘトルビースと共に、獣人の集落を視察した。
そこで彼は、
初めて“異常”を目にした。
倉庫。
中には、毛皮、薬草、乾燥肉、織物。
獣人たちが作ったものだった。
だが、対価として与えられているのは、
紙切れのような契約書と、
数字だけが書かれた木札。
「……これは?」
ダイアンが尋ねる。
ヘトルビースは、わずかに歯を噛み締めた。
「“借金”にゃ」
「……?」
「獣人は、貨幣文化を持たないにゃ。必要な物は物々交換。共同体で分け合う。蓄えも、数える習慣もない」
彼女は倉庫の中を見渡した。
「そこに、大魔公爵の配下が“貨幣”を持ち込んだにゃ」
ダイアンの眉がわずかに動く。
「便利だ、文明だ、取引だ、って」
「最初は無償。次は低利。次は……」
彼女は拳を握った。
「理解できない契約書。理解できない利率。理解できない返済条件」
「気づいた時には、借金まみれにゃ」
ダイアンの喉が、わずかに鳴った。
「……それで?」
「返せなければ、労働。
それでも足りなければ、身体。
最後は、命」
ダイアンは、何も言えなかった。
獣人たちは、悪くなかった。
ただ、“違う文化”だっただけだ。
それを利用されただけだ。
「……魔王は?」
「魔王ピサラ様は、獣人を保護しようとしているにゃ」
ヘトルビースの声は、少しだけ柔らいだ。
「獣人は、自然と共に生きる。魔力の流れを乱さない。戦争に向かない。だからこそ、守る価値があると」
ダイアンは、その言葉を聞いて、初めて彼女が魔王に忠誠を誓っている理由を理解した。
「……では、なぜ」
「私は――」
ヘトルビースは一瞬、言葉を詰まらせた。
「……私は、大魔公爵に騙されたにゃ」
ダイアンが彼女を見る。
「“獣人に貨幣を教えれば、文明化できる。保護もしやすくなる”って」
「……結果は」
「高利貸し。搾取。奴隷化」
彼女の尻尾が、力なく揺れた。
「しかも、私は契約を結ばされたにゃ。
“この件を魔王に報告してはならない”って」
ダイアンの拳が、静かに握られる。
「……相談もできない」
「できないにゃ。破れば、獣人たちが担保として回収される」
沈黙が落ちた。
重い沈黙だった。
しばらくして、ダイアンが言った。
「……守る」
「にゃ?」
「……獣人を。
お前を」
短く、だがはっきりと。
ヘトルビースは目を見開いた。
「……バカにゃ。私は魔族。お前は人間」
「……関係ない」
「敵軍の将軍にゃ」
「……関係ない」
彼は、いつも通り、余計な言葉を使わなかった。
だが、
その短い言葉は、
誰よりも重かった。
***
数日後。
ダイアンは、偶然――
ネコルトたちと遭遇した。
荒れた森の中。
偵察に来ていた親衛兵団。
彼は、あの見慣れた商人の顔を見た。
ネコルト。
ミーニャ。
クリフ。
胸が、強く鳴った。
だが、彼は歩み寄らなかった。
代わりに、ヘトルビースの前に立った。
「……俺は、ここに残る」
ネコルトは驚いた。
「ダイアン……?」
「……獣人たちを、独立させる」
彼は言った。
「……守る」
ヘトルビースが目を見開く。
「ダイアン……」
「……お前は、一人じゃ無理だ」
彼女の耳が、ぴくりと動いた。
「……にゃ」
ネコルトは、全てを察した。
そして、
何も言わなかった。
ただ、
静かに、
彼の背中を見送った。
***
だが――
現実は甘くなかった。
獣人たちは弱っていた。
装備もない。
補給もない。
そして、
大魔公爵の影が、確実に迫っていた。
ある夜。
ヘトルビースが、血を流して戻ってきた。
「……交渉、失敗にゃ」
彼女は笑おうとした。
だが、膝が崩れた。
ダイアンは、無言で彼女を抱き留めた。
その瞬間――
「――やっと見つけました。」
聞き慣れた声。
影から、
見慣れた商人が現れた。
「……初めから頼ってくださいよ」
ネコルトだった。
ミーニャとクリフも、背後にいる。
ダイアンは、初めて――
安心したように、目を細めた。
「……お前のようには出来ないな」
「頼む」
ネコルトは苦笑した。
「あなたは、いつも先に行くから、フォローが大変です。」
彼は、静かに箱を開いた。
「……今度は、私の番です」
最後までお読みいただきありがとうございます。
いかがだったでしょうか。
ぜひ、感想やコメントをもらえたら嬉しいです。
また、おかまバー〈ゴールデン戦国〉の夜話 ― 推し義龍様と転生ママ ―も連載中です。
そちらもよろしかったらご一読ください。




