第五章 第十六話 魔王領へ ― 商人の顔で、敵地に立つ
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王女近衛兵団の兵舎を出た朝、空は妙に澄んでいた。
ネコルトは、背負い袋の重さを確かめるように肩をすくめる。
中身は、武器でも防具でもない。
帳簿。
契約書の原本と写し。
印章。
資金証書。
そして――商人としての身分証。
(……本当に、行くんだな)
戦う力はない。
魔法も使えない。
剣を振っても、訓練場でようやく形になった程度だ。
それでも、行く。
あの夜、ミーニャが絞り出した「助けて」という言葉を、置き去りにはできなかった。
***
魔王領へ向かう正式な街道は、当然封鎖されている。
ネコルトが選んだのは、商人用の抜け道――いわゆる「灰色ルート」だった。
国境付近の関所。
検問に立つのは、魔族の兵士たち。
角の形も、肌の色もまちまちだが、装備は統一されている。
規律がある。
(……思っていたより、ちゃんとしている)
ネコルトは、ゆっくりと手を上げた。
「商人です」
「魔王領内での取引許可を求めています」
差し出した書類に、兵士の一人が目を通す。
「……王国の人間か」
「はい」
「度胸があるな」
警戒はされている。
だが、即座に斬り捨てられない。
――ここは、無秩序な地獄ではない。
「目的は?」
「物資の売買と、市場調査です」
「前線用の消耗品を中心に」
嘘はついていない。
ネコルトは、あくまで商人として来ている。
しばらくして、兵士は通行証を返した。
「勝手な真似はするな」
「命の保証はしない」
「承知しています」
門が、ゆっくりと開く。
その向こうに広がっていたのは――
荒廃ではなく、生活の匂いだった。
***
魔王領の街は、想像よりもずっと“普通”だった。
露店が並び、子どもが走り、魔族と亜人が混じって行き交う。
物価は高いが、流通はある。
(……戦争中、だよな)
違和感の正体は、それだった。
王国側が描く「魔王軍」は、もっと凶悪で、残虐で、狂っているはずだった。
だが、ここには――生活がある。
もちろん、傷痕はある。
壁には砲撃の跡。
義肢をつけた者も少なくない。
それでも。
「……」
ネコルトは、胸の奥がざわつくのを感じた。
この場所に、ミーニャがいる。
クリフが、どこかの地下で拳を振るわされている。
それだけで、足が重くなる。
***
まずは、情報。
ネコルトは小さな宿に入り、商人らしく酒を振る舞い、噂話を拾っていく。
「最近、前線が忙しいらしい」
「人手が足りない」
「契約兵が増えてるとか」
――契約。
その言葉に、耳が反応する。
「どんな契約ですか?」
「危険手当付きだ」
「ただし……縛りがきつい」
「縛り?」
「逃げられない」
「途中解約は、違約金がとんでもない」
ネコルトは、静かに頷いた。
(……ミーニャだ)
忍者。
斥候。
情報収集。
条件が、ぴたりと合う。
さらに、別の噂。
「最近、コロシアムが盛況だ」
「人間の拳闘士がいるらしい」
胸が、きしむ。
「……強いんですか?」
「化け物だな」
「でも、勝ち続けないと生き残れない」
(クリフ……)
拳を握り締める。
だが、感情を顔に出さない。
ここでは、商人でなければならない。
***
夜。
ネコルトは宿の部屋で、集めた情報を整理していた。
魔王軍は、一枚岩ではない。
統治派と強硬派。
現場と上層部。
そして――契約。
(……ある)
必ず、綻びがある。
ミーニャの雇用契約。
クリフの奴隷契約。
どちらも、完全ではないはずだ。
不利すぎる契約は成立しない。
自由意思の欠如。
条件の不透明さ。
金融商としての直感が、告げている。
(……救える)
だが同時に、理解もしていた。
正面からは、無理だ。
力では勝てない。
必要なのは――潜入。
魔王軍に、商人として入り込むこと。
ネコルトは、静かに契約書を一枚取り出した。
「……次は」
大魔公爵。
あるいは、その配下。
ミーニャを縛っている“誰か”の元へ。
窓の外で、魔王領の夜が静かに息づいている。
この地で、剣も魔法もない商人が、
契約だけを武器に戦おうとしていた。
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また、おかまバー〈ゴールデン戦国〉の夜話 ― 推し義龍様と転生ママ ―も連載中です。
そちらもよろしかったらご一読ください。




