託される者
朝焼けが地平を照らし、草原に濃い影を伸ばす。
小鳥のさえずりが風に乗って聞こえ、焚き火の名残からは微かに煙が立ちのぼっていた。
カリナ村から少し離れた林の外れ。昨夜、ゴルドたちは簡素な野営地を作っていた。
「ふわぁ……おはよう、メドラお姉ちゃん」
「おはよう。ユナ……って、あなた、まさか自分で焚き火の火を保ってたの?」
「うん。薪くべてたら勝手に目が覚めちゃって。風向き見ながら置くと煙が逃げるって、昨日ゴルドお父さんが言ってたから……」
「……はあ」
メドラは、唇の端を僅かに上げて感嘆の息をついた。
この子は、まだ幼いのに――たくましい。
昨夜は寒さも感じず熟睡し、朝の気配にも敏感に反応している。
旅に慣れていないはずなのに、環境に馴染むのが早すぎる。
(この子……人間の中じゃ、かなり野宿適性が高いわね)
「そういえばラハンはどこに行ったの? 元々、見張りはあいつの番だったのに」
「ラハンお兄ちゃんは少しだけ離れるって言ってた。トイレかな?」
(デュラハンだからそれは無いわね)
「おーい」
「あ、ラハンお兄ちゃんおかえり!」
「ちょいとラハン、子供ひとりに火の面倒見させてんじゃないわよ」
「ごめんごめん、近くに香草を採りに行っててさ。朝食に使えないかって」
「香草?」
「うん、ほらこれ」
怪訝なメドラの目の前に、ラハンは嬉々として集めてきた香草を広げて見せる。
「へえ、こりゃ大したもんだ」
「でしょ? これで朝ごはんももっと美味しくできると思うんだ」
「よし、じゃあ朝ごはんの準備しよっか。焼いた獣肉、香草で味付けしてパンに挟もう」
「ほんとに!? やった!」
小さな体がぴょん、と跳ねた。寝ぼけ眼のままでも食べ物への反応は一級品である。
メドラとラハンがそれぞれ調理に取りかかる。パンを裂いて、昨晩狩った兎肉の炙り焼きを挟む。ハーブと塩で軽く味付けしただけだが、肉の香ばしさが食欲をかき立てる。
「はい、できた。熱いうちにね」
「わあっ……!」
ユナは両手でパンを抱え、思い切り口を開けて――がぶっ!
「……っっん~~~っ! なにこれおいしすぎる~~っ!」
飛び跳ねながらパンにかぶりつき、肉の端からはジューシーな肉汁が滴っていた。
その様子に、ラハンが小さく笑う。
「……よく食べる子だ」
「可愛いでしょ?」と、メドラは満足げに言った。
ゴルドは焚き火の前で静かに食事を終え、立ち上がる。
「さて、俺は教会に顔を出してくる。昨日、約束したからな」
「一人で行くの?」
ユナがパンを口に咥えたまま、見上げて言った。
「ああ。男同士の話ってやつだ。昼食までには戻るさ」
「うん、いってらっしゃい……お父さん」
その呼びかけに、ゴルドの眉が一瞬だけ揺れる。
だが、すぐに満足そうな笑みを浮かべ、背を向けた。
◆
カリナ村の教会。朝の礼拝が終わり、神父モールスは木製の椅子に腰を下ろしていた。
扉が軋み、ゴルドの巨体が影を落とす。
「神父様、約束どおり顔を出しました」
「来てくれて感謝する。……改めて君と、少し話がしたかった」
ゴルドは無言で頷き、神父の前の椅子に腰を下ろした。
教会の内部は静まり返り、陽の光がステンドグラスを通して床を彩っている。
「まず最初に伝えよう。昨日、私は君たちに疑いの目を向けた。だが……あの子の目を見て、少し気が変わった」
「……目?」
「ユナはね、昔から“なにか”を持っていた。言葉にしづらいが……祈りにも似た、けれどもっと根源的な、“ちから”だ。私は神父として、そういう気配に敏感でね」
ゴルドは、眉をわずかに上げた。
「それは、魔力とは違うのか?」
「違うな。もっと透明で、純粋で……そしてときに、人を導くような力。神聖と言ってもいい」
「……なるほど。神父殿は、あの子に特別な資質があると?」
「そう。だからこそ、私は彼女を王都の騎士学校へ推薦しようと考えていた。正規の勇者候補を育てる場所だ。まだ正式には話していなかったが……いずれ話すつもりだった」
ゴルドは、内心で静かに舌打ちした。
(……やはり、“勇者”に育てる流れがあったか)
「しかし――」神父は続ける。
「そんなときに、君たちが現れた。見ず知らずの旅人たちが、あの子を家族として迎えたいと申し出る……普通なら、あり得ない話だ。だが不思議と、あの子は心を開いていた。だから私は思ったのだ。これはきっと“縁”なのだろう、と」
ゴルドは静かに目を閉じる。
「信じてもらえると?」
「信じたいと思っている。だが、同時に……君にも“普通ではない気配”を感じている。いや、三人ともだ。とても……人とは思えぬような気配を」
一瞬、空気が張り詰める。
だがモールスはそのまま、真正面からゴルドの瞳を見据えた。
「だが、それでも私は託そうと思う。あの子は、とても優しく、そして強い。誰かを信じたいと願う、まっすぐな心を持っている。ならば私もまた……信じてみよう」
「……神父殿」
「ユナを頼む。どうか……彼女を孤独にしないでくれ」
静かに、重みのある言葉だった。
ゴルドはしばし沈黙し――そしてゆっくり立ち上がった。
「約束する」
「……そうか。ありがとう」
神父の瞳には、どこか年老いた父親のような、温かな眼差しが宿っていた。
◆
帰り道、ゴルドはゆっくりと歩を進めながら、教会での会話を反芻していた。
(……あの神父、只者ではなかったな)
彼は薄々感じていた。神父モールスは、ある種の“感知”能力を持つ人物だ。
下手をすれば、魔王としての正体に勘付いてもおかしくなかった。
だが、それでも――託してきた。
(ユナを勇者にさせない。我の目的は、その一点だ)
騎士学校? 勇者育成? そんな未来は見せない。
“父親”として生き、ユナを“普通の幸せ”の中に封じてしまえばいい。
剣を握らせる必要などない。
このまま、野に咲く花のように、素直に、まっすぐに育てばいい――
(……なのに、我は今、神父の言葉に少し揺れてる)
「優しくて、強い子か……」
風が草原を撫で、木々がざわめく。
ゴルドは深く息を吐き、小さくつぶやいた。
「……やりづらいな、まったく」