#007 「図書館への導き」
夢の中で、誰かの声がした。
耳に残っていたはずの響きは、目覚めとともに霧のように消えてしまった。
「また……夢か」
想太は、誰にも話さないまま、その感覚を引きずるように朝の街を歩いていた。
空は晴れていて、街の表情はどこまでも穏やかだ。けれど──。
(……何かが、足りない)
そんな漠然とした気持ちが、胸の奥でざらついていた。
夢の内容はほとんど覚えていない。
それでも、どこか耳に残っている気がした。
(ともり……?)
聞き覚えがあるような、けれど確かに初めての名前。
意味も正体も分からない。
でも、まるで“記憶の風景”を歩いているような、不思議な気持ちになっていた。
ただ、“何かが始まる予感”だけが、まだ身体の奥に残っている気がした。
「……なんか、落ち着かない日だった気がするなー」
想太はひとりごとのように呟いて、寮の部屋で背伸びをした。
この街で過ごす“最初の自由な朝”だった。
制服は着なくていい。授業もない。
AIによる「新生活適応週間」の1日目──そのはじまり。
「ま、ぶらぶらしてみるか」
朝食を簡単に済ませ、リュックも持たずに外へ出た。
この久遠野という街のことを、もっと知りたかった。
交差点を渡ると、透明な外壁が美しい高層ビルが現れた。
久遠野リサーチセンター(KRC)──市と連携したAI倫理研究の中枢だという。
「へぇ……ここがKRCか。公開講義とか、学生も入れたら面白いのに」
目の前では警備ドローンが静かに旋回している。
その背後に広がるビル街の一角に、ひときわ厳めしい建物があった。
久遠野市セキュリティ統合局。
──通称、AIセキュリティ局。
出入口には、ホログラム化された警備AIが立ち、通行人を自動スキャンしている。
「……なんか、こういうのが“普通”って、やっぱりすごいな。
慣れたら安心なのかもしれないけど、少しだけ緊張するな……」
ポスト型の案内AIが通行者に静かに話しかける。
《ようこそ。セーフエリア内です。安心してお通りください。》
「うん、ありがとう」
……見られてるって、案外、安心するものなんだな。
道を少し外れると、街は静けさを取り戻していた。
ホログラムの広告もまばらで、どこか穏やかな空気が流れている。
そんな中、低層のモダンな建物が目に入った。
久遠野市中央図書記録館──灯のアーカイブ。
まるで記憶の倉庫のように、静かにそこに佇んでいた。
「“記憶の風景”、か……いい名前だな」
(……夢の中で、通ったような気がする)
(……というか夢で会ったよな……思い出せないけど)
もちろん、根拠なんてない。
けれど、あの場所に行けば──何かが変わるかもしれない。
いや、誰かに会えるかもしれない。
そんな“根拠のない予感”が、彼の足を自然とそちらへ向かわせた。
「ちょっとだけ……寄ってみようかな」
歩き出す。
まるで、夢の続きをなぞるように。