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#007 「図書館への導き」

 その朝、想太はひとりで寮を出た。

 誰とも待ち合わせていない自由行動の日で、足は自然と街へ向かっていた。


 朝の光が、まだ静かな寮の廊下に薄く差し込んでいた。

 想太は、ゆっくりとまぶたを開きながら、胸の奥に残る妙な感覚を確かめる。

 夢を見ていた気がする。だが内容は思い出せない。

 声だけが、ほんの一瞬、耳の奥に残っているようだった。


  ——ともり。


 その音の並びは初めて聞くはずなのに、不思議と懐かしかった。

 意味も正体もわからない。それでも、消えてほしくない響きだった。

 想太は身支度を済ませると、気持ちを切り替えるように寮を出た。

 今日から始まる “新生活適応週間”の1日目。

 授業も制服もない、完全な自由行動の日だ。

 外に出ると、久遠野市の朝は思っていたより静かだった。

 ビル外壁の透明パネルには、柔らかい初期ホログラムが点灯しはじめ、

 歩道には早朝ランニングの学生や、カフェへ向かう親子の姿がぽつぽつと見える。


  (……やけに静かだな。都会なのに)

 想太は歩きながら、久遠野という街の独特の雰囲気を感じ取っていた。

 整然と並んだ街路樹、人工微風を生む送風塔、

 そして、人の流れに溶け込むように存在する案内AIのホログラム。


  《おはようございます。本日は新生活適応週間1日目。市内文化施設をご自由にご利用いただけます》

 青白い光がふわりと浮かび上がり、通行者へ自然に溶け込む。

 この街では、ホログラムが“広告”というより“生活音”として扱われている。


「へぇ……普通にこういうのが街に馴染んでるんだな」

 交差点を渡ると、透明な外壁が朝光を反射する 久遠野リサーチセンター(KRC) が姿を見せた。

 AI倫理研究の中枢と呼ばれる施設で、常に学生の人気見学地でもある。


 そのすぐ隣には、より厳めしい雰囲気を漂わせる セキュリティ統合局 が建っていた。

 出入口前には、ホログラムの警備AIがゆるやかに動き、自動スキャンを行っては、行き交う人に淡々と指示を送る。


  《安全エリアです。安心してお通りください》

  (……ずいぶん整ってる街だな。監視されてるのに、不思議と嫌じゃない)

 想太は一度深呼吸をして、ビル街から少し外れた道に向かった。

 街の喧騒が薄れ、低層建物が増え、静けさの質が“都市の静けさ”から“落ち着く静けさ”へと変わっていく。

 歩道に並ぶ石畳が、かすかな規則で色を変えていた。

 それはただのデザインではなく、通行者の流れを自然に誘導する“街のアルゴリズム”なのだと、後で想太は知ることになる。

 ふと、目に留まる建物があった。


  ——レンガ造り。

  ——古いステンドグラス。

  ——周囲の近未来的なビルの中で、そこだけ時が止まったような佇まい。

 看板にはこう書かれていた。

 久遠野市中央図書記録館《(ともしび)のアーカイブ》。


  (……ここだけ、空気が違う)

 ガラスの街路が柔らかく光を返し、鳥の鳴き声まで聞こえてきそうな静けさ。

 想太は瞬きし、その建物を見つめた。

 胸の奥が、かすかに温度を持ったように感じられた。


  (……夢の中で、見た?)

 確信はない。

 ただ、“ここに来る”ことが最初から決まっていたような気がしていた。

 導かれるように石畳をのぼり、図書館の自動扉の前に立つ。

 扉が開くと、古い紙の匂いがふわりと広がった。

 その香りに触れた瞬間、胸の奥のざわつきが少しだけ落ち着いた。

 まるで、


  ──“よく来たね”──

 と誰かが優しく囁いた気がした。

 想太は小さく息を吸い、静かな館内へと足を踏み入れた。

 それが、久遠野での最初の“運命の風景”であることを、このときの彼はまだ知らなかった。

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