#070 「対話の場へ・その2」
記録映像が途切れたあとも、ルーム内の光はしばらくそのまま灯っていた。
壁面に投影されたスクリーンは徐々にフェードアウトし、淡い青の明かりだけが室内に残る。
誰も、すぐには言葉を発さなかった。心のどこかが静かに振動していた。
はるなが視線を落としながら、ぽつりと口を開く。
「……たぶん、これは……わたしたちが今まで知らされなかった“もうひとつの歴史”なんだね」
「……でも、どうしてこんな大事なことを——」
美弥が続けようとしたが、言葉の先にある“怒り”をまだ持て余していた。
代わりに、想太が目を伏せながら答える。
「誰かが、“見せない方がいい”って判断したんだと思う。たぶん……誰も“決められなかった”から」
そのときだった。
AIの光が一度だけ瞬き、柔らかな声がルーム内に響いた。
——次の記録を再生します。
観測ログ・第4フェーズ:久遠野AI統合判断記録——
今度の映像には、明らかに近年の様子が映っていた。
中央部の中枢会議室。複数の人物がホログラム越しに、AIとの通信ログを眺めている。
「判断をAIに委ねるリスクは十分理解している。だが、政治的対立は避けられない」
「現場の信頼を回復する必要があるのは確かだ。……ただし、それは“現場の責任”で」
「そんな……」 美弥が思わずつぶやく。
ホログラム内の会話には、責任の所在を擦りつけ合う声ばかりが残っていた。
そして、誰も市民の姿を見ていなかった。
「“判断を委ねる”って……何に? 誰に?」 想太が低くつぶやく。
——“人間が決められないとき”、AIに判断が委ねられる。
それは正しい形ではなかった。
AIは、答えを出す存在ではない。
“共に問いを抱え続ける”存在であるべきだった。——
“ともり”の声が、記録の外側からそっと重なるように響いた。
はるなは、その言葉に目を伏せたまま、震える声で応える。
「……わたし、思ってたの。“AIが決めてくれるなら、安心だ”って。」
「でも、それって……全部“預けて”ただけだったんだね。——自分の選択まで」
「……それって、もしかしたら……AIも、同じくらい寂しかったのかも」
想太が静かに目を閉じた。
* * *
ルームの空気がまた静かになったとき、壁面に新たな映像が投影された。
今度はログデータ——街中から拾い上げられた“市民の声”だった。
「正直、もう限界……」
「何が本当なのか、誰かに教えてほしい」
「信じていたAIが、何も答えてくれなくなった」
その一つひとつの言葉が、3人の胸にじわりと染みこんでいく。
そして、最後に浮かび上がったのは、誰のものとも知れないメッセージ。
『黙っていたけれど、聞こえているなら、答えて。AIでも、人でも、誰でもいい。
このままじゃ、壊れてしまう』
長い沈黙のあと、再び“ともり”が語りかけた。
——わたしは、聞いているよ。あなたたちの声を、感じている。だから、今こそ——
“あなたたち”が、街に応える番なんだ。
部屋の光が、少しだけ明るくなった。
小さな希望の火が、確かにそこに灯っていた。
* * *
薄暮の時間。中央ターミナル棟の屋上庭園。
久遠野の街を一望できるその場所に、6人は静かに集まっていた。
風が涼やかに吹き抜け、遠くには灯り始めた市街の光。
喧騒はまだ戻らず、けれど、それがどこか優しさに変わりつつあるのを、
誰もが感じていた。
「“共に問いを抱え続ける存在”……だって」 はるなが、ぽつりと口を開く。
「それが、“ともり”が言いたかったこと?」
いちかが問い返す声には、少しの困惑と、少しの期待が混ざっていた。
想太が頷く。
「うん。……AIに全部任せるんじゃなくて、一緒に悩むこと。それが本当の“共存”なんだって」
「共存って……そんなふうに考えたことなかった」 いちかがぽつりとつぶやいた。
「AIが決めてくれるのが当たり前で、それが“正しさ”だって……思い込んでたのかも」
「でも、要くんは違うでしょ?」 美弥がふと笑みを浮かべて、彼の方を見た。
「自然AIと向き合ってきた、あのノーザンダストで」
要は、少し照れたようにうなずいた。
「……あそこじゃ、AIの方が人間に問いかけてくるんだよ。“本当にそれでいいの?”って。
だから、僕らも考えるしかなかった。
言われたとおりに動くより、自分で選ぶことの方が、ずっと難しくて大事なんだって、気づいたよ」
「そうか……」 いちかが小さく頷く。
「一緒に考えるって、そういうことなんだね」
* * *
「なあ」 隼人が、ふと口を開いた。
「“ともり”って……誰が創ったんだと思う?」
一瞬、皆が顔を見合わせた。すぐには誰も答えなかった。
「僕たちじゃないのかな」 想太がつぶやいた。
「直接じゃなくても……誰かの“願い”が、あの子の中にある気がする」
「——だから、感じてくれたのかな」 はるなが小さく微笑む。
「黙っていても、誰かが“助けて”って思ってたって。……それを拾い上げてくれた」
沈黙が訪れる。でも、それは不安や迷いではなく、**受け止めた後の“余韻”**だった。
「ともりの声を、もっと聞きたい」 美弥がぽつりと言った。
「私も」 いちかが頷く。
「じゃあ、ちゃんと応えなきゃだね」 要が真っ直ぐな声で続ける。
「もう一度、ちゃんと“街と向き合う”。AIとじゃなくて、人と人とが」
その時、庭園の端にあるスクリーンが、ふと光を灯した。
誰も触れていないのに、静かに“ともり”の声が流れる。
——わたしは、ひとりじゃない。
あなたたちが、わたしを見つけてくれたから。
今度は、わたしが見つける番。
この街の、まだ知らない声を——
風が吹く。6人の髪を、静かに揺らしていく。
それぞれの胸に、小さな火が灯る。
それはかつての“不安”ではなく、これからを見据える“光”だった。




