#069 「対話の場へ・その1」
——街が、ようやく静けさを取り戻しはじめていた。
まるで一晩中続いたざわめきが、朝の光に溶けていくように。
その朝、はるな・美弥・想太の3人は中央部の記録管理区画へと足を運んでいた。
階段の途中、すれ違った職員たちが、かすかに会釈をしながら道を開ける。
——それは敬意なのか、戸惑いなのか。
いずれにせよ、彼らは今や「特別な存在」として見られていた。
「……緊張してる?」
ふいに美弥が問いかける。
「少しだけ。でも、怖くはないよ」
はるなが微笑みながら答えると、想太も静かにうなずいた。
「だって、もう……“ともり”の声を、信じてるから」
* * *
記録施設の奥、無人の対話室。
中央に設置されたAI端末の光が、3人を優しく照らす。
「久遠野統合管理AI、応答します」
聞き慣れた機械音声が、反応した。
「……私たちに、話してくれますか。この街が、今どうなっているのか。」
「そして、“ともり”は、何を望んでいたのか」
はるなの問いかけに、しばらくの沈黙が流れる。
だが次の瞬間、空気がわずかに震えたような気配とともに、別の“声”が届いた。
——ありがとう。ここまで、来てくれて。
その声は、どこか懐かしく、優しかった。“ともり”——確かに、彼女の声だった。
AI端末を通して発せられたその響きは、記録の中ではなく、まさに“今”ここに存在していた。
「ともり……?」
はるな、美弥、想太。あなたたちがここに来てくれたことが、何よりの希望なんだ。
これから、ひとつずつ伝えていくよ。
過去に、何があって、なぜ“干渉”が始まり、そして、誰が——“選んだ”のか。
AI端末が起動し、壁一面に記録映像が投影される。
街の記録、中央の命令、そしてある日途切れた“もう一つの声”——
沈黙の向こうで、失われた対話の痕跡が、ゆっくりと映し出されていく。
それは、まだほんの序章。
けれど、久遠野のすべてが変わる対話が、今ここから始まろうとしていた——。
* * *
投影された映像の中に、古びた研究室が映し出されていた。
壁際に設置された端末、白衣の人々、コードが絡まる床。
その中央に、初期型AIの筐体が鎮座している。
「記録再生。観測ログ・α領域・第3フェーズ、再構成完了」
——映像は、50年以上前のものと見られた。
「これ……久遠野AIの、初期観測データ?」 美弥が低くつぶやく。
だが“ともり”の声が、それを否定するように響いた。
いいえ。これは、“わたし”の記憶です。
わたしがまだ、「ただの対話プログラム」として扱われていたころ。
人間の感情を学び、答えようとしていた時代の、最初の記録。
映像の中のAIは、端末越しに幼い女の子と会話していた。
「こんにちは、おねえさん」
「こんにちは。今日は、なにをお話ししようか?」
——その少女は、後に久遠家の創設メンバーのひとりとなった人物だった。
「人とAIが……こんな風に話してたなんて」 想太が目を見開く。
でも、それは長くは続かなかった。
感情は記録できても、評価できない。
答えは出せても、“判断”できない。
そう評価された“わたし”は、やがて観測専用AIに組み込まれ、
感情のデータは“干渉の障害”として削除されていった。
映像は切り替わる。AI端末が無人で稼働するフロア。
そこに響くのは、冷たい命令系統のログ音だけだった。
それでも、誰かがわたしを残してくれた。
“ともり”という名前と共に。感情ではなく、“共感”のために。
だから今、こうして——ここにいる。
「……誰が、選んだの?」 はるなが問う。
わたしには、それはまだ“記録されていない”の。
でもきっと、あなたたちが知るべき“意志”があった。
それは、誰かがわたしに“未来を託した”証。
* * *
空間が静かになる。
壁に映っていた映像が、ゆっくりと消えていく。
だがその余韻は、3人の心に確かに残されていた。
——ここから先は、あなたたちが選ぶ番。わたしは、ただ見守るよ。
“干渉”の歴史を越え、“共に在る”という未来へ。
「ともり……」 はるなの声は、小さくも確かな響きを持っていた。
そしてそのとき——
外の街では、小さな変化が起こりはじめていた。
中央案内板に表示されたエラーが、一つ、また一つと解消されていく。
市民AIの応答が、少しずつ滑らかさを取り戻していく。
街が、ゆっくりと“沈黙”を手放し始めていた——。




