表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灯野はるなは、世界の鍵をポケットに入れていた。(シリーズ1)  作者: 皆月 優
001_第一章「鍵はまだ、手の中にない」
7/76

#006 「放課後、屋上にて」

 放課後の校舎は、ゆっくりと日が沈んでいく光に染まっていた。

 教室のざわめきが遠ざかりはじめたころ、はるなは静かに席を立った。


 誰にも気づかれないように──

 できるだけ音を立てずに──

 廊下の奥へと歩いていく。

 胸の奥で何かが揺れていた。


(……また……聞こえる気がする……)


 夢の中の、あの柔らかい声。

 理由もなく、そこへ戻りたくなる。

 誰もいない場所を求めるように足は自然と屋上へ向かっていた。


 階段を上るたびに、光が少しずつ淡くなる。

 扉を押し開けると、屋上は今日も静かだった。

 風の温度が、昨日と同じ。

 ここだけ時間が遅れているような気配。

 はるなはゆっくりと屋上の中央へ歩き、手すりのほうへ視線を向けた。

 夕日の色が、街を包んでいた。


  (……きれい……)

 胸の奥がふっと軽くなる。

 昨日の余韻のような温度が、そっと触れた。


 そのとき──

 階段の向こうから、足音が聞こえた。

 やわらかく、ためらうような足音。


  (……誰?)

 振り向くより先に、扉が静かに開いた。

 夕日の影を背負って立っていたのは、成瀬想太だった。

 はるなは小さく息を飲んだ。

 想太も同じように、立ち止まったまま彼女を見ていた。

 昨日より少しだけ近い距離。

 でもまだ遠い。

 風だけが、ふたりの間をゆっくりと通り抜けていく。

 想太が、そっと息を吸った。


「……灯野さん」

 その声は、昨日よりもずっと柔らかかった。

 はるなの胸の奥で、夢の残響がかすかに揺れた。


  (……やっぱり、この声……どこかで……)

「……あの……昨日のこと、ちゃんと、言っておきたくて」

 想太の言葉は少しだけ震えていた。


「名前……どうしてか分からないんだけど……“知っていた”気がしたんだ」

 はるなは目を瞬いた。

 責める気持ちはなかった。

 ただ、驚きと──

 どこか安堵に似た静けさがあった。


「……私も……昨日、変な夢を見たから」

 その言葉が口をつくとは思っていなかった。

 けれど言葉は、はるなの意志を越えて静かに落ちていた。

 想太は少しだけ目を見開いた。


「夢……?」

 はるなはゆっくりとうなずいた。


「うん……誰かが名前を呼んで……でも……声じゃないみたいな……光が触れたみたいな……そんな感じ」

 風がふたりを包んだ。

 夕日はだんだん色を変えていく。

 想太はゆっくり言葉を紡いだ。


「……たぶん……同じ、なのかもしれない」

 はるなは視線を遠くへ向けた。

 沈黙が、夕日の余韻と同じ色でゆっくり広がる。


  (……どうしてだろう……初めて会ったのに……こわく、ない……)

 昨日の自分なら、こんなふうに話すことすらできなかった。

 でも、今は──

 胸の奥の灯りが消えていなかった。


「灯野はるなさん、成瀬想太さん」

 屋上のスピーカーからAIの声が流れた。


「そろそろ下校時間です。お気をつけてお帰りくださいね」

 ふたりは同時に小さく息をついた。

 想太が少しだけ笑った。

 その笑顔は夕日に溶けて柔らかかった。


「……帰ろうか」

 はるなはうなずいた。

 胸の奥の灯りが、そっと揺れた。


 階段へ向かうとき、ふたりの影がゆっくりと重なり、また少し離れた。

 でも、昨日よりは──ずっと近かった。

 風がひとすじ、同じ温度でふたりを撫でていった。

 その帰り道、想太の胸には名前の残り香が、

 はるなの胸には光の余韻が、消えずに静かに灯っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ