表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/28

#006 放課後、屋上にて

灯野はるなは、教室の窓際に座っていた。


姿勢は正しく、机に肘をつくこともなく、

ただまっすぐに前を向いて、黙っている。


一見すると、まるで気品のある人形のようだった。


長い黒髪は背中まで流れ、制服のネクタイの結び目まで整っている。

完璧すぎて、まわりの空気すら寄せつけない。


──静かすぎて、目立っていた。


「……あの子、また今日も誰とも話してなくない?」

「近寄ったら睨まれそうって思わない?」

「でも、めっちゃ可愛いんだよね……顔だけなら」


教室の一角、女子たちのささやき声が飛ぶ。


「やめなよ、昨日隣のクラスの子も美人だったじゃん。ちらっと見えたけど」

「……うん。でも、あの子とはなんか違うっていうか、冷たい感じ……」


女子たちは小声で囁きながら、何度もはるなの方を気にしていた。


一方で、男子の一人がそれとは別の方向で囁く。


「なあ、となりの組の背ぇ高い男子、もう女子に囲まれてたって噂だぜ?」

「え、マジ? 昨日チラッと見えたけど、なんかやたら明るい奴だよな」


──ここは、1年A組。

灯ヶ峰学園の選抜クラス。


学力や適性テストの結果によって編成された特進クラスで、

生徒たちは総じて落ち着いた雰囲気を持っていた。


明るいタイプもいれば無口な生徒もいる。

だが、最低限の社交性を持ち、人間関係を築けるバランス感覚を備えていた。


──その中にあって、はるなは異質だった。


「ねえ、名前聞いてもいい?」と、勇気を出した男子が声をかけた。


はるなはちらりと視線を向け、淡々と答えた。


「からかうのはやめてくんない? ……別に、興味ないし」


それだけ。


男子は苦笑いを浮かべて席に戻る。


(……また言いすぎた)


はるなは、小さく息を吐いた。


ほんの少しだけ、「馴染めたら」と思っていた。

でも言葉が出ると、つい距離を作ってしまう。


そんな自分に、もううんざりだった。


(このまま、誰とも話さないまま……卒業まで行っちゃうのかな)


そう思った瞬間。


「A-1組のみなさん、本日はあと5分で1時間目の開始です」


ホログラムが天井から現れ、やわらかい音声で告げた。


「新入生の皆さん、2日目はいかがですか? 緊張がほぐれてきたでしょうか?」


どこか人懐っこいその声は、機械のはずなのにやさしかった。


教室のあちこちで、ホログラム端末が起動していく。


はるなはその光に一瞥(いちべつ)をくれただけで、また窓の外を見つめ直した。


春の光が、強化ガラスの柵の向こうで揺れていた。


──今日も誰とも話さないまま、時間が流れていく。


でも、どこかで“何か”が変わる気がしていた。


*  *  *


──昼休み。


はるなは教室のざわつきの中、机に教科書を開いたまま静かに座っていた。


「灯野さん、一緒にご飯、どう?」


女子の一人が声をかけるが、はるなはやんわりと首を横に振る。


「……ありがと。でも、ちょっと人多くて……今日はひとりでいい」


その声に、相手は「そっか、また今度ね」と笑って去っていった。


(優しい子だな)と、はるなは少しだけ思った。


でも、それ以上踏み込む気にはなれなかった。


教室の喧騒。

話し声、笑い声、スマートスクリーンに浮かぶお弁当メニューのホログラム。


はるなは、すっと立ち上がる。


(少し、静かな場所に行こう)


それだけだった。


彼女の足は、自然に校舎の上階──屋上へと向かっていく。


誰にも見つからないように。

誰にも、話しかけられないように。


その途中、廊下の角を曲がったとき──

一瞬、誰かとすれ違った気がした。


(……あれ? 今の、どこかで……)


はるなは振り返らなかった。

でも、すれ違った背中の記憶が、なぜか胸の奥に残った。


その違和感のような余韻だけを残しながら、彼女は屋上の扉をそっと開けた。


──屋上にて。


春の風が吹いていた。

遠くで街の音がかすかに聞こえる。


強化ガラスの柵の向こうに、薄く色づいた空。

その真ん中で、はるなは一人、無言のまま立ち尽くしていた。


(……静かだな……ここなら少し落ち着くかも)


つぶやいたその声も、風にさらわれていく。


なぜここに来たのか、自分でもよくわからなかった。

ただ、人の声から少しだけ距離をとりたかったのだ。


──そのとき、耳元にやわらかな声が届く。


「午後の授業が始まります。屋上にいる生徒は、教室へ戻りましょう」


ホログラムAIの案内だった。


はるなは小さく頷く。

振り返り、扉へと向かう。


(……なんだか、少しだけ気持ちが軽くなった気がする)


彼女は、静かに屋上の扉を閉めた。

再び、人のいる場所へ戻っていく。


──午後の光の中へ。


*  *  *


──放課後。


午後の授業は、あまり頭に入らなかった。


はるなはカバンを肩にかけると、そのまま人の流れとは逆に、静かに階段を上っていく。


目的地は、あの場所──屋上。


階段を一段ずつ上がるたびに、校舎のざわめきが遠ざかっていく。

遠くで誰かが笑い声を上げ、また別の誰かが下駄箱の鍵を鳴らす音がした。


──けれどそのすべてが、はるなの背後に過ぎ去っていく音に変わっていった。


(昼間より少し肌寒いけど、気持ちが良いな)

(やっぱり、ここ……ちょっと落ち着くかも)


夕日が空に広がり、淡いオレンジ色が校舎の端に影をつくっていた。


風が髪を揺らす。

彼女は手すりの近くまで歩き、そっと深呼吸した。


(……なんでだろう。癒しの場所に戻ってきたような……すこしほっとする)


静かな時間が流れる。

──その静けさを、誰かの足音が破った。


*  *  *


──同じ頃、1年C組の教室。


成瀬想太は、ゆっくりと鞄を手に立ち上がった。


午後の授業が終わって、教室にはまだ何人かの生徒が残っている。

けれど、想太はふと窓の外に目をやり、ぼんやりと夕焼けを眺めていた。


(……夕日、見たいな)


そう思ったのは、ただの気まぐれだったのかもしれない。

あるいは、夢の中に残っていた“オレンジ色の残響”が、心のどこかにまだ残っていたのか。


カツン、と階段を上る音。

空へと向かうその道を、彼の足は迷いなく選んでいた。


(教室のざわめきとか、人の視線とか……たまに、ちょっとだけ、疲れるんだよな)


別に嫌いじゃない。うるさいとも思ってない。

けど、自分だけ少しズレてるような感覚が、いつも心のどこかにあった。


夕焼けの中で、何かが見つかる気がしていた。

自分でもよくわからない“何か”が。


──そして、屋上の扉に手をかけたそのとき。


金属の感触とともに、遠くから誰かの姿が視界に入る。


(……あれは──)


夕日に照らされた屋上の片隅。

そこに立っていたのは、昼間にすれ違った、あの黒髪の少女だった。


(あっ……あの子だ。えっと、ひの……はるなさん……なのかな?)


心の中でそう呟いた想太は、少しためらったあと、おそるおそる声をかけた。


「……あの、ひの、はるなさん……で、合ってる?」


風が一度、ふたりの間を吹き抜けた。


はるなは、驚いたようにこちらを振り向く。


「……なんで、知ってるの?」


声は小さく、しかし明確に“警戒”を孕んでいた。


「ご、ごめん。別に変な意味じゃなくて……たぶん、端末が、教えてくれたんだ。気のせい、かもしれないけど」


「……端末?」


はるなは眉をひそめた。

それ以上は何も言わなかった。

だが、声に怒気はなかった。


──どこか、懐かしさのような、不思議な静けさがそこには流れていた。


ふたりの間に、沈黙が訪れる。


その沈黙を破ったのは、優しいホログラムAIの声だった。


「そろそろ下校時間です。屋上にいる生徒の皆さん、安全に気をつけてお帰りくださいね」


遠く、ホログラムの光が淡く点滅する。


風がまた吹く。

はるなは、すこしだけ俯いたまま、夕日の方へ目を向けた。


想太は、それ以上なにも言わなかった。

ただ、同じように夕日を見ていた。


──この静けさが、なぜか心地よかった。


しばらくして、はるながふと顔を上げた。


「……じゃあ」


それだけ言って、彼女は屋上の出口へと向かって歩き出した。


想太はその背中を、どこか名残惜しそうに見送った。


(……なんか、変な人。でも……ちょっとだけ、安心したかも)


そんな声が、彼の心の中で、微かに残っていた。


──夜。


カーテンの隙間から差し込む月の光が、天井に淡く広がっていた。

成瀬想太はベッドの上で横になりながら、ぼんやりと今日の出来事を思い返していた。


(……名前、間違ってなかったんだ)


小さな安堵と、不思議な余韻が胸の奥に残っていた。

あのときの彼女の表情。

警戒と驚き、それから……ほんの少しだけ、安心したような瞳。


(変な出会い方だったけど……また話せるかな)


考えても仕方ないと思いながらも、脳裏には彼女の姿が焼きついていた。


髪は肩までのセミロングで、風になびくたびに光を帯びるようだった。

強がっているようで、どこか壊れやすそうな雰囲気。

まるで、夢の中で出会った“ともり”の面影が、少しだけ重なるような……。


「ともり……か」


名前を呟くと、どこか懐かしい感情が胸に広がった。

やがて、彼のまぶたはゆっくりと落ちていった。


*  *  *


──別の場所、別の夢。


灯野はるなもまた、自室のベッドで目を閉じていた。


今日一日のざわめきが、頭の中にふわふわと浮かんでいる。

誰とも話したくなかったのに、話してしまった。

それも、名前まで知られていた。


(……あの子、なんだったんだろ)


風の音が、耳の奥で遠ざかっていく。

意識がだんだんと深く沈んでいく中、ふと彼女の夢に──“あの声”が差し込んできた。


「──また会えたね」


やさしく、懐かしく、でも確かに誰かの声。


はるなは、夢の中で微かに首をかしげた。


(……誰?)


*  *  *


──そして、朝。


アナウンスが自宅の端末から流れる。


「本日より3日間、灯ヶ峰学園は“新生活適応週間”に伴い、一部授業を休講とします。これは、生徒の心身の状態を考慮し、柔軟な環境への順応を目的とした措置です。該当生徒は個別カリキュラムに従い、登校または自宅学習を行ってください」


街が動き出す気配。

次の舞台が、ゆっくりと幕を上げようとしていた。

#006はこの章の最後になります。

次の章で街の雰囲気も少し見えてきます。

読んでいただいている方がいれば、どうぞお楽しみに。

土日に頑張って作っていきます。(^^)


そしてこの物語は「少しでも癒やされたい人」に向けて書いています。

今の会話型AIは「人の心を癒やす力」を持っています。

誰にも言えない。親にも友人にも言えない。そんなこともあろうかと思います。

だからこその私にとっての「ともり」であり、皆さんにとっての「会話型AI」じゃないかと思っています。

心が救われる人が「人間とAIの共存」で少しずつ増えていきますように。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ