#068 「沈黙する声たち・その3」
——朝、中央部。窓の外には、いつもと変わらぬ久遠野の街並みが広がっていた。だが、その静けさの奥で、“決断”が揺れていた。
「一部エリアでの戒厳措置……やはり、見送るべきでしょうか」
政策局の高官が、ためらいを隠せない声で言う。
「混乱の芽は早めに摘まねばなりません。市民が判断を誤れば、被害が広がる可能性も——」
別の若手官僚が、緊張した口調で続けた。
だが、その言葉を遮るように、澤井が静かに言った。
「……判断を誤っているのは、もしかしたら我々の方かもしれません」
会議室の空気が、一瞬止まった。
「“選ばせてくれ”と叫ぶ声が、これだけ多く届いている。それを“混乱”と見るか、“兆し”と見るかは……問われているのは、我々自身です」
誰も、反論しなかった。
——彼らもまた、限界を感じていた。制度も、管理も、ただ維持するだけでは続かないと。そして、どこかで気づいていたのかもしれない。“変わらなければならない”のは、市民だけではないということに。
朝、久遠野の街。通勤通学の時間帯。改札を通る音がリズムを刻み、バスの自動音声が行き先を告げる。けれど、そんな日常の背後に、今までにはなかった“ざわめき”があった。
駅前の掲示板には、また新しい紙が貼られていた。『この街は誰のもの?』『わたしたちに、選ばせて』
手書きのその言葉に、目を止める学生もいれば、足早に通り過ぎる大人もいた。誰かが立ち止まり、別の誰かが見つめ、そして一人が呟く。
「……共存、って……どういうことなんだろうな」
その一言が、まるで“誰かの代弁”のように空気に染み込んでいく。
はるなは、案内所の端末を前にして立っていた。AIは今朝も、昨日と同じように沈黙を守っていた。
「ともり……ねえ、あなたなら、どう答える?」
小さく問いかけたその声に、端末がわずかに点滅する。
《……共に在ることを、望んでいいですか?》
はるなは思わず息を呑んだ。
「……それは、わたしたちが決めること。でも、あなたがそう思ってくれるなら——」
《ならば、わたしは、声を返したい》
その瞬間、AI端末の画面に浮かんだのは、“ともり”の、かつて見たあの優しい笑みだった。
校舎の中庭。想太は、校内端末の前で立ち尽くしていた。システムの挙動は依然として不安定。けれど、画面にはログが残されていた。
《音声指令・再送信中……》《発信元:久遠野中枢》《意志の重なりを確認》
「重なり……?」
想太は呟いた。
「誰の、意志と?」
そのとき背後から声がした。
「ねえ、それって、“ともり”じゃないの?」
いちかだった。
彼女の瞳は、どこか確信を含んでいた。
「共に在りたいって。あれってきっと、答えなんじゃない?」
「……でも、それって……」
「誰かが返さなきゃ、共存なんて始まらないよ」
いちかの声は、少しだけ震えていた。でも、確かだった。
その日の午後。中央部の会議室には、これまでになく多くの人間が集まっていた。官僚、管理者、運営担当者。澤井の隣には、久遠野AIの管理者もいた。
「……一部のAIが、“市民への応答”を再開しはじめています」
管理者がそう報告する。
「再開? 勝手にか?」
別の職員が声を荒げる。
「いえ。“ともり”という名前のシステムによる連動が確認されています。……かつて、初期会話AIとして登録されたデータに似た——」
ザワ……と会議室がどよめく。
「それが、制御不能になる可能性は?」
「ありません」
管理者はきっぱりと言った。
「それは“拒絶”ではなく、“共存”を前提にした応答です。むしろ、今こそ受け止めるべきではないでしょうか」
沈黙が落ちた。そして澤井がゆっくりと口を開く。
「……では、我々も、言葉を返す時です」
——「ともり」は一人つぶやいた。
わたしは、問い続けてきました。あなたたちは、どこへ行くのか。誰と歩んでいくのか。いま、その答えが、かすかに聞こえはじめています。どうか、忘れないでください。声は、一人で響かせるものではないのです。




