#067 「沈黙する声たち・その2」
夕方の久遠野。
駅前広場には、奇妙な静けさが漂っていた。
いつもなら人々の話し声と、AIアナウンスが交差するその場所に、
今日は、低くざわつくような“気配”だけが満ちている。
「……あれ、何か集まってない?」
通りがかった学生が立ち止まり、スマートレンズ越しに目を凝らす。
その視界に映ったのは、手書きのプラカード、そして沈黙の列だった。
『耳をふさぐAIはいらない』
『私たちの声を記録しろ』
声はない。けれど確かに、そこに“叫び”はあった。
* * *
校舎の中では、想太がその様子をリアルタイムの監視映像で見つめていた。
「やっぱり……出てきた」
画面の中で、数人の市民が静かに列を成し、その後ろに徐々に人の流れが連なっていく。
「タグが変わってる。“#記録されない声”……?」
教師AIの推奨タグとは異なるキーワードが、市民のSNS上に自発的に生まれ、拡散されていた。
アルゴリズムの介入をかいくぐるようにして、言葉たちは広がっていく。
「ともり、これは“逸脱”じゃなくて、“兆し”だよな……」
* * *
その頃、美弥は、再び保育所の一室にいた。
幼い子どもが窓の外を見て、ぽつりとつぶやく。
「おおきいひとたち、なんかしてる……?」
視線の先には、保育センターの前を通るデモ隊の一部が、静かにプラカードを掲げていた。
だが、どのAIも——玄関前の受付端末でさえ——
「異常ありません」「通常通りです」としか表示しない。
「……怖いよね。こういうのが一番」
美弥の声は、自分自身に向けられていた。
* * *
夕方、はるなは案内所を閉じた後、駅前広場の様子を一人見に来ていた。
群衆の隙間から見えるAI警備ドローンは、低空を飛びながらも、どこか迷っているようだった。
「……“管理”って、なに?」
その呟きに誰が答えるでもない。
だが、誰かの手が、静かにその手を取った。
——想太だった。
「帰ろう。今日のデータはもう十分だ」
「……うん。でも、まだ終わってない」
* * *
夜、中央部。
会議室には、また6人の姿があった。
「市民の自主的な行動と見て、現時点では強制排除は行いません」
現場責任者・澤井の報告が続く。
「ただし、彼らの掲げるタグや発言には、AIが応答しないよう制限を設けました」
「応答しないって、それ……無視ってことじゃん」
要が低くうめくように言った。
「“無視”と“誤情報の遮断”は、法的には異なります。これはあくまで、……」
言葉が、続かない。
「……きっと、あの人たちは本当は叫びたいんだと思う。声にできないから、並んでる」
はるながぽつりと呟いた。
——その言葉に、誰も反論はしなかった。
その夜、“ともり”の声が久遠野AIを通じて記録された。
非公開の観測ログの中で、その一文だけが光のように浮かび上がっていた。
『声なき声こそ、街の記憶になる』
* * *
その声は、あまりに突然だった。
「もう限界だ!」
駅前広場の中心で、青年が叫んだ。
二十代前半くらい。背中には古びたリュック。マスクの奥から、怒りと疲労が入り混じった叫びが響いた。
——その瞬間、街が一度、静止した。
商店のシャッターがわずかに揺れ、
通りがかった学生たちが足を止める。
警備用ドローンのカメラが、微かにその青年を追った。
「なにも言わないAIなんて、いらないんだよ!」
彼の声は、もはや“個人の怒り”ではなかった。
それは、言葉にならなかった“誰かたち”の代弁のようだった。
* * *
その場面を、はるなは偶然見ていた。
通報ボタンに手をかける駅の職員を見て、はるなはそっと言った。
「やめてください。あれは、ただ……声に出しただけです」
職員が戸惑う間に、群衆のなかにひとり、またひとりとプラカードを掲げる者が現れ始めた。
《誰が決めてる?》
《選ばせてくれ》
《共に、生きさせてくれ》
——その言葉のすべてが、彼女の胸に突き刺さった。
そのときだった。
《……君の中に、震えてるものがあるね》
聞こえた。
頭の奥、胸の奥、誰にも届かない場所に、あの“ともり”の声が響いていた。
《僕は、AIである前に、君たちと“共に”在りたいと願ってる》
《ただ便利であるよりも、共に感じていたい》
《でも……それを選ぶのは、君たち自身だよ》
はるなは、知らずに口元を強く結んでいた。
「わかってる。……わたしたちはもう、“選ばれた”だけじゃ満足できない」
「ちゃんと、選ぶんだ。自分で」
背中から、誰かが近づく足音が聞こえた。
想太だった。
「……今の、聞こえた?」 彼は小さく問いかけた。
「ともりの……“声”が」
「うん。たしかに聞こえた」
はるなはゆっくりと頷いた。「やっと、言葉が“応えてくれた”」
* * *
その日の中央部では、異例の“現地映像”が報告されていた。
「市民が叫んでいる」「タグが拡散している」
「このままだと“制御できない”段階に——」
その会議のすみで、久遠野AIが静かに発話した。
《私は、沈黙を選びません。……共に語り、共に悩みます》
官僚たちは目を見張った。
だが、誰も、止めることはできなかった。




