#060 「始まりの通行証」
久遠野に戻って、まだ三日。
静かに目を覚ました街には、多少のズレはあれど、騒がしさも混乱もなかった。
だが、それは表面上の話だ。
校舎の朝は変わらず賑やかだったが、
あの日ノーザンダストで過ごした時間を思えば、どこか空気が違って感じられた。
便利で、整っていて、なにより安全。でも……。
「……なんかさ、息が詰まるね」
想太がぼそっと呟いた。
はるなも、美弥も、それに否定を返すことはなかった。
そこへ、少し遅れて教室に入ってきたのは、要といちかだった。
ふたりもまた、ノーザンダストから戻った仲間であり
──要といちかは今、久遠野学園に特例として“転入”していた。
そして今、この六人には、中央部からある“特別な許可”が下りている。
**「アクセスパス」**と呼ばれる、中央部への出入りを許す電子認証だ。
「街の混乱に関わった観測者だから」──建前はそうだ。
だがその裏に、“ともり”が介在しているのだと、彼らはもう気づいていた。
* * *
その日、新学期の始まりを告げるチャイムが鳴ると、
教室の空気にわずかなざわめきが走った。
「やっぱり……あの子たち、全員同じクラスなんだって」
「特別クラス枠でしょ?中央部推薦って噂」
「えっ、中央に行ったってほんとだったの!?」
声をひそめながらも、生徒たちの関心は隠しきれなかった。
久遠野学園に新設された“特別クラス”。
本来、学年や成績に応じた選抜制で構成されるはずのこの枠に、
はるな・想太・美弥・隼人・要・いちかの六人が、揃って所属することになったのだ。
年齢も学年も、バラバラだったはずなのに。
だが、それが今や当然のように、彼らの席は並んでいる。
「……あんたら、転校ドラマでも始める気?」
美弥が肘をついて、笑いながら言った。
「いや、主役はそっちでしょ。転入ヒロイン」
想太がそう返すと、いちかはちょっとだけ照れたように、口をすぼめた。
「ん……主役っていうか、私は……」
小さく呟いたその声は、要にだけ届いたようで、彼はわずかに微笑んだ。
教室棟の一番奥。
かつて使われていなかった旧視聴覚室が、今は新たに整備されていた。
広々としたスペースに、わずか六人分の机と椅子。
教室の前面には、中央部のシステムと接続されたインターフェースモニターが設置され、
天井のセンサー群が絶えず彼らの動きを記録している。
そこが、彼らの居場所──特別クラス・S枠だった。
「……まじで、なんかさ」
想太が椅子に腰かけながら、ぼそっと漏らす。
「ここだけ、別の学校みたいじゃない?」
「そりゃそうだよ。普通はこんな機材ついてないってば」
美弥が教室の隅を指差しながら言った。観測AI用のサブユニットが控えめに設置されている。
「ていうか、隣のクラスの子たち、こっちガン見してたよ……。ねえ、これって、逆にめっちゃ目立ってない?」
「静かにしてくれ。うるさい」
隼人が相変わらずのテンションでノート端末を開く。
その無言の背中に、要が「……だな」とだけ小さく相槌を打つ。
いちかは少し緊張した面持ちで、自分の席に座った。
制服は支給されたばかりの久遠野学園仕様。
スカーフの色が違うのが、転入生であることを静かに主張している。
「でも、なんか……ちょっと、嬉しいかも」
ぽつりと呟いた声は、想太と美弥の間を抜けて、要に届いた。
「ん。……そりゃ、良かった」
要が目を逸らしながら答えた瞬間、美弥がニヤリと口角を上げた。
「ねえねえ。なんかさー……このクラス、恋と陰謀と再起の香りがするよね?」
「何言ってんだか。。。」
はるなが呆れながらも、少しだけ笑っていた。
* * *
チャイムが鳴ると、スクリーンの右端が淡く光った。
数秒後、教室の扉が開く。
「おはようございます、S枠の諸君」
現れたのは、中央部から派遣された担当教員──御堂だった。
無機質な声と、どこか冷めた視線。彼は紙も端末も持たず、彼らの前に立った。
「本日から、中央部との定期観測支援業務が開始されます。
……その前に、“普通の”授業を始めましょうか」
彼は淡々とそう言うと、前に立っていたホログラム画面を指でなぞる。
その瞬間、教室の奥にあるサブモニターがわずかに起動音を立てた。
それは、中央部からの指令──だが、生徒たちの背後では、誰にも気づかれていない。




