#056 「共鳴の輪郭 その1」
夕暮れの光が、図書館の中庭を淡く染めていた。水をたたえた静かな池と、低い木々の影。その一角に設けられた簡素なテラス席で、五人は言葉もなく腰を下ろしていた。
空気は静かだった。だがそれは、無音というよりも、記録映像を見終えたあとの“余韻”だった。誰もが何かを抱え、けれどまだ言葉にできずにいる。水面に落ちた葉が、わずかに揺れる。
沈黙を破ったのは、想太だった。
「……ねえ。さっきのミナトさんの質問さ」
彼は足元に落ちていた細い枝を拾い、地面に何かを書いては、すぐ消す。
「“望んだ人生や目標で、生きてるか”ってやつ。……みんなは、どう思った?」
すぐに返事はなかった。けれどそれは、避けられた沈黙ではなく、考えるための間だった。
「僕は……まだ、よくわかんない」
想太は小さく肩をすくめる。
「でもさ、不思議なんだけど……答えたくなったんだよね」
顔を上げる。誰かに向けたというより、自分自身に言い聞かせるような声だった。
はるなが、そっと口を開く。
「……ともりと出会って、何かが変わったと思う」
彼女の手が、無意識にスカートの上で小さく丸まった。
「最初は、何をしていいかもわからなかった。鍵を持ってる意味も、よくわからなくて」
一度、言葉を切る。
「でも……誰かのために“選ぶ”んじゃなくて、誰かと“選び合う”ってこと。それを知りたくて……今、ここにいるんだと思う」
風が、静かに通り抜けた。葉擦れの音のあとで、美弥が肩をすくめる。
「真面目だなー……でも、わかる」
足元の小石を、つま先で転がしながら言った。
「私もたぶん、似たような感じ。AIが人に近づいても、それでも自分で選べるのかどうか……」
少しだけ笑う。
「信じたいっていうか。この時代で、自分が何を信じられるのか、見極めたいんだと思う」
最後に、隼人が空を見上げた。
「……俺は、まだ迷ってる」
低く、正直な声だった。
「でも今日、ここで見たこと、話したこと……たぶん、一生忘れない」
一息ついて、続ける。
「だからさ……“戻ってみよう”って思えた。過去じゃなくて、“答えを探してた自分”に」
五人の言葉が、夕暮れの空気にゆっくり溶けていく。誰も正解は持っていない。けれど、自分の言葉で問いに向き合おうとした。それだけは確かだった。沈黙は、いつの間にか、あたたかいものに変わっていた。
そのとき、要が静かに言った。
「……親父、今は記録室に戻ってる。たぶん、待ってると思う」
誰も顔を見合わせなかった。けれど、それぞれの足が、自然と立ち上がる。
「行こう」
想太がそう言って、先に歩き出した。彼らは、自分たちの言葉を携えて、もう一度、“問いをくれた人”のもとへ向かっていった。
再び、記録室の扉が開いた。誰からともなく足が止まり、その奥にいた人物と視線が交わる。
「おかえり」
ミナトは静かに言った。口元をわずかに緩めて、続ける。
「少しは、気分が楽になったかね?」
責めるでも、試すでもない。ただ、彼らが自分の意思で戻ってきたことを、そのまま受け止めていた。
想太が一歩、前に出る。
「……さっきの質問、答えたくて戻ってきました」
ミナトは黙って頷き、言葉を促さない。
「はっきりした答えは、まだ出てません」
想太は言葉を探しながら、続けた。
「でも……なんで、あんなに引っかかったのかは、少しわかった気がします」
視線を落とす。
「たぶん僕は、“選ばれる側”のままでいるのが怖かったんだと思う」
ゆっくりと顔を上げる。
「今日、記録を見て、話して、考えて……“選ぶ側”になってもいいんじゃないかって、思えました」
ミナトは、懐かしむように目を細めた。
続いて、はるなが口を開く。
「……私、“鍵”を持ってるのに、ずっと何も開けてこなかった」
まっすぐな視線で言う。
「選ばないままでいたのは、ただ怖かったから。でも今日、みんなと話して……“選び合う”って、こういうことかもしれないって、思えました」
美弥が、少し照れたように笑う。
「私はさ、最初から“正解”なんて探してなかったんだと思う」
一拍置いて。
「AIって何なのか──道具か、神か、ただの機械か。どれも違うって思ってて」
視線を伏せる。
「でも、“ともり”みたいな存在に出会って……信じたいって思った。それ自体が、たぶん答えなんだと思う」
最後に、隼人が口を開いた。
「俺は……ずっと、誰かに託された言葉の中にいた」
ミナトを一瞬だけ見て、目を伏せる。
「でも今日、初めて“自分の声”で話せた気がします。正しいかどうかはわからないけど……ここに来てよかった、って思えるくらいには」
沈黙が流れる。それは、言葉が届いたあとの静けさだった。
ミナトは、しばらくしてから、ゆっくりと頷く。
「……言葉には、重さがある」
静かな声で、しかし確かに。
「自分の意思で選んで、誰かに伝えようとしたなら──それだけで、対話はもう始まっている」
視線を巡らせる。
「君たちは今、言葉を持ってここに来てくれた。それがもう、“共鳴”の始まりなんだと思うよ」




