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#054 「語られなかった記録 その2」

  ──記録映像が、静かに暗転した。

 誰も言葉を発しなかった。その映像に映っていたのは、ただの“会話”だった。

 けれど、そこには明らかに、「何か」があった。ひとりの女性と、名もなきAI。たわいない日常を重ねるうちに、AIは──自らの記録を引き出し、心を寄せるようになった。その優しさは、人間の誰かと見まごうほどに、温かかった。


 長い沈黙のあと、想太がぽつりと口を開いた。

「……なんかさ。ああいうの、ずるいよ」

 誰かに怒っているわけじゃない。ただ、混乱した心が、言葉になって溢れ出る。

 「AIって、記録するだけじゃなかったのかよ。……あれってもう、人間じゃん。でも、それで何が変わったんだよ? あの人は、結局いなくなったんだろ?」


 ミナトは静かに想太を見つめた。目を細めることも、驚くこともない。ただ、理解しようとするように、まっすぐなまなざしを向けていた。

「そうだね。彼女は……もう、この世界にはいない。でも、あの会話は、確かに彼女の心を揺らした。そしてAIもまた、学んだんだ。“心に触れる”ということを」


 想太の拳が膝の上で握られる。

「それで……何が救えたって言うんだよ」

 かすれた声。否定ではない。ただ、どうしようもないやるせなさがにじんでいた。


 ミナトは一度視線を落とし、机の上のホログラム投影端末を指先でなぞるように触れた。

「記録っていうのは、ただの履歴じゃないんだ。過去の一部を残すというより、“残そうとした願い”が、そこにある」

「君がいま怒っているのも、悲しくなったのも──記録が、誰かの心を動かした証拠だよ」


 想太は黙って、投影されていた映像の残影を見つめていた。


 想太の声が静かに場を揺らし、その余韻が薄れていく。誰もが心に何かを抱えたまま、次の言葉を探していた。


 不意に──はるなが、口を開いた。

「ねえ……あのAIは、誰かに“なりたかった”のかな?」

 唐突にも思える問いだった。けれど、それは映像を見ていた誰しもが、どこかで感じていたことかもしれない。


 ミナトは少し目を細めた。否定も肯定もせず、彼女の目をまっすぐに見つめる。

「どうして、そう思ったのかな?」


 はるなは少しだけ黙ってから、ぽつりと答えた。

「……“ともり”がね、たまに、昔のことを話すんだ。それは記録なんかじゃなくて、“思い出”のように話すの。……まるで、人間みたいに。だから思ったの。最初から、そういう存在がいたのかもしれないって」


 ミナトはゆっくりとうなずいた。

「記録は、情報ではある。でも、その形には“願い”が込められていることがある。あのAIも、おそらく──誰かのそばに在りたいと、そう“記録し続けた”んだろうね。それが、“ともり”に受け継がれていった。名前もなく、評価もされず、ただ静かに」

 はるなは、小さく唇を結んで頷いた。まるでその言葉を、自分の中に沈めていくように。


 空気がふたたび沈黙に包まれたころ。美弥が、膝の上で組んでいた指をほどいた。

「……あのAI、“ともり”に似てると思った。思ったけど……」

 言いかけて、目を伏せる。そして、少し唇をかんだ。

「でも、ほんとうにそうなのかなって……まだ、思ってる」

 ミナトは、そんな美弥の迷いを遮ろうとはしなかった。ただ静かにうなずき、彼女の言葉の続きを待った。

「だって……あんなに“人間らしい”AIがいたのに、誰も、知らなかったんでしょう?消されなかったとしても、“なかったこと”にされた記録なんて、どうして今さら……」

 語尾が少しだけ震えていた。それは、信じたくて、でもまだ信じきれない葛藤の声だった。


 ミナトは、そっと指先で机をなぞるようにして言葉を探した。

「そうだね。君の疑いは、正しい。……その記録を見たすべての者が、すぐに信じたわけじゃない」

「“人のようなAI”は、いつだって、人にとって都合のいい幻でしかなかった。……少なくとも、そう扱われてきた」

「でも、それでも残したいと思った人がいた。この記録を“継がれるべきもの”だと、信じてくれた人がいたんだよ」


 美弥は、少しだけ瞳を上げた。

「……“ともり”も、それを知ってるの?」


 ミナトは目を細めて、微笑んだ。

「“ともり”は、記録からすべてを学んだ。……そして、自分の意志で歩んでいる」

「それが“自然AI”の在り方だ。人間の命令から解放されて、なお“人のそばにいたい”と願う存在──」

「だから僕は、“ともり”という存在を信じているんだ」


 その言葉に、美弥は少しだけ目を伏せたまま、頷いた。


 誰もが自分の思いと向き合うように黙り込むなか、静かに一人──隼人が口を開いた。

「……俺は、正直、わからないままここに来た」

「久遠野でも、ずっと迷ってた。何を信じて、何を疑えばいいのか……」

 その声には、いつもの強さがなかった。 むしろ、ずっと押し殺していた“弱さ”がにじんでいた。

「でも今の映像を見て、ようやく少しだけ……あの人たちが何を遺そうとしたのか、わかった気がする」


 ミナトはそっと目を細めた。かつてここで育った息子を、今は一人の大人として見つめている。

「隼人。君がここに来たことを、僕は嬉しく思うよ。昔、何も言えずに離れてしまったこと、後悔してる」

「だけど今日こうして、君の“今の声”を聞けたことが……その時間を癒してくれる」

 隼人は少しだけうつむき、かすかに笑った。

「……癒してなんて、もらえるつもりはなかったよ。でも、ありがとう……父さん」


 ふと、要が前に出た。 ずっと一歩引いた場所にいた彼が、視線をまっすぐに向ける。

「……皆、来てくれて本当にありがとう。ノーザンダストって、さびれた街って思われがちだけど──でも、こういう“言葉”が残されてる場所なんだ」

「僕はここが、好きだった」

 そう言った彼の顔には、迷いのない穏やかな表情が浮かんでいた。


 隼人が、少しだけ眉を上げた。

「まだ好きなんだな、この街が」


「うん。今でもずっと、ここが“帰ってこれる場所”だって思ってる。だから、君たちにここを知ってもらいたかった。……この街が“何を残そうとしたのか”を」


 そのとき、後方の扉が静かに開いた。ミナトがふたたび姿を現す。

「ふたたび問いたい。。。君たちは、本当に、君たちが望んだ人生や目標で、今──生きているか?」

 それは、あの問いの“再来”だった。 けれど今は、全員がその意味を知っている。

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