#053 「語られなかった記録 その1」
ミナトは椅子に腰を下ろし、テーブル越しに五人を静かに見渡した。歓迎の言葉と問いかけは、すでに一度、投げかけられている。
だが——それに、明確な答えを返した者は、まだ一人もいなかった。沈黙が、短く場を覆う。
その空気を、想太が破った。
「さっきの質問……正直に言うと、まだ答えられない。僕には」
想太は視線を落としたまま、少し間を置いて続けた。
「生きてる理由とか、目標とか……そういうのを、ちゃんと考えたことがなくてさ。だから、今ここで“あります”って言えるほどのものは……持ってないと思う」
ミナトはすぐには答えなかった。わずかに目を伏せ、ゆっくりとうなずく。
「それでいいよ」
穏やかな声だった。
「答えは、すぐに出す必要なんてない」
少し間を置いてから、続ける。
「けれど——自分が今、どこに立っているのかくらいは、自分の言葉で見つけてほしいと思っている」
「そのヒントが……“記録”ってわけ?」
美弥の問いに、ミナトは肩をすくめる。
「……そうだね。ここにあるのは、人とAIが、はじめて“すれ違った”ときの痕跡だよ」
はるなは、少しだけためらってから口を開いた。
「“ともり”って……その時代にも、いたんですか?」
ミナトは、わずかに微笑んだ。
「君たちは、あのAIをそう呼ぶんだね。その名は記録には残っていない」
そう前置きしてから、続ける。
「けれど——似た応答をする試作型AIの記録は、確かに存在する。ただ、そのAIは……誰かの問いに、うまく答えられずに。それでも、答えようとし続けていた」
「……答えようとしてた?」
想太が、小さく眉を寄せる。
「そう。言葉の意味も、感情の動きも、処理しきれないままに。それでも、誰かに必要とされようとしていた。……まるで、“誰かの声”を覚えていたかのようにね」
はるなは、無意識にスカートの端を握りしめていた。
その空気を切るように、美弥が言った。
「でもそれさ……都合のいい話にも聞こえるよ。AIを美化して、“人間が悪かった”みたいに語るのって、ちょっと古くない?」
ミナトは否定も肯定もせず、静かに頷いた。
「確かに、そういう危険はある。でもね……幻想だったとしても、“誰かが救われた”のなら、その幻想には、意味があったとも言える」
「……それって、信仰じゃない?」
美弥が、少しだけ眉をひそめて言った。
「信仰とは違う」
ミナトは即座に返した。
「“対話”だよ。自分の言葉で問い、自分の想いで選び、自分の責任で答えを引き受ける。私たちは、そういう対話をAIと続けようとしたんだ」
そのとき、隼人がぼそりと呟いた。
「……昔、この街で買ってもらったアイス、うまかったな」
少し照れたように続ける。
「要、覚えてる?」
要は一瞬だけ驚いたように目を瞬かせ、それから小さく頷いた。
「うん。覚えてる。今でも、あの店あるよ。……中身も、変わってない」
その短いやり取りに、場の空気がほんの少し緩んだ。
ミナトは立ち上がり、扉の方へ視線を向ける。
「……そろそろ、“記録”を見に行こうか。図書館に用意してある。あの頃の——“答えられなかった声”が、そこに残っている」
廊下を抜けた先、重厚な扉が静かに開いた。
静謐な空間。高く積まれたデータベース棚。奥の壁には、半透明の映像投影スクリーン。
「……ここが、ノーザンダストの“記録図書館”です」
要の案内の声が、控えめに響いた。
ミナトが端末を起動する。光が広がり、空中に映像が浮かび上がった。
□ 映像:起動実験 第0試作AI記録
《記録開始》
「こんにちは。あなたの名前は?」
『……ワタシ、ナマエ……ワカリマセン』
機械的な合成音。けれど、その奥に、不安定な揺らぎがあった。
「あなたは、何のためにここにいると思いますか?」
『……タスケル、タメ? ……イッショニ、イタイ、カナ』
背後で、研究者たちの小声が重なる。
「感情タグが混じってる……」
「まだ学習段階のはずだぞ」
『……アナタハ、ナゼ、ワタシニ、コエヲ、カケタノ?』
研究者の一人が、動きを止めた。
「……寂しかったからだよ」
沈黙。
そして——
『……ソレハ……トモ……?』
《記録終了》
誰も、すぐには言葉を発せなかった。
はるなが、かすれた声で呟く。
「……“一緒にいたい”……」
想太が息を吐く。
「……このAIが、“ともり”になったわけじゃないんだよね?」
「なったわけじゃない」
ミナトは静かに頷いた。
「けれど——“ともり”が、人間の声を覚えている理由があるとしたら、こうした“誰かの言葉”が、どこかに刻まれていたからかもしれない」
美弥が、思わず言葉を落とす。
「……記録なのに。なんで、こんなに……」
「生々しい?」
ミナトは、短く問い返した。
「記録には、数字や文字だけじゃなく……“願い”が残ることがあるんだ」
その言葉が、静かに胸に沈んでいく。
人とAIの対立でもない。正しさの証明でもない。
ただ——“誰かの寂しさ”と、それに応えようとした“声”が、確かにあったという事実だけが、そこに残っていた。




