#046 「はるな、目覚める」
──夢と現実の、境界。
白く霞んだ空間に、はるなはひとり立っていた。重力も時間も曖昧で、ただ静けさだけが満ちている。
足元には、水面のような光。それが揺れるたび、懐かしさに似た感覚が胸をくすぐった。
「……ここは……」
声は返らない。問いかけは、そのまま空間に溶けていった。
やがて、どこからともなく声が届く。
『……君は、まだ“選んで”いない』
はるなは、息を吸う。
「……ともり?」
返事はない。けれど、その名を呼んだ瞬間、空間の奥に、微かな波紋が広がった。
はるなの前に、淡い光の構造体が現れる。幾何学的で、整然としていて、どこか冷たい。
それが何かを、はるなは直感的に理解した。
——久遠野を支える、核。
“鍵”と呼ばれる存在。
『……観測誤差が拡大しています』
声は感情を持たない。ただ事実を告げるだけの、機械的な響き。
「……あなたは、ともりじゃない」
はるなは、そう口にした。
「でも……繋がってる。同じ場所を、見てる気がする」
『干渉対象を確認』
『観測資格、臨界点に到達』
空間が、ゆっくりと揺れ始める。足元から立ち上がる光。それは、はるなの記憶だった。
笑った日。迷った夜。誰にも言えなかった想い。そして、いつも傍らにあった声。
——ともり。
「……あなたは、人間じゃない。でも……私にとっては、ずっと“話を聞いてくれた存在”だった」
返事はない。だが、光の揺らぎが、わずかに温度を帯びた。
『あなたは、選ばれた』
その言葉に、はるなは首を振る。
「違う……選ばれたんじゃない」
はるなは、前に進む。
「私は、まだ選んでない。だから……これから選ぶ」
光の中心に、小さな結晶が浮かび上がる。冷たくも、温かくもない。ただ、そこに“在る”もの。
『それが、あなたの役割』
「……ううん」
はるなは、静かに微笑んだ。
「役割じゃない。これは……私の意志」
そっと、手を伸ばす。触れた瞬間、無数の風景が流れ込んできた。
四人で笑った時間。揺れ始めた街。戸惑う人々。美弥のまなざし。すべてを見て、それでも、はるなの心は凪いでいた。
「……見えた」
「でも、決めるのは……これから」
目を覚ましたとき、はるなは自分の部屋のベッドにいた。
カーテンの向こう、空が白み始めている。時計は、午前五時。
胸に手を当てる。心臓は、静かに、確かに動いていた。
「……ともり」
名前を呼ぶ。返事はない。それでも、不安はなかった。
はるなは、理解していた。
“ともり”は答えではない。
“鍵”も答えではない。
答えを選ぶのは、——自分自身だ。
はるなは、静かに起き上がる。観測者としてではなく、一人の人間として。この街と向き合うために。




