#044 「久遠家の決断」
──久遠邸・中庭、夜。
中庭には静かな風が吹いていた。庭石の間を流れる細い水の音が、規則正しく響いている。
薄明かりに照らされて、美弥は背を向けたまま立っていた。風を受けるその姿は、どこか張りつめている。
「呼び出すなんて珍しいね。こんな時間に」
背後から声をかけると、美弥はふっと笑い、振り返らずに言った。
「……本当はね、お堅い用事じゃなくて、“よしよし”してほしかっただけなんだけど」
「なにそれ」
はるなは小さく笑う。
「美弥らしい」
美弥はようやく振り返った。
「でも、“鍵の継承者”なんて立場になると、あんまり自由にもしてられないのよ」
少し間を置いて、言葉を続ける。
「……あーあ。本当は、こんな話したくないんだけどね……ずっと、こうしていられたらいいのに」
照れるように視線を逸らすはるなに、美弥は軽く肩をすくめた。
「さて。本題に入るね」
空気が、わずかに変わった。
「――“久遠の鍵”が、動き始めてる」
「……やっぱり、そうなんだ」
「開発室も、議会も、AI倫理委員会も……全部、ざわついてる……でも、その中心にいるはずの私には、どうしても見えない部分があるの」
美弥は、はるなをまっすぐ見た。
「だから、聞きたい。率直に」
「……“ともり”のこと?」
「うん」
「名前だけじゃなくて……“感覚”も、知ってるよね?」
はるなは、静かにうなずいた。
「最近、感じるの。胸の奥で、何かが“灯ってる”みたいな感覚」
言葉を探しながら、続ける。
「それが、“鍵”と共鳴してるのかもしれない……だったら、私は確かめたい」
「逃げない、ってこと?」
美弥が静かに問う。
「うん」
「たとえ、それが……この街を巻き込むことでも」
美弥は、少し寂しそうに微笑んだ。
「やっぱり……そう言うと思った」
一拍置いて、言葉を選ぶ。
「私ね、“鍵”って、ただのシステム管理コードの継承だと思ってた」
「でも……違った。本当は、誰かと“つながる”こと、そのものなんだと思う」
「つながる……?」
「街に触れられる人間であること。それが、“選ばれる”って意味なのよ」
美弥は、ゆっくりと続けた。
「そして、はるな。たぶん……あなたの方が、“本当の鍵”なんだと思う」
「でも……美弥が、ずっと守ってきたものなんでしょ?」
「うん。だからこそ、渡す場所を間違えたくない」
はるなは、深く息を吸った。
「……ありがとう。美弥の言葉、ちゃんと受け取る」
美弥は、ふっと笑う。
「ずるいくらいだよ。そうやって、全部受け止めちゃうところ」
しばしの沈黙。
そのとき、はるなのスマート端末が淡く光った。白い通知が浮かび上がる。
『観測者同期:条件成立・接続率19.8%』
美弥は、それを横目で見て呟く。
「……始まったのかもね。私たちの、“鍵”の物語」
はるなは、静かにうなずいた。
「うん。じゃあ──一緒に、扉を開けよう」




